上田丸子電鉄サハ60形電車

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上田丸子電鉄サハ60形電車(うえだまるこでんてつサハ60がたでんしゃ)は、上田丸子電鉄(後の上田交通)に在籍した電車付随車)である。

編成中間に組み込まれる通常の付随車ではなく、電動車に牽引される後付付随車であった。

沿革

1965年東京急行電鉄より同社サハ3350形4両全車を譲り受けた内の2両で、前後妻面への後部標識灯取り付けなど改造を実施し、1967年までにサハ3351→サハ61、サハ3353→サハ62として竣工した。

残り2両(3352、3354)は丸子線の木造車モハ3350形の鋼体化改造への使用を予定されていたが、丸子線廃止で不要となり、長らく上田原車庫内に東急色のまま放置されていた。その後、この2両は西武建設に売却され、西武所沢車両工場において外板張替えや金属サッシ窓化の改造を受け、伊予鉄道へ新製扱いで転売されサハ500形となった。新製扱いのため、この2両の新旧番号対象は不明である。

当初はサハ61が別所線に仮配置されていたが、その後2両共に真田傍陽線に配置となった。1972年2月の同線廃線により別所線に転属したが、61は使用されないまま1980年2月に廃車され、62は屋根回りを補修の上で1986年10月の架線電圧1,500V昇圧まで在籍した。ただし、終端駅での入換作業が必要なため、クハ290登場以後は休車となっていた。

後に別所線にやってきた同じ出自のデハ3300形と編成を組むことは、東急・上田時代を通じてなかった。