三好赤甫

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三好 赤甫(みよし せきほ、寛政10年(1798年) - 明治5年10月9日1872年11月5日))は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての文雅家・俳人[1][2]。幼名は亀吉[1]。通称は才市、別号には月坡・待花園がある[1][2][3]

経歴・人物

近江甲賀郡大野村(現:滋賀県甲賀市土山町大野)の魚商[1][3]。若い頃から俳諧を好み、家業を子に譲ると家を去り、京都東福寺の僧・俳人である虚白に師事して俳諧を十余年学んだ[1][2][3]。その後故郷に戻り、近隣の子弟に俳諧を教えた[1]。俳著に『窓あかり』がある。明治5年に病没し、若王寺に葬られた[1][3]

現在、生家にて三好赤甫を偲ぶ碑と説明板が建てられている。

三好赤甫の句

  • 啼むしの力を入る嵐かな[3]
  • 雪積て塵ひしもなき初日哉[4]

脚注