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ゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー

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ゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー (: Gerson von Bleichröder, 1822年12月22日 - 1893年2月18日) はプロイセン王国のユダヤ系宮廷銀行家。宮廷ユダヤ人の代表的な人物。

1803年にブライヒレーダー銀行を設立したザームエル・ブライヒレーダー (de) の長男としてベルリンに生まれる。

ロスチャイルド財閥と関わりが深く、ロスチャイルドの銀行のベルリンにおける代理人として活躍。彼はまたビスマルクヴィルヘルム1世の財政顧問でもあり、普仏戦争でプロイセンが勝利した際には、フランスに要求する国家賠償金の額を決定した。

プロイセンの国家予算は、ビスマルクといえどもブライヒレーダーに無断で動かすことはできなかった。彼はビスマルクの個人財産の管理者でもあった。

1872年3月8日、ベルリンにてプロイセンの貴族に叙せられ、姓にフォンを付けることを許された。