ヨーゼフ・ミュリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Sakrb3791zi (会話 | 投稿記録) による 2022年8月18日 (木) 09:22個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ヨーゼフ・ミュリーJozef Mullie1886年2月14日1976年7月14日)またはヨス・ミュリー(Jos Mullie) は、ベルギー淳心会司祭で、中国学者

中国名は閔宣化(Mǐn Xuānhuà)[1]中国語(口語・文語)の研究との研究で知られる。

生涯

ミュリーはウェスト=フランデレン州の Sint-Denijs に生まれた。1903年に淳心会に入り、1909年に内蒙古に派遣された。1911年から赤峰県の淳心会の学校で教えることになり、この時に中国語を研究した。

ミュリーは内蒙古で遼の聖宗興宗道宗の陵墓(慶陵)を発見した。これは遼王朝に関する最初の重要な考古学的発見だった。

1926年に熱河省承徳に移った。

1931年にベルギーに帰国した後は、中国伝道師の語学教育にあたった。1939年にユトレヒト大学の中国語中国文学の教授の職についた。

主な著作

  • Les anciennes villes de l'empire des grands Leao au royaume Mongol de Bārin”. T'oung Pao 21: 105-231. (1922). 
  • Les sépultures de K'ing des Leao”. T'oung Pao 30: 1-25. (1933). 
ミュリーが内モンゴルで発見した遼の遺跡に関する報告。
  • Het Chineesch taaleigen. 北平: Drukkerij der Lazaristen. (1930,1931,1932) 
オランダ語で書かれた3冊本の中国語(熱河方言、ほぼ北京語に同じ)の文法書。
  • The Structural Principles of the Chinese Language. 北平: Pei-t'ang Lazarist Press. (1932,1937) 
上記の本の英訳。
  • Le mot-particule TCHE”. T'oung Pao 36: 181-400. (1942). 
「之」に関する長大な論文。
  • Grondbeginselen van de Chinese letterkundige taal. Leuven. (1947-1950) 
オランダ語で書かれた3冊からなる中国語文語文法の概説書。

脚注

  1. ^ 东蒙古辽代旧城探考记(外二种)”. CiNii Books. 2015年4月1日閲覧。

外部リンク