Wikipedia:コメント依頼/ゴンベイ

ゴンベイさんのノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かノート:世界システム論および利用者‐会話:ゴンベイでの言動について、コメントを依頼します。--コータ 2008年3月14日 (金) 16:15 (UTC)[返信]


これまでの経緯[編集]

ゴンベイさんは、ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かおよびノート:世界システム論において、英語版Wikipediaの記事、en:Immanuel Wallersteinおよびen:World-systems theory、それらを参考に変更したイマニュエル・ウォーラステインの内容を根拠に自説を展開されています。自説の内容は、「世界システム論は国際関係論である」、「日本の学者(歴史学者)は信用できないから出典にはできない」などです。また歴史学などの内容をもとに「歴史観=歴史理論」とも主張されています。再三にわたるKanbunさんや私(コータ)よる出典提示要請にも応じていただけません。また、ゴンベイさんの主張に対して示してこちらから示した反証については、「日本の学者は信用できない」という自説により根拠を明らかになさらぬまま有効性を否定されています。同じ理由から世界システム論に対して「正確性」「国際化」テンプレートの貼り付けを繰り返し行っています。 また、利用者‐会話:ゴンベイでのコメントの移動と除去を巡って、Kanbunさん、Ks aka 98さん、IPユーザー氏との間でリバートが繰り返されました。


論点[編集]

Wikipediaの情報を元に編集や議論を行うことの是非[編集]

イマニュエル・ウォーラステインを編集された際もそうですが、世界システム論を国際関係論と主張されたり[1]、歴史観と歴史理論がイコールと主張される[2]際など、ゴンベイさんは議論の根拠としてWikipedia上の情報を用いていること多いように見受けられます。Wikipedia:信頼できる情報源という問題も勿論ありますが、「Wikipedia世間では「歴史理論=歴史観」とされている」[3]という発言のように、実際に正しいのかどうかを棚上げし「Wikipediaではこうなっている」と主張することは百科事典をつくるという目的に添っているのか、疑問に思えます。(そもそもゴンベイさんが示されたWikipedia上の根拠にしろ、全ての歴史理論と歴史観が網羅されていない以上、歴史理論と歴史観が集合的に重なる部分を持つということを示唆するのみで、完全に同じものだとは言えないと思うのですが)

出典の必要性[編集]

上述のようにゴンベイさんは主にWikipedia上の情報を論拠としており(ニュージーランドでの実体験をもとに主張されたこともありますが[4])、相手側にはウォーラステインの著書に限定した出典を要求しながら[5]、ご自身は出典となる文献を一切提示されていません。

典拠の恣意的な選択について[編集]

ゴンベイさんは出典に関して、日本の歴史学者による文献の有効性を否定されています[6] [7]。「日本における世界システム論の受容を歪めたと私が思っている」[8]のが理由とのことですが、具体的に誰がどのように歪めたのかといった説明はなく、そもそも本当に歪めたのかどうかも、典拠が示されず不明なままです。このような、ゴンベイさんの主観的な評価によって出典の可否を決することは許容されるべきでしょうか。

ユーザーノートにおけるコメントの移動[編集]

利用者‐会話:ゴンベイにKanbunさんが書き込まれた文章をゴンベイさんが移動した[9]ところ、リバート合戦に発展しました。数度の応酬の後Kanbunさんからリバートと同時に、書き込みは移動すべきでないとの注意が書き込まれました。この書き込みは次のゴンベイさんのリバートによって削除されてしまいました[10]。次のKanbunさんのターンでは新しい注意文が追加されましたが[11]、ゴンベイさんのターンで削除されました[12]。Kanbunさんに代わり、Ks aka 98さんがKanbunさんの書き込みを復帰し[13]、新たな注意を書き込みましたが[14]、Kanbunさんの書き込みもろとも次のゴンベイさんのターンで削除されてしまいました[15] [16]。その後IPユーザー219.207.246.17さんが差し戻し[17]、ゴンベイさんが削除し[18]、219.207.246.17さんが更に警告を追加[19]した所で、Ks aka 98さんが止めに入ったのですが[20]、結局ゴンベイさんにより削除されました[21]。この後、さらにネッツさんも加わりリバートの応酬が続いた後、現在に至ります。Wikipedia:管理者伝言板/荒らしに書き込まれたゴンベイさんの言によると「禁止されていない削除編集に対しての不当な介入行為です。不当な行為による警告も削除に価します」とのことです[22]が、まずユーザーノートにおける書き込みの移動は適切でしょうか。また移動に対する注意の削除は妥当でしょうか。さらに削除に対する警告の除去についてはいかがでしょうか。

