九条任子
九条 任子(くじょう にんし、承安3年9月23日(1173年10月31日) - 暦仁元年12月28日(1239年2月3日))は平安時代末期から鎌倉時代にかけての后妃、女院。第82代後鳥羽天皇中宮。父は関白九条兼実。母は藤原兼子。院号は宜秋門院。法名は清浄智。子女は昇子内親王(春華門院)。
文治5年(1189年)従三位。同6年(1190年)1月、後鳥羽天皇の元服に伴い入内、女御宣下。同年4月、中宮に冊立。建久6年(1195年)昇子内親王出産。同7年(1196年)、建久七年の政変で父兼実の失脚により内裏を退出。正治2年(1200年)院号宣下、宜秋門院となる。同3年(1201年)母兼子の死去により、法然の下で受戒。承元元年(1207年)父兼実薨去。建暦元年(1211年)昇子内親王薨去。同2年(1212年)院号・年官・年爵を辞した。承久3年(1221年)承久の乱で、夫後鳥羽上皇が隠岐島に配流となる。暦仁元年(1238年)崩御。享年66。