オーバーヘッドプロジェクタ

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授業で使用中のオーバヘッドプロジェクタ
OHPの構造
1 hohlspiegel(凹面鏡) 2 Lampe(光源) 3 Kondensorlinse(集光レンズ) 4 untere FresnelLinse(下フレネルレンズ) 5 obere FresnelLinse(上フレネルレンズ) 6 Haltestifte(固定ピン) 7 Arbeitsfläche(平面台) 8 Objektiv(レンズ) 9 Fokussierung(焦点調節ダイヤル) 10 Umlenkspiegel(反射鏡)

オーバーヘッドプロジェクタ: Overhead projectorOHP)とは、テキストを含む画像を聴衆に提示するための表示システムの一種。

構造

オーバーヘッドプロジェクタは、非常に明るい光源と冷却ファンを内蔵した箱の上部に、レンズが付属した装置である。さらにその上にアームが伸びていて、光を反射してスクリーンに投影する。

表示するために、OHPシートをレンズの上に置く。光源の光はOHPシートを透過し、反射鏡に集まり、スクリーンにOHPシートの内容が表示される。話者が投影内容を指示をしたい場合、話者はOHPシートを直接指示することができ、聴衆はスクリーン上の話者指示を見ることができる。

歴史

最初のオーバーヘッドプロジェクタは警察の鑑識作業で(顔写真を投影するため)使われた。1945年、アメリカ陸軍第二次世界大戦終結時の訓練にOHPを大量に使用した。その後、1950年代終盤から1960年代初めにかけて学校やビジネスでの利用が広く行われるようになった。

このころのオーバーヘッドプロジェクタの主な製造業者としては 3M がある。市場の拡大と共に、1953年には Buhl Industries が設立され、米国におけるオーバーヘッドプロジェクタ用光学部品の主要メーカーとなった。1957年、米国政府の教育補助金制度によってオーバーヘッドプロジェクタが大量に学校に導入されるようになり、この傾向はその後も続いている。

利用の減退

オーバーヘッドプロジェクタは一時期、教室や会議室には必須の備品となっていたが、最近[いつ?]では徐々に書画カメラなどを使って撮影した原稿を大型のコンピュータモニタービデオプロジェクタに映し出したり、インタラクティブ・ホワイトボードなどを使う様式に置換されつつある。新たなシステムでは、Microsoft PowerPointのようなプレゼンテーションソフトウェアを使ってプレゼンテーションを構築することができる。

これらの機器はオーバーヘッドプロジェクタに比較して故障しやすく、習熟するのに時間がかかるという批判もある。コンピュータ・プロジェクション・システムはスライドショーのためのOHPシートのようなものを物理的に作成する手間がない(コンピュータで作成したコンテンツをカラーでOHPシートにしようとするとかなり高価になる)。しかし、システムの故障に備えて発表者がOHPシートも用意しておくことが多い。さらに、オーバーヘッドプロジェクタではその場でOHPシートに書き込むことで効果的なプレゼンテーションが可能という面もある。

ポップカルチャーでの用法

The Art of the Overhead
この旧式な技術に注目したアートとメディアのフェスティバルが2005年10月、コペンハーゲンで最初に開催された。このプロジェクトから様々な試みが生まれた。次に挙げた歌 "Farewell to the Overhead" もその1つである。フェスティバルは今後も続けられる予定である[1]
Farewell to Overhead
2005年、monochrom というグループが「死んだメディア」であるオーバヘッドプロジェクタについての悲しげな電子ポップ・ミュージックを生み出した[2]

参考文献

501 Ways to Use the Overhead Projector by Lee Green (ISBN 0-87287-339-0)

関連項目

外部リンク