以上、コメントをお願い致します。

参考リンク[編集]

補足[編集]

依頼者コータです。Kojidoiさんより「ゴンベイ氏の議論姿勢の何を問題視されなくてはならないのかよく理解できません」との指摘を頂きましたので補足させていただきます。

一つめの論点につきましては、Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義の「情報源」にある「ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません」との規定に反するのではないか、ということです。なお、参考までに付け加えますと英語版Wikipediaの記事、en:Immanuel Wallersteinen:World-systems theoryには、国際関係論かという点について両記事に整合性はありません。"international relations-theory"とあるのはen:World-systems theoryのみで、en:Immanuel Wallersteinでは国際関係論の文字はなく、「国民国家に限らない」と書かれています(Theoryの節です)。
二つめの論点につきましては、直接出典となる情報源を挙げていただけないことがWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性に反するのではないか、ということです。
三つ目の論点につきましては、詳細や根拠を示さず「日本における世界システム論の受容を歪めたと私が思っている」との理由で、日本の歴史学者による文献を一律に拒否されたり、一方的に「正確性」「国際化」テンプレートを貼ることが、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:ウィキペディアは何でないか「事実の暴露や報道をする場所ではありません」(事実だとしたら、ですが)に反するのではないか、ということです。
四つ目の論点につきましては、書き込みの移動と注意の削除を巡るリバート合戦と、リバート合戦の理由によってはリバート合戦に対する第三者の注意・警告を削除することは許されるのか、ということを分けてお考え下さい。ゴンベイさんとKanbunさんが書き込みの移動とそれに対する注意の削除を巡るリバート合戦は評価の分かれる所かと思いますが、その後にリバート合戦に対する219.207.246.17さんやKs aka 98さんの注意まで削除することまで妥当であったのか、ということです。

その他、ご不明の点等御座いましたら、ノートにてご質問下さい。 --コータ 2008年3月16日 (日) 01:39 (UTC)[返信]


コメント[編集]

依頼者からのコメント。世界システム論の歴史理論か否かについてですが、歴史理論とするべきでないという見解について、然るべき根拠を示していただければ、別の言い回しを探すくらいはできます。が、一向に文献を示していただけなかったり、「歴史観と歴史理論がイコールか」といったことをWikipediaの記事をもとに論じられたのでは、譲歩の条件を切り出すことすらできません。日本の歴史学者が世界システム論の受容を歪めた、という件についても、被依頼者が思うというだけでなく、きちんとした根拠を示してください。これまでの議論からでは、被依頼者がウォーラステインの著書を読んだ上で議論に望んでいるのかどうかも、確証が持てません。--コータ 2008年3月14日 (金) 16:36 (UTC)[返信]

