元暹

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元 暹(げん せん、生年不詳 - 539年)は、北魏東魏皇族。汝陽王。叔照

経歴[編集]

西河王元太興の子として生まれた。528年建義元年)、南兗州刺史に任じられ、州で権暴をふるって、多くの人を殺害した。529年永安2年)4月、元顥洛陽に入ったが、元暹は南兗州に拠って屈服しなかった。7月、汝陽王に封じられた。秦州刺史に転じた。秦州の城民がたびたび反乱を繰り返したことを口実に、多くの人を処刑した。531年普泰元年)、涼州刺史に任じられ、その統治は収奪と暴力をきわめた。府の官人や商胡の財産を手に入れるため、恩賞を与えると騙して富豪たちを呼び集め、一時に殺戮しつくし、かれらが所有していた財産や使用人を接収して自らの財産とした。534年永熙3年)6月、孝武帝の命を受けて石済を守備した。536年天平3年)12月、東魏の高歓西魏を討つと、元暹は高昂らとともに上洛におもむいた。537年(天平4年)1月、録尚書事となった。539年元象2年)6月、死去した。太師・録尚書事の位を追贈された。

子の元賥が、汝陽王の位を嗣いだ。

伝記資料[編集]

  • 魏書』巻19上 列伝第7上
  • 北史』巻17 列伝第5