三斗小屋宿
三斗小屋宿(さんどごやしゅく)は、会津中街道の宿駅(宿場町)である[1]。現在の栃木県那須塩原市板室。
概要
三斗小屋温泉の西方約3km、板室本村から12kmほど北、那珂川上流の標高1100mの山間にある。 天和3年(1683年)、会津西街道が震災で遮断されたため、会津藩が元禄8年(1695年)に会津と氏家を結ぶ会津中街道を新たに開削し、国境の大峠の北側に野際新田宿、南側に三斗小屋宿を設けた。下野国最奥部の三斗小屋宿には、幕末に旅宿などが34軒あったという。また、白湯山信仰の拠点としても栄えた。
戊辰戦争では会津軍(旧幕府軍)が駐屯し、新政府軍によって全戸焼き討ちに遭った。宿場のはずれの墓地には、明治13年(1880年)に建てられた「戊辰戦死若干墓」が残っている。
明治37年(1904年)に岩越鉄道(現、JR磐越西線)が開通したことで宿場としての賑わいを失い、昭和32年(1957年)には最後の1戸が当地を離れ、無人の地となった。現在は、石造大日如来像や石灯籠、金灯籠などが残り、かつての姿が残る。
三斗小屋宿から会津中街道を南に進み、麦飯坂を越えると沼原湿原に至る。
脚注
出典
参考文献
- 『栃木県の歴史散歩』栃木県歴史散歩編集委員会 編、山川出版社〈歴史散歩⑨〉、2006年 ISBN 978-4-634-24609-6