ラービア・アダウィーヤ
رابعة العدوية | |
---|---|
生誕 | バスラ |
死没 | バスラ |
ラービア・アダウィーヤ(8世紀頃)は、スーフィー(イスラーム神秘主義者)である。
略歴
この人物の活躍した8世紀頃の文献はまったく存在しないこともあり、この人物の生涯についてはほとんど不明であるが、アダウィーヤは自身について一切語ることは無かったという。数々の伝承が存在しているが12世紀から13世紀ペルシアのスーフィーであるファリードゥッディーン・アッタールが書いた文献が最も主要な資料とされる。
通説ではアダウィーヤはイラクのバスラで4番目の子として生まれたとされる[1]。 出生年は710年代頃であり、貧しい家庭であったと伝わる。父の死後に禁欲主義者になって砂漠で神への祈りの日々を送った[2]。おそらくバスラで病没した。
概説
アダウィーヤが最終的に至った結論はイスラーム神秘主義愛であった。それは俗世の愛を否定し、ひたすらイスラーム神秘主義における神との合一を唱える[3]。
またアダウィーヤはイスラーム神秘主義詩を詩作したとされる。今日ではアダウィーヤは一部で聖人として敬われている。