ジョルジュ・ヴァントンゲルロー

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1919年の作品:「無題」(左)「立体の均衡」(右)

ジョルジュ・ヴァントンゲルローフランス語: Georges Vantongerloo1886年11月24日 - 1965年10月5日)は、ベルギーの抽象彫刻家、画家。「デ・ステイル」の共同創刊者のひとりである[1]。姓はファントンゲルローファントンヘルローとも表記される。

経歴[編集]

アントウェルペン出身。1905年から1909年まで、アントウェルペン王立芸術学院ブリュッセルファインアートを学んだ。第一次世界大戦で陸軍に徴兵されたが、毒ガスで負傷し1914年に除隊。1916年にテオ・ファン・ドースブルフと会い、翌年デ・ステイルの最初の声明に署名した。ヴァントンゲルロー自身は1927年にパリに移ったが、ベルギーのアンリ・ジャスパール首相とアントウェルペンのスヘルデ川に架ける橋のデザインについて文通した。1930年にパリの芸術グループ「セルクル・エ・カレ」に合流し、「アブストラクシオン=クレアシオン」を旗揚げした。パリにて没。

脚注[編集]

  1. ^ Biography”. Georges Vantongerloo. Annely Juda Fine Art. 2006年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年8月1日閲覧。