自身の会話ノートでは一般の記事のノートよりも幅広い編集裁量が認められているはずです。コメントの除去すら許容されています。特に本件でゴンベイ氏が実行し騒ぎの発端となった行為は、コメントを隣の節に移動しただけのことですね。推測するに、おそらく歴史論の議論そのものと「告知」とを分けたかったのでしょう。理解できない考えではありません。これに関してはゴンベイ氏の編集をリバートしたり文句をつけている側のほうがはるかに強引で非難に値するように思えます。
1番目の論点については、私は専門外なのでどちらの主張が妥当なのかは分かりませんが、少なくとも、複数の見解がありえる案件について wikipediaの他の既存の記事との整合性を考慮してとりあえず一方を採用しようというのはひとつの現実的な選択肢ではないでしょうか。
結論として、ゴンベイ氏の議論姿勢の何を問題視されなくてはならないのかよく理解できません。彼の主張内容については知りません。当該記事のノートで存分に議論なさってください。適切に議論すれば、ゴンベイ氏自身が納得しようとしまいと落ち着くべき結論に落ち着くことでしょう。Kojidoi 2008年3月14日 (金) 21:51 (UTC)[返信]
4番目の「ユーザーノートにおけるコメントの移動」についてコメントします。「利用者の会話ページ」を見やすく整理したいという動機は不自然には感じません。既に先のコメントで指摘されていますがWikipedia:ノートページでの慣習的な決まり#利用者の会話ページにも「利用者自身の会話ページではより幅広い自由裁量が認められています」とあり、「記事のノートページ」とは事情が違います。でも単純に移動すると「上記ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かで・・・」の"上記"が意味不明になって具合が悪いように思いますし、心情的には「何故移動するのか分らない」のでリバートしたという気持ちは理解できます。その裏には「もしや順番を入れ替えて過去のことにしてしまって、回答しないつもりでは?」という不安があったのかもしれません(ただし、他の利用者の会話ページに書き込んだコメントの場所に拘ってリバートを繰り返すより、コメントに対する回答が実行されることに拘った方がよかったと思います)。その後、他の方のコメントや警告の除去につながっていますが、これらは望ましくないことで、例え不当な警告であっても除去ではなくて、慎重に別の解決を探すとよかったと思います。いつもより気持ちリラックスして、誠実に対話できたらよいのですよね。Sina 2008年3月15日 (土) 00:25 (UTC)[返信]
自信の会話ページでは一般の記事のノートよりも編集裁量が認められているのは確かですが、しかしそれは相互に尊重し合ってこそのものではないでしょうか。私には被依頼者はあまりに安易に他者のコメントを移動しているように思えます。またリバートも安易に行っているため、リバートとともに追加されたコメントを除去してしまっているのではないでしょうか。コメントの移動は被依頼者にとっての都合のみで行っており、その行為が他者にどう見えるのかという観点が抜け落ちているように思われます。そういった観点があれば、リバートを繰り返すことなく(いやそもそもリバートなどせず)コメントによって周囲に理解を求めることもできた筈です。その意味において、被依頼者はWikipediaの基本方針(特に他の参加者に敬意を払う)の理解が不十分ではないかと危惧する次第です。-- 2008年3月15日 (土) 02:21 (UTC)[返信]
「相互に」尊重しあわないといけないわけです。ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かを見ると、kanbunさんは自分の観点に拘った質問を再々投げているわけですが、ゴンベイさんにしてみればそれは議論の文脈を外した問題提起であり、かつ必要充分に対応済みという認識であり、議論を一方的に強要されていると写っているのでしょう(3月12日ごろのやり取りを参照)。そこにさらに会話ページへの「不当な介入」が起こったものだから、心証は一気に最悪になりああいう対処になったのでしょう。私にはkanbunさんの発言にも自分とは観点をことにする他者への配慮が足りなかったと思えます。リバート合戦については、確かにベストな対処方法は別にあったとはいえますが、ゴンベイさんが他者の尊重が足りないとして責められるのは酷だと私には思えます。さらに、荒らしの警告だの管理者掲示板への報告だのはどう考えても過剰反応です。Kojidoi 2008年3月15日 (土) 05:11 (UTC)[返信]

