加藤茂雅

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加藤 茂雅(かとう しげまさ、寛文5年(1665年) - 元文3年10月22日1738年12月3日))は、江戸時代武士旗本。通称は金右衛門、善大夫、小左衛門。甲斐庄正親の二男。加藤重長の養子となった。娘は甲斐庄正永(茂雅の兄)の養女となり、甲斐庄正恒の妻となった。養子に加藤秀邦神谷正羽三男)がいる。

生涯[編集]

寛文8年(1668年)、数え4歳で加藤家遺跡を継ぎ、小普請となった。元禄元年(1688年)5月7日、行跡がよくなかったため、実父正親の請うところにまかせて、知行900石を返上し、正親のもとに蟄居した。元禄9年(1696年)、兄・甲斐庄正永の請により、書院番となり、蔵米300俵を賜わった。元禄14年(1701年)書院番の勤務が難しくなり、小普請に戻る。享保15年(1730年)致仕。元文3年(1738年)死去。享年74歳。

脚注[編集]

参考文献[編集]