万里小路輔房

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万里小路輔房
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文11年(1542年
死没 天正元年8月5日1573年9月1日
官位 正三位権中納言
主君 正親町天皇
氏族 万里小路家
父母 父:万里小路惟房、母:畠山家俊の娘
兄弟 輔房伏見宮貞康親王御息所、今出川晴季室ら
養子:充房[1]
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万里小路 輔房(までのこうじ すけふさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿官位正三位権中納言万里小路家12代当主。

経歴

天文11年(1542年)、内大臣万里小路惟房の子として誕生。

永禄6年(1563年)7月6日、参議に叙官。

天正元年(1573年)、父・惟房が薨去して万里小路家を継ぐが、わずか2か月後に薨去した。

脚注

  1. ^ 権大納言勧修寺晴秀の子