中村歌右衛門 (4代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ものぐさたろう (会話 | 投稿記録) による 2016年2月2日 (火) 00:00個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

「東海道五十三次之内 京 石川五右衛門」 四代目中村歌右衛門の石川五右衛門。三代目歌川豊国画。

四代目 中村歌右衛門(よだいめ なかむら うたえもん、寛政10年〈1798年〉 - 嘉永5年2月17日1852年3月7日〉)とは、江戸時代に活躍した歌舞伎役者。屋号成駒屋俳名は芝賞・翫雀。雅号は魁香舎。本名平野 吉太郎(ひらの きちたろう)。

三代目歌右衛門の養子。江戸下谷茶屋の子で、文化4年(1807年)振付師の藤間勘十郎(後の三代目藤間勘兵衛)の門下となって藤間亀三郎と名乗る。文化5年(1808年)に江戸に下っていた三代目中村歌右衛門の門下に入り中村藤太郎と改名、さらに文化10年(1813年)3月には中村鶴助と改名する。文政8年(1825年)、三代目歌右衛門の俳名である芝翫を二代目として襲名し人気を得る。天保7年(1836年)1月に四代目中村歌右衛門を襲名した。

当り役は多く『一谷嫩軍記』の熊谷直実、『京鹿子娘道成寺』の白拍子など。体格、容貌に恵まれ、世話物より時代物を得意とし所作事も優れ、天保2年(1831年)3月には江戸中村座初演の『六歌仙容彩』で僧正遍照文屋康秀在原業平喜撰法師大伴黒主を演じた。嘉永5年1月、大坂でもこの『六歌仙』を勤めたが、これが最後の舞台となり同年2月に没す。門下に養子の四代目中村芝翫三代目中村翫雀がいる。

「風流六歌仙」 右より四代目中村歌右衛門のへん正、康秀、喜せん、なり平、黒ぬし。小野小町は二代目中山南枝。嘉永5年1月、大坂中の芝居歌川広貞画。

参考文献

  • 野島寿三郎 『歌舞伎人名事典』 日外アソシエーツ、1992年