水野銈治

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水野 銈治
生誕 日本の旗 日本 愛知県
軍歴 1911 - 1942
最終階級 憲兵少佐
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水野 銈治(みずの けいじ)は、日本の軍人。最終階級は憲兵少佐

概要[編集]

1941年に第2野戦憲兵隊の分隊長としてマレー作戦に参加、1942年2月、シンガポール占領後のシンガポール華僑粛清事件で指揮をとる。1942年に第25軍憲兵隊昭南東分隊長を務めた後、召集解除。1948年3月、同事件の戦犯裁判で戦勝国のイギリス軍から終身刑を言い渡される。[1]

経歴[編集]

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脚注[編集]

  1. ^ この記事の主な出典は、茶園 (1989, p. 214)および大西 (1977, p. 124)
  2. ^ a b 茶園 1989, p. 214.
  3. ^ 以上特に断わりのない場合は大西 (1977, p. 124)による。

参考文献[編集]

  • 茶園, 義男 著、茶園義男 編『シンガポール英軍法廷・華僑虐殺事件起訴詳報』不二出版、1995年。 
  • 茶園, 義男 著、茶園義男 編『BC級戦犯英軍裁判資料』 下、不二出版、1989年。 
  • 大西, 覚『秘録昭南華僑粛清事件』金剛出版、1977年4月。