十石賞

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十石賞(じっこくしょう)の正式名称は不明。財団法人富民協会により昭和3年(1928年)から昭和7年(1932年)まで行われた水稲の競作会で、戦後朝日新聞社主催で行われた「米作日本一」の原型。

なお、富民協会の理事長は大阪毎日新聞社長、本山彦一。

賞金として、当時の金額で1等千円、2等五百円、特別賞として1反(10アール)当たり十石(1500kg)以上収穫した者には一万円授与の規程がもうけられた。

5年間の最多収は昭和4年、島根県筑川郡西田村(現、出雲市奥宇賀町)佐々木伊太郎の八石四斗(1260kg)である。

同時に佐々木氏は、競作過程で後の半わい性水稲品種「十石」を「北部2号」より純系分離、「十石」の誕生は、同様の性質を持つ国際稲研究所(IRRI)の「IR8」(1966年)誕生より37年早い。

なお「IR8」は稲版「緑の革命」として、世界の賞賛を受けた。