シャーリーン・テッタース

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シャーリーン・テッターススラム・ター、1952年生)は、アメリカインディアンの民族運動家、作家教育者、芸術家、人権活動家。

来歴[編集]

シャーリーン・テッタース(2009年撮影)

シャーリーン・テッタースは、1952年、ワシントン州「スポーカン族・インディアン保留地」にスポーカン族の「スラム・ター」として生まれた。インディアンの権利についての精力的な活動姿勢から、「アメリカインディアンのローザ・パークス」と呼ばれている[1]

1984年から、シャーリーンはニューメキシコ州サンタフェの「アメリカインディアン美術研究所」(IAIA)で絵画作品を発表するようになり、美術協会を経て1986年にサンタフェ大学に通い、美術学士となって1988年に同大学を卒業した。同年、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に美術デザイン科専攻で入学し、首席で卒業している。ニューロンドン・コネチカットのミッチェル校からは、美術部門の名誉博士号を授与されている。

現在、全米で21箇所でシャーリーンの絵画作品が展示され、国際的な評価を得ている。自らの公式サイトで、シャーリーンはこう述べている。

現在、私は活発なアーティストとして、国際的な展示を行っています。私のアートワークは、マルチメディアな展示の創造によって、大衆文化とメディアの中でのインディアンの人々の描写を調べ、社会的な推定を行い、アメリカでのインディアンの人々からの人間性の剥ぎ取りについて、私個人と、政治的な意見を表現しています。

反「インディアン・マスコット」運動[編集]

「イリニウェク酋長」

1988年、シャーリーンは、子供たちをイリノイ大学で開催されたバスケットボールの大学対抗試合に連れて行った。イリノイ大学のバスケットボール・チームは、「戦うイリニ族」という、実在のインディアン部族である「イリノイ部族連邦」の名をチーム名にしていた。

シャーリーン親子が試合を観戦していると、ハーフタイムに鷲の羽の頭飾りを着けて「インディアン風」の格好をした白人の学生が現れ、「イリニウェク酋長」という「インディアン・マスコット」を滑稽な仕草で演じ、デタラメな踊りを踊り始めた。シャーリーンの息子は、この滑稽な「イリニウェク酋長」を見て、なんとか笑おうとしていた。娘を見ると、観客席の中で身体を強張らせていた。子供たちのこの表情を見た瞬間に、シャーリーンはインディアン民族のイメージを娯楽として使用する、この「インディアン・マスコット」と戦うことを誓った。

これ以来、シャーリーンは自らのアート作品で「反インディアン・マスコット」を題材とし、また全米各地で講演を行い、「エンターテインメントにインディアンのイメージや物品、文化、及び霊的な様式の真似事を使用することが、人種差別なのだ」ということを人々に訴え始めた。これに対し、白人たちは「部族の名や文化が、国を代表するスポーツの、そのチームに因まれることは素晴らしい名誉と考えるべきである」と主張してきた。これにシャーリーンは「クリーブランド・インディアンス」の「ワフー酋長」や「ワシントン・レッドスキンズ」のチーム名を例に挙げ、こう反論している。

責任ある部族の酋長をマスコットに仕立てて、伝統衣装や小間物を飾り付け、見世物にすることが「名誉や敬意を私たちに払うことだ」とは到底思えません。酋長はどんな部族においても、高い敬意を受ける存在です。球場でこの敬意を受けるべき人物が「ニタニタ笑った漫画」にされたり、インディアンにとって深い苦痛をもたらすイメージがチーム名にされている状況が、歓迎されるものとは思えません。 インディアンは人間です。マスコットではありません。私たちの社会における「戦士」とは、平和と生命に関わる存在です。

1992年、「コロンブス上陸500周年」のこの年に、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動」(AIM)は「インディアン・マスコット」根絶のための全国組織「スポーツとメディアにおける人種差別の全国連合」(NCRSM)を結成。シャーリーンはヴァーノン・ベルコート、マイク・ヘイニーら「AIM」の運動家らとともに、イリノイ大学のバスケットボールの会場の外で、「インディアンは人間だ」とのプラカードを掲げ、インディアン・マスコット、「イリニウェク酋長」に抗議する無言のデモを行った。しかしデモ行進は警察や大学のファンの襲撃を受け、彼らは揉みくちゃにされて暴行を受けた。

同年、シャーリーンは「アメリカインディアン国民会議」(NCAI)内に「人種正義のための事務所」を開設。アマ・プロ問わず全米のスポーツチームが使用している「インディアン・マスコット」撤廃のための抗議と議論を活発化させた。シャーリーンは、「レッドスキン」という言葉の由来について、こう説明している。

白人たちがインディアンの大陸にやってきて戦争を始めたとき、彼らは殺したインディアンを数えるために死体を荷馬車に載せました。ですが殺したインディアンの数が多すぎたので、じきにこれは殺したインディアンの首を切り落として、この首を載せて運ぶことになりました。それでも首が載せ切れないほどたくさん殺し続けたので、白人たちは馬車にたくさん積めるように、インディアンの頭から皮を剥ぐことにしました。 これが「レッドスキン」(赤い皮)の言葉の始まりです。スポーツチームの ロゴデザインにインディアンの頭部を使い、インディアンの大量虐殺にちなんだ名を着けることは、最もたちの悪い人種差別であり、インディアン民族に対する現在進行中のジェノサイドなのです。

シャーリーンや「NSRSM」のヴァーノン・ベルコートらインディアンたちの全国運動によって、数多くのプロ・アマのスポーツチームが「インディアン・マスコット」を廃止している。東ミシガン大学は1991年に、校内チームの「ヒューロンズ」(ワイアンドット族のこと)を、「東ミシガン・イーグルス」に名称変更した。一方で、高まる抗議の中、イリノイ大学はいまだに「イリニウェク酋長」と「戦うイリニ族」の使用を続けている。現在、シャーリーンや「NSRSM」が変更を求める現役のプロ・アマのスポーツチームには、次のようなものがある。

一方、アメリカインディアンから人間性は剥ぎ取られ続けています。彼らは羽根を着け、顔を塗って詠唱し、エンターテインメントとして私たちの歴史を使用して、私たちの将来を担う者たちの自尊心を挫くのです。

映像作品[編集]

  • 『In Whose Honor?』(『誰の名誉なのか?』、1997年7月15日放映)
「アトランタ・ブレーブス」、「カンザスシティ・チーフス」、「ワシントン・レッドスキンズ」、「クリーブランド・インディアンス」等々、デタラメなスポーツ界の「インディアン・マスコット」と、対するシャーリーンの姿を追った、ジェイ・ローゼンシュタインによるPBSテレビのドキュメントフィルム。「The Center For New Television」、「The Paul Robeson Fund For Independent Media」、「イリノイ州美術会議」の資金援助によって制作された。

脚注[編集]

  1. ^ 『In Whose Honor?』

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『Charlene Teters.com』
  • 『The University Record』(Rebecca A. Doyle, Teters uses art to fight racism in sports and media,1999年1月25日)