フムディン・シャリポフ

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フムディン・シャリポフ (Khomiddin Sharipov、1947年6月15日 - 2007年8月30日)は、タジキスタン政治家。中将。元内務相。

経歴

クリャーブ州(現ハトロン州)ソヴィエツキー地区(現テムルマリク地区)サタルムシュ村出身。1971年、タジク国立大学法学部を卒業。大学卒業後、20年間、タジキスタンの司法機関に勤務。

1995年から憲法裁判所所長。1996年、大統領府長官。1996年10月31日~2006年11月30日、内務相。

2007年4月1日、タジキスタン人民民主党から最高会議代議員に選出。同年6月6日、マジリシ・ナモヤンダゴンの合憲・立法・人権委員会委員長。

ドゥシャンベで死去。

パーソナル

妻帯、9児を有する。

先代
?
内務相
1996年 - 2006年
次代
マフマドナザル・サリホフ