ヘザー・ルイス

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ヘザー・ルイス
生誕 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ウエストチェスター郡
ジャンル インディー・ロック
インディー・ポップ
職業 ミュージシャン
担当楽器 ギタードラムボーカル
レーベル Kレコーズ
共同作業者 ビート・ハプニング
Land of the Loops

ヘザー・ルイス1962年 - )はビート・ハプニングのメンバーである[1]マルチプレイヤー。 また、ザ・ウェディング・プレゼントのアルバム「ワツシ英語版」や[2]Land Of The Loops英語版の曲にゲストボーカルとして参加している[2]

来歴[編集]

生い立ち[編集]

ヘザーはニューヨーク州ウエストチェスター郡で生まれ育った。1980年にはオリンピアへ移り、エバーグリーン州立大学へ入学する。

Supreme Cool Beingsでの活動[編集]

大学の夏休みの期間に、ヘザーは友人であるGary Mayのアパートメントを訪ねる。部屋は即席のリハーサルスタジオになっており、ヘザーがドラムセットで演奏した後、Garyからバンドへ招待される。 Doug Monaghanの加入後に、Supreme Cool Beingsとして活動を始めた。[3] バンドはカルバン・ジョンソン英語版が出演するラジオ局、KAOS英語版へ向けて、ライブパフォーマンスを行う。カルバンは音源をカセットテープで録音し、後にKレコーズからリリーズされた最初のアルバム、Survival of the Coolestを発売する。[3]

ビート・ハプニング時代[編集]

ヘザーはカルバンと、後に加入するブレット・ランズフォードの3人でビート・ハプニングを結成する。途中ヘザーはシアトルへ移住するが、バンドに残ることに同意し、初レコーディングを行う為に日本へ向かう。[4] ヘザーは主にドラムを担当していたが、バンドはドラムセットを持つことは無かった。そのため、ヘザーは他のバンドからドラムセットを借りるか、ゴミ箱やダンボールなどで即席のドラムセットを作っていた。[3] ヘザーのマルチなバンド内での役割は、オリンピア発のフェミニズム思想、ライオット・ガールに影響を与えた。この思想はブラットモービル英語版モリー・ニューマン英語版[5]や、ビキニ・キルキャスリーン・ハンナ[6]にも影響を与えた。


脚注[編集]

  1. ^ What is K?”. K Records. 2011年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月23日閲覧。
  2. ^ a b Heather Lewis Credits”. Allmusic.com. 2011年5月23日閲覧。
  3. ^ a b c Azzerad, Michael (2001). Our Band Could Be Your Life. New York: Back Bay Books 
  4. ^ Michael Azerrad, Our Band Could Be Your Life: Scenes From the American Indie Underground 1981-1991 (US: Little Brown, 2001).
  5. ^ Experience Music Project: Riot Grrrl Retrospective Interview”. Experience Music Project, Youtube. 2015年3月17日閲覧。
  6. ^ Prato, Greg. Grunge Is Dead: The Oral History of Seattle Rock Music. ECW Press. p. 129. ISBN 978-1-55022-877-9