翺之慧鳳

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翺之慧鳳(こうしえほう、応永21年(1414年) - 文明元年(1469年)?)は室町時代臨済宗聖一派僧侶。竹居(ちつきょ)・幻庵(げんあん)・木裰道人(ぼくたつどうじん)・借庵(せきあん)・紅蕉(こうしょう)・古筠(こいん)などの別号を持つ。

経歴[編集]

経歴については不明点が多く、出身地を「丹陽」と記すも、これも丹波国丹後国いずれも解釈が可能である。東福寺岐陽方秀の門人としてその法を嗣ぎ、永享6年(1434年)の遣明使に随ってに渡る。帰国後の永享11年(1439年)に大内氏を頼って周防国に下った。後に京都に戻り五山の僧侶や一条兼良らと親しく交流し、地位こそ蔵主(寺院の経蔵管理人)に過ぎなかったが文名は高かった。晩年の寛正5年(1464年)に再び周防国に下っており、この時の詩文集として『竹居西遊集』がある。なお、『蔗軒日録』の文明16年(1484年)の記事に「此老(翺之慧鳳)逝去已及二十年」という記事があることから、古くは没年は寛正6年(1465年)と考えられてきたが、現在では本人の詩文や他の僧侶の記録より少なくても寛正6年の4年後にあたる文明元年4月の時点では健在であったことが判明している。

著作に『竹居西遊集』・『竹居清集』、編纂に『投贈和答等諸詩小序』がある。

参考文献[編集]

  • 今泉淑夫「翺之慧鳳」(『国史大辞典 5』(吉川弘文館、1985年) ISBN 978-4-642-00505-0
  • 今泉淑夫「翺之慧鳳」(『日本史大事典 3』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13103-1