アリス・コーベット

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アリス・M・コーベット(Alice M. Corbett)
生誕 アリス・M・コーベット
1905年/1906年
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ユーティカ
失踪 1925年11月13日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ノーサンプトン
現況 失踪から98年6か月と8日
家族 父:ジェームズ・H・コーベット(James H. Corbett)
母:エマ・コーベット(Emma Corbett)
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アリス・コーベット英語: Alice Corbett)は、1925年にマサチューセッツ州ノーサンプトンスミス・カレッジの寮から失踪したアメリカ合衆国の女性である。彼女の事件は未解決である。

背景

アリス・コーベットは、ニューヨーク州ユーティカで生まれ、育ち、失踪当時、学業成績の良い、卒業学年の前年生(junior-year student)であった[1][2]

11月13日金曜日早朝、コーベットの仲間学生で友人のジャン・M・ロブソン(Jean M. Robeson)が、照明ガスによる偶発的な窒息の結果、寮室で死亡しているのが発見された[1]。その後、午前8時ごろ、コーベットがクラーク・ハウス(Clark House)寮の部屋を立ち去るのが目撃された。彼女がその日の午後遅くに戻らなかったとき、友人らは彼女の宿舎に入り、コーベットの手書きのメモを発見した[1]。大学関係者らはメモを調べ、「母さん、わたしは家に帰ります」(“Mother, I am going home”)という行が含まれており、コーベットが「混乱した」(“confused”)精神状態にあったことを示す内容が含まれている、と報告した[1]。コーベットの父ジェームズは或る医師にメモを見せた。その医師は彼女は失踪したとき、精神病をわずらっていたかもしれないと判断した[3]

コーベットは失踪前に、近くのアマースト大学の学生トマス・スターリング(Thomas Sterling)とデートしていた。スターリングは警察に、コーベットが失踪する1週間前に自分は毒を買うように頼んだ、と報告した。彼はその要求を拒否した[4]。警察はまた、コーベットとスターリングが交わした、最近喧嘩したことを示す手紙複数を調べた。12月に、スターリングはコーベットの失踪への関与をすべて取り除かれた[5]

コーベットは、黒っぽいドレスとハット帽、そして独特の黄色の防水レインコートを身に着けているのが最後に見られた。彼女は75ドルの現金を持っていると信じられた[4]

捜査

コーベットが行方不明になったと報告された日に、カレッジ・スタッフと学生らがキャンパスを捜索した。翌日に、マサチューセッツ州警察と地元のボーイスカウトは、近くのホールヨーク(Holyoke)のマウント・トム(Mount Tom)を含む地域で地上調査を実施した。そこでコーベットはハイキングを楽しんだとされる[1]。ジェームズ・コーベットは、彼女の発見につながる情報に対して500ドルの懸賞金を公示したし、マサチューセッツ州スプリングフィールドとニューヨーク州スケネクタディ(Schenectady)の地元のラジオ局複数が彼女の人相書を放送した[4]

その後の複数週間で、警察は近くのコミュニティの目撃者らからの多数の報告を調査した。或る薬剤師は、13日朝に自分がコーベットを見たと信じ、彼女は地元のトロリーのスケジュールについて尋ねた、と述べた。しかし、トロリーの乗組員らは、コーベットに似た女はだれもその日その線に乗っていない、と述べた[6]。マサチューセッツ州イーストハンプトン(Easthampton)とマサチューセッツ州ウェストフィールド(Westfield)の目撃者らは、コーベットに似た若い女が黄色の防水レインコートを着ているのを見た、と報告した[7]。マウント・トムが捜索されて1週間後に、或る目撃者が、自分はコーベットがその地域でハイキングをしているのを見た、と主張し、現場のさらなる捜索に拍車をかけた[8]

11月20日に、マウント・トム近くのホワイティング・ピーク(Whiting Peak)で働いている電話架線作業員が、コーベットに似た若い女に銃でおどされていると報告した。その女は食べ物を要求し、その後森の中に逃げ込んだ。12月前半に、或る住人が、コーベットの失踪のころに、マサチューセッツ州ハドリー(Hadley)のコネチカット川に向かって堤防を歩いている「黄色の防水レインコートを着ている」(“wearing a yellow slicker”)少女を見たと主張しながら、申し出た。警察はこの報告を、川の同じ水域に浮かんでいる黄色の防水レインコートのもっと以前の目撃と関連づけた[9]。12月13日に、州警察の巡査ジョセフ・V・デイリー(Joseph V. Daley)は、自分はコーベットが「さまよった」と信じて死んでいると信じている、と述べた[9]

