三村親澄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Akas1950bot (会話 | 投稿記録) による 2021年4月9日 (金) 04:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (自己リンクの削除)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
三村 親澄
時代 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
墓所 広島県福山市北吉津町 慈雲山龍興寺
主君 水野勝種→勝岑
備後福山藩 大寄合
氏族 清和源氏小笠原氏流三村氏
父母 父:三村親安
兄弟 親澄、親興
平内、藤七、孫太夫
テンプレートを表示

三村 親澄(みむら ちかずみ)は、江戸時代の武士。備後福山藩大寄合1000石。 戦国武将三村親成の子孫で、家系としては(親成→親良親安→親澄)となる

水野家が5代で断絶となった後、水野家との節義に応え、他家に仕えることなく備中勇崎村に落去した。 子孫には「武士は二君に見(まみ)えず」との遺訓が伝承されている。

墓は福山市北吉津町の曹洞宗慈雲山龍興寺にある。

平内、藤七、孫太夫の三子のうち、平内は広島藩浅野氏、孫太夫は備後福山藩阿部氏に仕え、残った藤七が跡を継いだ。

脚注

参考資料