モンテカルロ・ベイビー

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モンテカルロ・ベイビー
Monte Carlo Baby
監督 ジャン・ボワイエ
レスター・フラー
脚本 アレックス・ジョフェ
ジョン・ボワイエ
レスター・フラー
製作 レイ・ヴァンチュラ
出演者 オードリー・ヘプバーン
ジュールス・マンシン
カーラ・ウィリアムズ
音楽 ポール・ミスラキ
ジェフリー・パーソンズ
撮影 シャルル・シュアン
編集 フランシェット・マサン
製作会社 Hoche
配給 アメリカ合衆国の旗 フェイバリット・ピクチャーズ
公開 イギリスの旗 1952年[1]
アメリカ合衆国の旗 1954年5月[1]
日本の旗 日本未公開
上映時間 79分
製作国 イギリスの旗イギリス
フランスの旗フランス
言語 英語
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モンテカルロ・ベイビー』(原題:Monte Carlo Baby)は、1951年に撮影され、1952年に公開されたイギリス・フランス共同製作の音楽コメディ映画。オードリー・ヘプバーンが脇役で出演している。『モンテカルロへ行こう』の英語版。日本未公開。

概要[編集]

英語とフランス語の二か国語で製作されるため、言葉の問題があり、キャストはフランス語版『モンテカルロへ行こう』とは変更になっている[2]オードリー・ヘプバーンは英語もフランス語も出来たので、両方でキャスティングされた[2]。ただし役名は違う[2]。上映時間も英語版とフランス語版では大きく違う[2]

英国では1952年に公開されたが[1]、アメリカではヘプバーンが『ローマの休日』で大スターになるまで配給権が売れなかった[1]。1954年5月にプロデューサーのコリアー・ヤング (Collier Young) と妻のアイダ・ルピノがアメリカ配給権を買って、数館のアート・シアターで公開した[1]。アメリカのポスターのクレジットではオードリー・ヘプバーンがジュールス・マンシンカーラ・ウィリアムズを凌ぐスターとしてトップにクレジットされている[2]。しかしアメリカの観客は、これほどの新しい大スターが、こんな端役を演じている理由が理解できず、狐につままれたような気分であったという[1]

オードリー・ヘプバーンがこの作品の撮影中にガブリエル・コレットに見出されて、ブロードウェイの舞台『ジジ』の主役に抜擢された[1][3]

この英語バージョンはフランス語バージョンよりも有名な俳優が出ているが、未だに世界でビデオ・DVD・Blu-rayなどは発売されていない。

また日本未公開のままであるが、『ローマの休日』の大当たりのあとにアメリカで封切られた関係で、英語版の『モンテカルロ・ベイビー』は駐留軍が接収中のオクタゴンシアター(のちの横浜松竹映画劇場)で1日だけ上映されている[4]。映画評論家の日野康一が見せてもらうことが出来たと書き記している[4]

キャスト[編集]

エピソード[編集]

フランス語版『モンテカルロへ行こう』参照。

批評[編集]

  • “本来スターであるはずのオードリー…彼女は赤ん坊の本当の母親役を演じているが、これは大した役ではない。赤ん坊は面白くもない大人のジョークに付き合わされて迷惑そうにしている”<英国:マンスリー・フィルム・ブレディン (The Monthly Film Bulletin) 誌>[2]
  • “オードリーは映画スターの役で時々スクリーンに登場する。これは実際には彼女がスターになる前に作られた映画である。しかしこの枯れ果てた平凡な作品の中でも、彼女は非常に光っていて驚かされる。『モンテカルロ・ベイビー』を救ったのは彼女である。”<アメリカ:ニューヨーク・タイムズ紙>[2][3]

関連項目[編集]

  • モンテカルロへ行こう』(この作品のフランス語バージョン。配役、スタッフなどが一部違う。上映時間も大きく異なる。)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g バリー・パリス『オードリー・ヘップバーン 上巻』集英社、1998年5月4日初版発行、133-138頁。 
  2. ^ a b c d e f g ジェリー・バーミリー『スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン』シンコー・ミュージック、1997年6月13日初版発行、78-79頁。 
  3. ^ a b エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド『the audrey hepburn treasures』講談社、2006年9月25日初版発行、60,63頁。 
  4. ^ a b 『スクリーン臨時増刊 オードリー・ヘプバーン特別号』近代映画社、1963年5月15日発行、128頁。 

外部リンク[編集]