(コメント)当事者として簡潔に説明させていただきます。私がゴンベイさんの行動で問題だと思う点は以下の3点です。

  1. ウィキペディアにおける共同編集という観点の無さ(他執筆者への配慮の欠如)
  2. 中立的な観点に対する誤解
  3. ウィキペディアにおける「独自研究」の定義への無理解(自身の情報に出典を示さない・中立的な観点を理解していない)
1.については、他利用者の発言を[23]のように説明もなしに移動したり、[24]のように要約欄に挑発的な文言を入れてrevertするのは明らかにウィキペディア上の礼儀として認められるものではないと私は考えていますし、これについて異論がある方がいるのでしたら、是非その意見を拝聴させていただきたい。他者の発言を理由なく移動したり削除しないというのはウィキペディアでの長い伝統に基づくもので、wikipedia:荒らしを見ても明白な荒らし行為であると定義されています。また警告の除去は基本的に認められません。ゴンベイさんは警告も併せて除去されていますので、明白な荒らし行為かと思われますし、そもそも今回のゴンベイさんの行動は私には明白な「対話拒否」に見えます。
2.について。ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かのなかで、私が回答を求めたのは、ゴンベイさんの情報の出典であり、Kojidoiさんが「kanbunさんは自分の観点に拘った質問を再々投げているわけですが」などというのははなはだ事実と異なります(私は自分の観点の話はしていません)。このような質問はウィキペディアの議論において普通に行われることです。というか、出典もなしに自己主張しているゴンベイさんの態度はいたずらに議論を混乱している気がしましたので、私はそれに出典を求めたわけです。そもそも出典がないとゴンベイさんの自己主張は記事内容に含めることもできないのですから、これは当然の行動であると私は考えています。それに対して、ゴンベイさんは情報の出典を明かさないばかりか、[25]で自身のオセアニアでの体験談を示すなど、根本的にウィキペディアで扱われる情報というものについての無理解が散見されます。これは明らかにウィキペディアでの「中立的な観点」というものを理解しておりません。
3.について。以上の点からそもそも「独自研究」についてもゴンベイさんはちゃんと理解しているのかはなはだ疑問です。私が特に危惧するのは[26]の編集で「経済発展段階説は既に否定された歴史理論の要素を含むですが、ウォーラステインの寄与はそれらが個別の地域・国において世界経済と無関係に単線的に成立するものでないことを理論だてたことにあります。彼の世界史批判とされるものの肝ここにあり、近代において一国史を世界と切り離して記述することへの批判こそ重視されるべきであって、日本の世界史学者や教育者による受容は自らの関心事に引き付け過ぎた理解だと思います。また、彼が世界史学者でないことは、皮肉にも本項でのように世界史を記述することに全く傾注していないことが端的に証明していると思います。」などと出典もなしに滔々と語ったり、[27]では、一方的に「ウォーラステインは思想的にはポスト・マルクス主義者或いはネオ・マルクス主義者に分類され、世界社会フォーラムに積極的に関わり、第三世界のアルテルモンディアリスムの影の指導者といわれていますが、その説を文部科学省が諸手をあげて受け入れていると考えるのは、彼の説が世界経済フォーラムに集う世界資本主義の担い手から批判されている現実を知らなさ過ぎるナイーブな意見だと思います。」などと述べ、「世界経済の分業構造の関係よりも搾取・被搾取の関係を強調する見方に立つと説明できないことが結構あるのではないでしょうか。」などと出典もなしに語っています。(ちなみに私はウォーラーステインの思想傾向とかについては、一切質問しておらず、聞いたのはただ「世界の一体化が世界経済を搾取関係で描いたのが独自観点というのは、どういう観点から言っているのか、出典を示して説明してほしい」「歴史理論と歴史学方法論が違うというのはどういう意味か出典を示して説明してほしい」と質問しただけです。)こういうことを出典もなしに語る方がよほど私には「ナイーブ」なことのように思われるのですが、皆さんいかがでしょう?「ウォーラーステインを歴史学者と見ていらっしゃる皆さんより彼の政治的活動について広く知っていると思います。」などと言っていますが、これこそ独自観点の極みではないでしょうか。--Kanbun 2008年3月15日 (土) 07:15 (UTC)[返信]
このKanbunさんに対するKojidoiさんのコメント、およびそれに続く一連の議論はノートに移動させて頂きました。--コータ 2008年3月17日 (月) 09:36 (UTC)[返信]


