アルト・ペルー

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赤が1783年のリオ・デ・ラ・プラタ副王領におけるアルト・ペルーの領域

アルト・ペルー高地ペルーとも、Alto Perú)とはペルー副王領リオ・デ・ラ・プラタ副王領に存在した行政概念で、ほとんど現在のボリビアと領域が一致する。

の4地域より成立した。

独立に際しかつて同一の行政区画を構成していたペルー共和国アルゼンチンに併合されることを嫌がった支配層は、シモン・ボリーバルに懇願してペルーともアルゼンチンとも異なる単一の独立国としてアルト・ペルーが独立することを望んだ。その望みは叶えられ、アルト・ペルー議会はボリーバルにちなんで国名をボリビアとした。