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ジャン・ド・シャロレー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャン・ド・シャロレー
Jean de Charolais
シャロレー領主
在位 1310年 - 1316年

出生 1283年
死去 1316年
埋葬 フランス王国リヨンパリ
子女 ベアトリス
ジャンヌ
家名 ブルボン家
父親 クレルモン伯ロベール
母親 ブルボン女領主ベアトリス・ド・ブルゴーニュ
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ジャン・ド・シャロレーフランス語:Jean de Charolais, 1283年 - 1316年)またはジャン・ド・クレルモンフランス語:Jean de Clermont)は、シャロレー領主およびサン=ジュスト領主。フールネの戦い(1297年)、金拍車の戦い(1302年)などフランドルの戦いに参加した。

生涯

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ジャンはクレルモン伯ロベールとブルボン女領主ベアトリス・ド・ブルゴーニュの息子として1283年に生まれた[1]。1309年、ジャンヌ・ド・ダルジー(ダルジーおよびカトウー領主ルノー2世とアニェスの娘)と結婚した。2人の間には以下の2女が生まれた。

  • ベアトリス(1311年1月 - 1364年8月25日 ロデーズ) - シャロレー女領主(2世)、1327年5月にモンセルでアルマニャック伯ジャン1世と結婚
  • ジャンヌ(1314年頃 - 1388年7月27日) - 1328年にオーヴェルニュ伯ジャン1世と結婚

ジャンはリヨンに埋葬されたが、後に遺骨はパリに改葬された。

脚注

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  1. ^ Laiou 1972, p. 251.

参考文献

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  • Laiou, Angeliki E. (1972). Constantinople and the Latins: the foreign policy of Andronicus II, 1282-1328. Harvard University Press 
先代
ベアトリス1世
シャロレー領主
1310年 - 1316年
次代
ベアトリス2世