カール・ハーディング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。KLBot2 (会話 | 投稿記録) による 2013年4月16日 (火) 04:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 1 件をウィキデータ上の d:Q77052 に転記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

カール・ハーディング
生誕 1765年9月29日
ドイツの旗 ドイツ、ラウエンブルク/エルベ
死没 (1834-08-31) 1834年8月31日(68歳没)
研究分野 天文学
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

カール・ルートヴィヒ・ハーディング(Karl Ludwig Harding、1765年9月29日 - 1834年8月31日)は、ドイツ天文学者小惑星帯小惑星 (3) ジュノーを発見したことで知られる。

彼は、1796年ヨハン・ヒエロニムス・シュレーターの息子の家庭教師として雇われる。Junoはこのシュレーターの観測所で発見された。その後、彼はゲッティンゲンに赴き、カール・フリードリヒ・ガウスの助手に採用された。

1805年からゲッティンゲン大学天文学教授となる。彗星の観測などの指導を行い、三つの新しい彗星を発見。また120,000の星を網羅したAtlas novus coelestisも刊行している。

ハーディング・クレーター小惑星 (2003) ハーディングは彼の名前にちなんで名づけられたものである。