クルムシ (ジョチ・ウルス)

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ジョチ・ウルスクルムシタタール語: Күремша)は、チンギス・カンの曾孫、ジョチの孫、オルダの子(確認できる子のうちでは三男)にあたる人物である。クレムサロシア語: Куремса[注 1]クルミシロシア語: Курумиши)[注 2]と表記される事もある。

1252年から1254年にかけて、ガーリチ・ヴォルィーニ公国領のポニジエ[注 3]ヴォルィーニ南部への遠征(ru)を行った。しかし同公国との戦いに敗れ、1258年にテムニク(万人長)[注 4]から更迭された。後任にはブルンダイ(ru)があたった。

脚注

注釈

  1. ^ ルーシの年代記中の表記に拠る[1]
  2. ^ 集史』中の表記に基づくロシア語表記[1]
  3. ^ 「ポニジエ」(ロシア語: Понизье )はルーシの年代記中の表記に拠る[2]
  4. ^ 「万人長」はロシア語: Темникの意訳による。Темникは一万人軍司令官の意[3]

出典

  1. ^ a b ラシードゥッディーンСборник летописей (『集史』のロシア語訳本)/ Пер. с персидского Ю. П. Верховского, редакция проф. И. П. Петрушевского. — М., Л.: Издательство Академии Наук СССР, 1960.
  2. ^ ПОДОЛЬЕ // Большой Энциклопедический словарь. 2000.
  3. ^ 井桁貞義 『コンサイス露和辞典』 三省堂 p1107

参考文献