アタナス・フーシェ

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アタナス・フーシェ
Athanase Fouché
第4代オトラント公
在位 1878年 - 1886年

出生 (1801-06-25) 1801年6月25日
死去 (1886-02-10) 1886年2月10日(84歳没)
配偶者 パルムスティエルナ女男爵クリスティーナ
  アデレード・フォン・ステディング
  フロニカ・マルクス
子女 ポーリーヌ
グスタフ
家名 フーシェ家
父親 ジョゼフ・フーシェ
母親 ボンヌ=ジャンヌ・コワニョー
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アタナス・フーシェAthanase Fouché1801年6月25日1886年2月10日)は、第4代オトラント公爵英語版。フランスの革命期の政治家ジョゼフ・フーシェと、その最初の妻ボンヌ=ジャンヌ・コワニョーの三男。兄アルマンの死によりオトラント公爵を継承した。

生涯

兄たちとともに、ナポレオンの将軍ベルナドットが王となったスウェーデンに移住し、軍人、議員、次いでベルナドットの息子のスウェーデン国王オスカル1世狩猟長官となった。

最初にパルムスティエルナ女男爵クリスティーナと、次にアデレード・フォン・ステディングと、さらにフロニカ・マルクスと結婚したが、このうち二人目のアデレードとの結婚で、ジョゼフ・フーシェの血統を残すこととなった。 また、オトラント公爵家は、王族ではない公爵として、スウェーデンに定着した。

家族

  • 妻:パルムスティエルナ女男爵クリスティーナ(1799年 - 1826年)
  • 妻:アデレード・フォン・ステディング(1802年 - 1863年)
    • 子:ポーリーヌ(1839年 – 1906年) - ビエルケン伯爵夫人
    • 子:グスタフ(1840年 – 1910年) - 第5代オトラント公爵
      • 孫:シャルル・ルイ(1877年 – 1950年) 第6代オトラント公爵
        • 曾孫:グスタフ(1912年 – 1995年) - 第7代オトラント公爵
          • 玄孫:シャルル・ルイ(1986年 – ) - 第8代オトラント公爵
  • 妻:フロニカ・マルクス(1847年 - 1887年)
先代
アルマン
オトラント公
1878年 - 1886年
次代
グスタフ