内藤長頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。曾禰越後守 (会話 | 投稿記録) による 2014年4月10日 (木) 07:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Cat追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

内藤 長頼(ないとう ながより、貞享3年(1686年) - ?)は、信濃国高遠藩内藤家の世嗣。安部信峯の三男。母は秋月種信の娘。官位は従五位下、土佐守。

元禄10年(1697年)、内藤清枚の養嗣子となり徳川綱吉御目見した。元禄13年(1700年)に叙任されたが不行跡のため、元禄16年(1703年)に廃嫡され、実家の安部家に戻った。代わって、旗本・米津家から清行が養子に迎えられた。