ジョージ・コンプトン (第4代ノーサンプトン伯爵)
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(ジョージ・コンプトン (第4代ノーサンプトン伯)から転送)
第4代ノーサンプトン伯爵ジョージ・コンプトン(英語: George Compton, 4th Earl of Northampton PC、1664年10月18日 – 1727年4月15日)は、イギリスの貴族、政治家。1664年から1681年までコンプトン卿の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]第3代ノーサンプトン伯爵ジェームズ・コンプトンとメアリー・ノエル(Mary Noel)の長男として、1664年10月18日に生まれた[1]。1679年11月20日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1682年2月18日にM.A.の学位を修得した[2]。1681年12月15日に父が死去すると、ノーサンプトン伯爵の爵位を継承した[1]。
1686年から1687年までと1689年から1727年までウォリックシャー統監を、1712年から1715年までロンドン塔管理長官を務め[3]、1702年にイングランドの枢密顧問官に任命され、1711年と1714年にイギリスの枢密顧問官に任命された[2]。また、1689年4月11日のウィリアム3世戴冠式では宝剣と王笏を持つ役割であり、1714年10月20日のジョージ1世戴冠式にも参加した[3]。
1727年4月15日に死去、長男ジェームズが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1686年、ジェーン・フォックス(1721年6月10日没、スティーブン・フォックスの末娘)と結婚、3男2女をもうけた[1]。
- ジェームズ(1687年5月2日 – 1754年10月3日) - 第5代ノーサンプトン伯爵
- ジョージ(1692年 – 1758年12月6日) - 第6代ノーサンプトン伯爵
- チャールズ(1698年 – 1755年11月20日) - 在ポルトガルイギリス大使。1727年8月13日にメアリー・ルーシー(Mary Lucy、バークリー・ルーシー準男爵の娘)と結婚、第7代ノーサンプトン伯爵チャールズ・コンプトン、第8代ノーサンプトン伯爵スペンサー・コンプトンら2男3女をもうけた
- メアリー - ウィリアム・ゴア(William Gore)と結婚
- アン - 第4代準男爵ジョン・ラッシュアウトと結婚、子供あり
1726年7月3日、エリザベス・ラッシュアウト(Elizabeth Rushout、1750年1月15日没、初代準男爵ジェームズ・ラッシュアウトの娘)と再婚した[1]。2人の間に子供はいなかった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1504.
- ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). "Colericke-Coverley". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 304–337.
- ^ a b Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 73.
名誉職 | ||
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先代 サンダーランド伯爵 |
ウォリックシャー統監 1686年 – 1687年 |
次代 サンダーランド伯爵 |
ウォリックシャー統監 1689年 – 1715年 |
次代 モンタギュー公爵 | |
ウォリックシャー首席治安判事 1689年 – 1719年 |
次代 マクルズフィールド伯爵 | |
先代 リヴァーズ伯爵 |
ロンドン塔管理長官 1712年 – 1715年 |
次代 カーライル伯爵 |
タワー・ハムレッツ統監 1712年 – 1715年 |
次代 ハットン・コンプトン | |
イングランドの爵位 | ||
先代 ジェームズ・コンプトン |
ノーサンプトン伯爵 第5期 1681年 – 1727年 |
次代 ジェームズ・コンプトン |
コンプトン男爵 (繰上勅書により) 1681年 – 1711年 |