(当事者としてコメント)私の最初の差し戻しをする前の時点で、ゴンベイさんは3RR違反が成立していました。これは利用者‐会話:ゴンベイ の変更履歴を見るとわかるのですが、2008年3月13日 (木) 15:13に1回目、2008年3月13日 (木) 15:18に2回目、2008年3月13日 (木) 15:52に3回目、2008年3月13日 (木) 16:15に4回目のrv(いずれもUTC)を行っています。このうち1回目に関しては、厳密にはコメントの移動にはなっていますが、短時間にゴンベイさんの2008年3月13日 (木) 15:13の版への差し戻しを強行していたため、前者が適用されない場合は単純なWikipedia:Three-revert rule違反、適用される場合でも後者を理由としたWikipedia:Three-revert ruleの極端な場合に当たると判断し、Wikipedia:管理者伝言板/3RR利用者‐会話:ゴンベイ報告しました。
その後の差し戻しは、その警告を除去したことに対する再警告と差し戻しです。--219.207.246.17 2008年3月15日 (土) 17:35 (UTC)一部修正--219.207.246.17 2008年3月15日 (土) 17:38 (UTC)[返信]
(被依頼者コメント)利用者:219.207.246.17会話 / 投稿記録 / 記録のIP-User氏は2007年9月のアクセス開始からその履歴は現時点で既に1100回を超えていますが、当初から具体個別の記事の編集が目的ではなく、ウィキペディア・ルールの守護者を自認したかのように自警団活動をもっぱらにし、個人ノートに警告表示を貼りまくっています。ウィキペディア内の各種決定において賛否を投じられるアカウントをとって実績の上に管理者権限を取得されたがよかろうと思いますが、アカウントは既にお持ちなのに匿名性を利用して別途の活動なのでしょうか。私の個人ノートに対して同じようにリバートをかけWikipedia:管理者伝言板/荒らしに報告された高校生の利用者:ネッツ会話 / 投稿記録 / 記録氏はまだ理解できますが、IP-User自警団氏の存在は私には奇特というよりウィキペディアの奇妙、それ以上に奇奇怪怪で、管理者の管理行動に伴う一部のコメントが乱暴であるとの議論もありますが、アカウントを特定できないIP-Userによる警告表示こそ極めて乱暴である、それこそWikipedia:礼儀を忘れないにもとるものと感じられました。--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 03:29 (UTC)一部追加--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 03:54 (UTC)[返信]
雑草とりを主体に活動している利用者に喧嘩を売っているのですか? こういったコメントは個人攻撃と判断できるのではないでしょうか。-- 2008年3月16日 (日) 04:24 (UTC)[返信]
(被依頼者コメント)私が自身の会話ページで行った編集行為をIP-User氏が3RR成立すると見るならKanbun 氏も同じのはずですが、IP-User氏が私にだけ警告してKanbun氏にしなかったのはIP-User氏のダブルスタンダードです。--ゴンベイ 2008年3月18日 (火) 00:45 (UTC)[返信]

(コメント)長いですけれど。

  • 一つめの論点:よくわからない人同士の議論や、日本における紹介のされ方が十分でない題材などを扱う上で、仮に他言語版も含むウィキペディアの他の記事を参考にすることは、やむをえないと思います。しかし、ウォーラーステインおよび世界システム論に関しては、相応の邦訳や論文があり、英語版のウォーラーステインの記事は検証可能性を満たさない記事であることから、明らかに信用できる記事であるとみなすことは難しく、他の情報源を参照する必要があると思います。
  • 二つめの論点:独自研究や検証可能性の方針は、必ずしもノートの議論のすべてに求められるものではないと考えますが、本文の記述にかかわるものであれば、議論の内容によって必要とされるでしょう。
  • 三つめの論点:ノートで、自分の見解を述べる分にはかまわないと思いますが、上で述べたのと同様に、記事の内容に関る議論のなかでは、根拠は求められるでしょうし、名誉毀損等の観点からも不用意な発言は避けるべきです。また、ウィキペディアの参加者によって、学術的な研究を否定することは、他の学術的な研究を根拠に行わなければなりませんし、その上で中立的な観点を考慮した記述を行う必要があります。
  • 四つめの論点について。
    • 会話ページだからといって、先行する議論があって、その当事者の書き込みを当事者が合意できない状態で移動すれば、揉めるに決まってるんですから、移動や除去はするべきではありません。方針文書の厳密な解釈を云々する以前の問題でしょう。明らかないたずらや個人攻撃であれば、話は別ですけれど、今回のKanbunさんの質問への回答を求める書き込みは、問答無用で荒らし扱いするべきものではないと思います。今回の事例はさておき、一般に、当事者間の議論では、実際に相手が荒らしとみなすべきだけれども、もっともらしい意見を振りかざしてくるような場合もあるでしょうが、少なくとも、ぼくやIP氏が加わった時点で、移動や除去は慎むべきだったと思います。
    • 議論の文脈に沿わない、とは、ぼくも感じましたし、ですから、Kanbunさんに抑制をお願いしました。また、議論の経緯からは、それまで対立していたGreenland4さんが、ゴンベイさんの意見にいちおうの理解を示した状況だったということも、Kanbunさんの追求を留めた理由です。しかし、会話ページで、今後の議論のためにゴンベイさんの歴史理論認識を確認すること自体は、妨げられるものではないでしょう。ゴンベイさんが、自分が書いた内容について、情報源を挙げることは難しくないはずですから、会話ページで応えていればよかったと思います。
    • なお、IPユーザーは、履歴を追いにくいなどの問題はありますけれど、個々の投稿や意見において、IPユーザーとアカウントユーザーを区別すべきではなく、また個別記事の編集以外の活動も、記事執筆同様、その振る舞いに問題がなければ、ウィキペディアの運営には必要不可欠な活動です。
  • 根本的な問題として。
    • ゴンベイさんは、まだウィキペディアの各種の方針などに不慣れであるように感じます。不慣れである事で論争を巻き起こるのは、やむをえないところもありますが、ある記事の内容について自分の知識が十分あるとしても、意見を述べたり編集したりする場合には、既存の方針や運用事情などについては、他の人の意見に耳を傾ける姿勢を望みます。
    • ゴンベイさんが記事のノートで行っている指摘には、首肯できる部分もあります。ゴンベイさんは「独自研究」であるという意見をノートで述べています。この指摘は、的を射ていると思うのですけれど、ノートに書かれた「改定案」もまた、ウィキペディアで言う「独自研究」に留まり、検証可能性を満たさないものとなっています。日本語の文献が信頼できないならば、英語の文献でもいいから、きちんと出典を加えていかなければならない。検証可能性や独自研究の方針を完全に守ることは難しいですし、日本語版ではまだまだ定着していませんから、それ自体は構わないのですけれど、それを理由に他者を批判するのであれば、自分が書く場合には、ある程度は守っていただかなければ、他の執筆者からの反発を招くだけなのです。現状の記事に問題があるならば、自分で圧倒的に優れた記事を投稿する、自分なりに改善していく、ということが、まずは求められるのであって、執筆しない/できないのならば、既に参加している執筆者に対して、記事が抱えている問題点を理解し、参照すべき文献などを紹介した上で、丁寧に改善をお願いするなど、他の執筆者の意欲を損ねず、むしろ促進させるような配慮がなければ、記事は改善されず、コミュニティは荒廃するばかりです。ウィキペディアは、専門家ではないけれど、多くの参加者によって共同作業で、百科事典を作り上げるプロジェクトなのですから。

