アディオス・ノニーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Addbot (会話 | 投稿記録) による 2013年4月9日 (火) 10:56個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 4 件をウィキデータ上の d:q2158791 に転記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

「アディオス・ノニーノ」Adiós Nonino)は、アルゼンチンの作曲家、バンドネオン奏者アストル・ピアソラ(1921-1992)の初期の作品である。

作曲の経緯

1958年、ピアソラはそれまでの活動にマンネリを感じ、ブエノスアイレスを出てニューヨークに移住した。しかし、約束された仕事はなく、活動はまったく期待外れだった。経済的に困窮したピアソラは、食べるためにナイトクラブでタンゴダンスショーの伴奏をしていた。

1959年10月、ファン・カルロス・コーペス舞踏団とともにプエルトリコ巡業中、父親ビセンテ(愛称ノニーノ)が故郷で亡くなった知らせを受けた。しかし、ピアソラにはアルゼンチンに帰る旅費がなかった。ニューヨークに戻り、失意のなかで亡き父に捧げて作曲したのが「アディオス・ノニーノ」である。

演奏・編曲

「アディオス・ノニーノ」には、さまざまな編曲による演奏が残されている。初録音は、キンテート(五重奏団)によるスタジオ録音(1961年)で、かなりオーソドックスな演奏である。その後1969年に、ピアノのカデンツァをフィーチャーしたキンテート用の編曲が発表された。他にも、さまざまな編成のための編曲がみられる。1980年代のものは、1969年の編曲をもとに、カデンツァ部分をシーグレル(ピアノ)用に書き直したものと言われている。

ステージでの即興演奏を好んだアストル・ピアソラは、アルゼンチン・タンゴの演奏家としては珍しくライヴ・レコーディングや映像を多く残している。

  • 「ライヴ・イン・トーキョー」(1982年録音)
    • 「アディオス・ノニーノ」「ブエノスアイレスの冬」「ラ・クンパルシータ」(歌:藤沢嵐子)などを含む16曲。
  • 「ライヴ・イン・ウィーン」(1983年録音)
    • 「アディオス・ノニーノ」「ブエノスアイレスの夏」「リベルタンゴ」などを含む8曲。

外部リンク