オッディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。AraCup (会話 | 投稿記録) による 2022年8月16日 (火) 15:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

オッディの教会(2012)

オッディアイスランド語: Oddi)とは、アイスランド南部のランガーヴェッリル県アイスランド語版内、ランガーヴェッリルアイスランド語版にある村と教会の名称。中世におけるアイスランド南部の文化的中心であり、学問の拠点であった。オッディにはキリスト教改宗期以来教会が存在した。現在の教会の建物は1924年に建立された[1] [2] [3]

数世紀にわたって、オッディはオッディの眷属(en) と呼ばれた有力者の一党の拠点であった。オッディには指導者として最もよく知られる2人の人物がいる。賢者セームンドル・シグフースソンen, 1056年 - 1133年)と、彼の孫ヨーン・ロフツソンen, 1124年 - 1197年)である。有名な歴史家スノッリ・ストゥルルソン1178年 - 1241年)はこの地で養父のヨーンに育てられ、教育を受けた。

スノッリの著作『エッダ』の題名は、このオッディの地名に由来するという説もある[4][5]

脚注

  1. ^ Oddi á Rangárvöllum”. southiceland.com. 2017年6月1日閲覧。
  2. ^ Oddi Church”. South Iceland Tourist Information. 2017年6月1日閲覧。
  3. ^ Oddi Church”. NAT- Nordic Adventure Travel. 2017年6月1日閲覧。
  4. ^ Sæmundur Fróði Sigfússon”. Gyldendal - Den Store Danske. 2017年6月1日閲覧。
  5. ^ 『エッダ』の書名がオッディに由来することは、エイリークル・マグヌースソンによって1895年に提唱され、アナトーリ・リーバーマンの "Ten Scandinavian and North English Etymologies," Alvíssmál 6 (1996): 63–98によって反駁されている(pp.67-70)。『エッダ』の書名の由来については、アナトーリ・リーバーマン "An Addendum to 'Ten Scandinavian and North English Etymologies' (Edda and glide/gleiten)," Alvíssmál 7 (1997): 101–4、特に pp. 101–2を参照。

座標: 北緯63度46分00秒 西経20度23分56秒 / 北緯63.76667度 西経20.39889度 / 63.76667; -20.39889