万里小路藤房
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万里小路 藤房(までのこうじ ふじふさ、永仁4年(1296年) - 康暦2年/天授6年3月28日(1380年5月3日)?)は、鎌倉時代から南北朝時代の公家。父は万里小路宣房。弟に万里小路季房、養子に万里小路仲房(季房の子)がいる。
後醍醐天皇の側近として仕えて、鎌倉幕府倒幕計画に参加する。元弘の変では楠木正成の起用を勧めた人物と言われる。後に捕えられて下総国に流された。
建武の新政後に復帰して中納言になるが、天皇の側近重用政治を諫めるも聞き入れなかったため、新政権に失望して出家して京郊外の岩倉に隠遁してそのまま行方不明となる。
一説には妙心寺2世住持・授翁宗弼と同一人物とも言われるが、他にも三河国死亡説・常陸国死亡説・出羽国死亡説(秋田郡山内松原村補陀寺二祖無等良雄とする菅江真澄の見解)・津軽に下り、子の景房が飯詰城主津軽朝日氏の祖になったという説などがある。

