プール・オブ・ロンドン

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ロンドン橋からの眺望
1841年
現在のプール

プール・オブ・ロンドン (Pool of London) とはイギリスの首都ロンドンにおいてシティ・オブ・ロンドンテムズ川に接する岸辺をさす。これが転じて現在はロンドン・ブリッジからロザーハイスまでの区間の水域を指す言葉として用いられるようになった。大型の外洋船が入り込めるのがこの付近までであり、ロザーハイスとラッピングを結ぶ道路は船舶の航行を妨げないようトンネルが建設された。

プール・オブ・ロンドンは上流側のアッパー・プールとロアー・プールで構成される。アッパー・プールはロンドン橋からタワー・ブリッジまで、ロアー・プールはタワー・ブリッジからロザーハイスのチェリー・ガーデン・ピアまでをさす。7世紀イングランドの聖職者ベーダ・ヴェネラビリスはプールの重要性について指摘している。18世紀から19世紀にかけてテムズの水運が最高潮に達し、両岸は数マイルに渡って波止場となり数多くの船がそこに停泊していた。あまりの混雑ぶりに船から船に飛び移っていけばテムズを渡ることができるとさえ言われた。しかし停泊する船や荷揚げされた貨物を保護する施設はなく、泥棒たちが簡単に船に上がりこみ、荷物を盗んで売りさばくようなこともあった。このようなプール・オブ・ロンドンの状況を改善するために建設されたのがドックランズであり、閉鎖式のドックがロンドン東部に軒を並べるようになった。

1960年代に行われたコンテナの導入と他の港湾の開発によってテムズの水運量は劇的に減少した。プール・オブ・ロンドンの波止場も大半閉鎖され、朽ち果てるにまかされた。1980年代から1990年代にかけて地区の再開発が行われ、近代的な商業エリアに生まれ変わった。21世紀に入ってもプール・オブ・ロンドン・パートナーシップが設立されるなど開発計画は現在も進行中である。

付近にはバラ・マーケットロンドン・ブリッジガイズ病院ロンドンブリッジ鉄道駅ヘイズ・ガレリアベルファストシティ・ホールタワー・ブリッジセント・キャサリンズ・ドックロンドン塔などが存在する。


Pool of London1951年に公開された映画の題名でもある。ベイジル・ディアデンによって監督されたプールを舞台にした犯罪物であり、イギリスの喜劇役者であるレズリー・フィリップスジェームズ・ロバートソン・ジャスティスが出演している。

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