事件の広範な知名度もまた、虚偽の報告と捏造を生んだ。1925年12月に、警察と新聞は、この事件について「多数の」("many")脅迫状を受け取った、と報じた[10]。1926年3月に、ニューヨーク州トロイ(Troy)の或る住人は、自分の下宿で雇われたメイドがコーベットであると主張しながら、2度懸賞金を集めようとした[11][12]。4月に、或る中年女性が、コーベットであると主張しながら、マサチューセッツ州チェシャーの警察に出頭した[13]。5月に、コーベットが書いたとされるびん入りのメッセージが、ノーサンプトン近くのコネチカット川から回収された。このメモは、コーベットがマサチューセッツ州ホールヨークのスミスズ・フェリーの近くの洞窟複数で捕らえられていたことを示していた。警察はこの事件を捏造だと信じたいっぽうで、彼らはその地域を捜索したが、しかし新しい証拠を発見しなかった[14]

マサチューセッツ州西部の都市部、森林地帯、および水路の捜索が、1926年春から夏に続けられた。1月に、ジェームズ・コーベットは、コネチカット川を捜索するために或る船頭の助力を得たし、7月に、ノーザンプトンとその周辺のさまざまな工場の運河が毎年のメンテナンスのために排水されたために、コーベットの身体と衣服が捜された[15][16]。1927年10月に、ジェームズは狩猟季の開始時に懸賞金1000ドルを公表することによって、荒野地域の捜索活動を再開した[17]

余波

コーベット事件への関心は、1928年にスミス・カレッジの別の学生フランシス・スミス(Frances Smith)が1月13日にキャンパスの彼女の住居から姿を消したとき復活した[18]。1929年3月に、スミスの遺体はマサチューセッツ州ロングメドー(Longmeadow)近くのコネチカット川から回収されたが、公式の死因は報告されなかった[19]

1933年に、ニューヨーク市の或る男が1925年にハドリーに住んでいたときコーベットを殺害したことを告白した。彼はのちに取り消したし、警察は捜査ののち、彼の自白を虚偽として却下した[20]

1936年に、ノーザンプトンの浅い墓で発見されたヒトの骨は、コーベットのものではないかと疑われたが、しかし歴史上重要なアメリカ先住民の遺物と特定された[21]

脚注

  1. ^ a b c d e “Smith College Girl Vanishes Strangely”. United Press. Press and Sun Bulletin. (1925年11月14日) 
  2. ^ “Posses Seek Missing Smith College Girl”. Associated Press. The Boston Globe. (1925年11月16日) 
  3. ^ “All Clues Fail in Hunt for Missing Utica Girl, Smith College Student”. Associated Press. Ithaca Journal. (1925年11月19日) 
  4. ^ a b c “Fail in Search for Missing Girl”. Boston Globe. (1925年11月17日) 
  5. ^ “Exonerate Youth of Complicity in Disappearance of Lost College Girl”. Associated Press. Buffalo Courier. (1925年12月13日) 
  6. ^ “Search for Smith College Junior”. Associated Press. Burlington Free Press. (1925年11月16日) 
  7. ^ “Search for Smith Girl Centers in Easthampton”. Boston Globe. (1925年11月17日) 
  8. ^ “Missing Girl Student Thought Seen on Mt. Tom”. Associated Press. Boston Globe. (1925年11月21日) 
  9. ^ a b “Missing Girl Seen on River's Bank”. Associated Press. Buffalo Courier. (1925年12月14日) 
  10. ^ “Many Crank Letters About Alice Corbett”. Associated Press. Burlington Free Press. (1925年12月4日) 
  11. ^ “Alice Corbett Thought in Troy”. Associated Press. Oneonta Star. (1926年3月10日) 
  12. ^ “Domestic Not Alice Corbett”. Associated Press. Boston Globe. (1926年3月12日) 
  13. ^ “Tells Queer Tale to State Police”. North Adams Transcript. (1926年4月17日) 
  14. ^ “Alice Corbett Sends Plea for Help”. Associated Press. Buffalo Courier. (1926年5月2日) 
  15. ^ “Father Engages River Man to Help Search for Alice Corbett”. Associated Press. Fitchburg Sentinel. (1926年1月21日) 
  16. ^ “Canals to be Drained in Renewed Search for Missing College Student”. Associated Press. Fitchburg Sentinel. (1926年7月30日) 
  17. ^ “Again Seek Body of Alice Corbett”. Associated Press. Hartford Courant. (1927年10月20日) 
  18. ^ “Alice Corbett Mystery Two Years Later”. Associated Press. Boston Globe. (1928年1月16日) 
  19. ^ “Police Certain Body That of Frances Smith”. Associated Press. Press and Sun Bulletin. (1929年3月30日) 
  20. ^ “Recants Confession to Murder of Girl”. Associated Press. Boston Globe. (1933年11月25日) 
  21. ^ “Skeleton Not Alice Corbett's”. Associated Press. Fitchburg Sentinel. (1936年3月31日)