ジュゼッペ・カンマラーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Fuusenn (会話 | 投稿記録) による 2022年7月26日 (火) 11:13個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ru:Каммарано, Джузеппе 13:14, 4 мая 2022‎と en:Giuseppe Cammarano 04:58, 14 May 2022‎ から抜粋)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ジュゼッペ・カンマラーノ
Giuseppe Cammarano
カンマラーノ作『フェルディナンド1世一家の肖像画』(1820)
誕生日 1766年1月4日
出生地 イタリア、シャッカ
死没年 1850年10月8日
死没地 イタリア、ナポリ
テンプレートを表示

ジュゼッペ・カンマラーノ(Giuseppe Cammarano、1766年1月4日 - 1850年10月8日)はイタリアの画家、美術教師である。シチリア・ブルボン朝フェルディナンド1世の宮廷画家になり、ナポリ美術アカデミーで教えた。

略歴

シチリアシャッカで生まれた。父親は宮廷で働く有名な俳優であった。カンマラーノが生まれた後、すぐに家族はナポリに移った。10代でナポリの絵画学校に入学し、フェデーレ・フィシェッティ(Fedele Fischetti: 1732–1792)の工房で学び、舞台美術家、建築家のドメニコ・ケーリ(Domenico Chelli: 1746–1820)やフェルディナンド1世に招かれてナポリに滞在していたドイツ人画家、ヤコブ・フィリップ・ハッケルト(1737-1807)からも教えを受けた。国王から奨学金を受けて、ローマでも修行した。

5年ほどローマで修行した後1788年にはナポリに戻った。1791年にはカゼルタ宮殿の装飾画を描いた。フェルディナンド1世の宮廷画家になり、王族の肖像画や宮殿の装飾画描いた。

1806年から1810年代の半ばまで、ナポリ王国がフランスの支配下にあった時はナポリ王、ジョアッキーノ1世となったジョアシャン・ミュラの王妃、カロリーヌ・ボナパルトの肖像画も残している。

ナポレオン戦争の後、損害を受けた王宮の修復も行った。ナポリ美術アカデミー教授にも任じられた。

息子のサルヴァトーレ・カンマラーノ(1801-1852)は有名なオペラ台本作家になり、孫のミケーレ・カンマラーノ(Michele Cammarano: 1835-1920)は画家になった。

作品

参考文献

  • Oreste Ferrari. Cammarano, Giuseppe. Treccani.it. — Dizionario Biografico degli Italiani - Volume 17 (1974).
  • Cammarano, Giuseppe. Treccani.it. — Enciclopedie on line.
  • Luigi Fusco. Dell’Attivita’ di Giuseppe Cammarano nei siti reali casertani. Neoborbonici.it. — Associazione culturale Neoborbonica.