中山直定

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中山 直定(なかやま なおさだ、慶長4年(1599年) - 正保2年1月19日1645年2月15日)) は、江戸時代初期の旗本中山照守の嫡男。高麗八条流馬術の使い手。通称は助三郎、勘解由。子に中山直守中山直張中山直次室賀正信室賀正俊の婿養子)、中山直政

慶長14年(1614年)、父照守とともに大坂の陣へ参戦し、武功を挙げ、小姓組となり、400石の知行を与えられる。のち武蔵上総下総の三国に3000石の大身旗本となる。寛永6年(1629年)、徒頭となり、寛永11年(1634年)、父照守が没し、家督を相続する。先手弓頭となる。馬術は、将軍の上覧に浴するほどの腕前であった。

正保2年(1645年)、死去。享年46。家督は嫡男の直守が継いだ。