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ウィリアム・ダグラス (初代クイーンズベリー伯爵)

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初代クイーンズベリー伯爵ウィリアム・ダグラス英語: William Douglas, 1st Earl of Queensberry、1581年以降 – 1640年3月8日)は、スコットランド貴族

生涯

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第8代ドラムランリグ領主サー・ジェームズ・ダグラス(Sir James Douglas, 8th of Drumlanrig、1615年8月没[1])と妻メアリー(Fleming第5代フレミング卿ジョン・フレミング英語版の娘)の長男として生まれた[2]

1606年に父と第9代マクスウェル卿ジョン・マクスウェル英語版の紛争に参加したほか、自身も近隣の領主との紛争が多く、1614年7月には第9代サンカーのクライトン卿ロバート・クライトン英語版キルモーズ卿ウィリアム・カニンガム英語版決闘の挑戦状を送ったとして起訴されている[1]

1617年にスコットランド王ジェームズ6世(イングランド王としてはジェームズ1世)がスコットランドを訪れたとき、ダグラスの所有していたドラムランリグ城英語版にも訪問しており、7月31日に同地での宴会に参加した後8月1日にイングランドに戻った[1]

1620年7月27日、ダンフリーズ州長官英語版に任命された[1]。次代のスコットランド王チャールズ1世にも気に入られ、1628年4月1日にスコットランド貴族であるドラムランリグ子爵ホーイック=ティバーズのダグラス卿に、1633年6月13日にクイーンズベリー伯爵に叙された[1]

1622年に初代カーライル伯爵ジェームズ・ヘイ英語版からトーソーワルド英語版を、1637年12月19日に第9代サンカーのクライトン卿ウィリアム・クライトン英語版(後の初代ダンフリーズ伯爵)からサンカー英語版の領地を入手した[1]。また、1623年にホイック英語版の領地を入手している[2]

1640年3月8日に死去、息子ジェームズ英語版が爵位を継承した[1]

家族

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1603年7月20日、イソベル・カー(Isobel Ker、1628年没、初代ロジアン伯爵マーク・カー英語版の娘)と結婚、4男2女をもうけた[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j Paul, James Balfour, Sir, ed. (1910). The Scots Peerage (英語). Vol. VII. Edinburgh: David Douglas. pp. 132–135, 148.
  2. ^ a b Vian, Alsager Richard; Menarry, David (23 September 2004). "Douglas, William, first earl of Queensberry". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/7932 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)

関連図書

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スコットランドの爵位
爵位創設 クイーンズベリー伯爵
1633年 – 1640年
次代
ジェームズ・ダグラス英語版
ドラムランリグ子爵
1628年 – 1640年