スロバキア民主キリスト教連合・民主党

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スロバキアの旗 スロバキア共和国の政党
スロバキア民主キリスト教連合・民主党
SDKÚ-DS(Slovenská demokratická a kresťanská únia - Demokratická strana)
党首 ミクラーシュ・ズリンダ
成立年月日 1998年3月10日
国民議会
11 / 150   (7%)
(2012年3月10日)
政治的思想・立場 中道右派キリスト教民主主義
国際組織 中道民主インターナショナル
欧州人民党
公式サイト SDKÚ-DS
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スロバキア民主キリスト教連合・民主党(スロバキアみんしゅキリストきょうれんごう・みんしゅとう、スロバキア語: Slovenská demokratická a kresťanská únia - Demokratická strana : SDKÚ-DS)は、キリスト教民主主義に立脚したスロバキア共和国における中道右派政党で、スロバキア共和国国民議会の第二党である。本稿では前身となるスロバキア民主連立(SDK : Slovenská demokratická koalícia)についても述べる。

スロバキア民主連立(SDK)

ヴラジミール・メチアル首相の強権的な政権運営に反対する民主連合(DÚ : Demokratická únia Slovenska)、キリスト教民主運動(KDH : Kresťansko-demokratické hnutie)、民主党(DS : Demokratická strana)、スロバキア社会民主党(SDSS : Sociálnodemokratická strana Slovenska)、スロバキア緑の党(SZS : Strana zelených na Slovensku)の5政党が結集して1997年11月に結成した政党である。当初は政党連合として結成されたが、メチアル政権が選挙法を改正して政党連合の結成を事実上不可能としたため、それぞれの政党組織を存続させたままKDH出身のミクラーシュ・ズリンダ(Mikuláš Dzurinda)を党首に新党として結成した(政党登録は1998年3月10日)。

1998年国民議会選挙では26.33%の得票率で42議席を獲得、ポピュリスト政党の民主スロバキア運動(HZDS : Hnutie za demokratické Slovensko)に次ぐ第2党となった。選挙後、SDKは民主左翼党(SDĽ : Strana demokratickej ľavice)、市民合意党(SOP : Strana občianskeho porozumenia)、ハンガリー人連立党(SMK/MKP : Strana maďarskej koalície-Magyar Koalíció Pártja)と共に連立を組み、第1次ミクラーシュ政権を発足させた。しかし選挙後、SDKを構成する諸政党が独自の動きを始めたため、危機感を抱いたズリンダが新たにSDKÚを発足させ、SDKは事実上の解党状態となった。

スロバキア民主・キリスト教連合(SDKÚ)

首相でSDK党首のズリンダが、SDKを構成する中道右派諸政党の議員と一部閣僚によって2000年1月に結成した(政党登録は2000年2月18日)。政治的立場はキリスト教民主主義に立脚しているが、キリスト教的保守主義の色彩が強いKDHよりも世俗的で、経済政策では自由競争を重視する立場である。

2002年国民議会選挙では、選挙参加を撤回したDSの協力も受け、SDKÚは15.09%の得票で28議席を獲得してHZDSに次ぐ第二党となり、他の中道右派政党と連立して第2次ミクラーシュ政権を発足させた。2006年1月にはDSが正式にSDKÚへ合流し、現在のSDKÚ-DSとなった(政党登録は2006年2月13日)。

2006年国民議会選挙では、前回選挙を上回る18.35%の得票を得て31議席を獲得したが、第一党となった中道左派政党のスメル(方向)・社会民主(SMER-SD : SMER-sociálna demokracia)が民族主義政党のスロバキア国民党(SNS : Slovenská národná strana)および人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS : Ľudová strana - Hnutie za demokratické Slovensko)の連立で政権を発足させたため、野党に転じた。

2010年国民議会選挙では、政治資金疑惑の責任を取ってズリンダが選挙への立候補を見送り、副党首で2009年大統領選候補のイヴェタ・ラジチョヴァーが選挙対策本部長として事実上の党首代行を務めた。得票率は15.42%で改選前より3議席少ない28議席にとどまったものの第二党の座を維持し、SNSとĽS-HZDSの惨敗でフィツォ連立政権が過半数割れしたことにともない、同じ中道右派の自由と連帯(SaS : Sloboda a Solidarita)、キリスト教民主運動(KDH : Kresťanskodemokratické hnutie)およびハンガリー人政党のモスト(橋、MOST-HÍD)による連立政権を組閣。ラジチョヴァーがスロバキア初の女性首相となり、ズリンダが外相に就任した。

関連項目

参考文献