丸山名政
丸山 名政(まるやま なまさ、1857年11月11日(安政4年9月25日) - 1922年(大正11年)11月21日)は、日本の政治家、実業家、官僚。
経歴
信濃国須坂藩家老・丸山兵衛次郎本政の長男として江戸藩邸に出生。講法学舎を経て、明治法律学校(現・明治大学)卒業。内務省地理局勤務を経て、自由民権運動に入り、嚶鳴社員として立憲改進党結成に参画。東京横浜毎日新聞記者、下野新聞主筆などを務めた後、1885年(明治18年)に代言人となる。
国会開設後は、第2回、第8回衆議院議員総選挙に当選。
実業家として、日本証券株式会社社長、松本瓦斯株式会社取締役など多くの会社の経営に参画。1903年(明治36年)から1905年(明治38年)には東京市助役も務めた。
参考文献
- 『第三議会に於ける丸山名政君の演説』(伊東定吉、1892年)
- 『憲法論』(尚成堂、1889年)