というわけで、難しい議論は後回しにして、議論を興すならば、執筆者への配慮をしながら、記事の改善への道を示すような形で、あるいは英語の文献なども参照して記事を改善したり新たに立ち上げたりするか、信頼できる英語版などの記事の翻訳をするなどの形で、ウィキペディアに貢献していただければと思うのでした。--Ks aka 98 2008年3月16日 (日) 06:16 (UTC)[返信]

(コータ氏の「補足」に対して)

  • リバート合戦と警告文削除を分けて考えろということですが、前者の、というかリバートの妥当性を考えずして注意削除の妥当性だけを評価できるものでしょうか? 警告の形を取っていればそれがどんな内容のものであれ温存されるべきなのでしょうか? 私にはこの警告を貼り付けた行為自体がルールブックを表面だけなぞった所謂お役所仕事的な所為としか思えません。
  • ゴンベイさんの対話姿勢にも問題があったことは確かだと思います。しかし、kanbunさんの反応にも理解困難な部分があり、控えめにいっても「どっちもどっち」。発言をトピック別とか時系列別とかに並べ替えることはいろいろなノートページで実行されていることです。さらに会話ページの性質を考えれば、コメントをちょっと上の段に移動した程度で嫌がらせとか騒いでいるkanbunさんの反応は明らかに過敏反応です。あのように過敏な反応をされれば、されたほうの反応も荒くなるでしょうよ。まあ一言「移動するよ」と断りのコメントを入れるくらいのことはしたほうがよかったですが。Kojidoi 2008年3月16日 (日) 06:41 (UTC)[返信]
私の行動については別してコメント依頼を立ててやってください。ここではゴンベイ氏の行動についてのコメントに集中していただけませんか?--Kanbun 2008年3月16日 (日) 09:04 (UTC)[返信]
私は一貫してゴンベイ氏の行動についてのコメントを続けています。説明の都合上あなたの言動にも言及することになっているだけです。Kojidoi 2008年3月16日 (日) 11:47 (UTC)[返信]

会話ページの編集に関することのみコメントします。被依頼者による最初の編集はWikipediaの慣習として許容される範囲内であったと見なすこともできると思います。ただこうした議論では発言の位置を変更すると発言自体のニュアンスが変わってしまうというのはよくあることで、これをリバートしたKanbunさんの編集も理解できることです。以上2件の編集はどちらも問題はなかったと考えます。
これに対し被依頼者が「余計なお世話」と述べて再度リバートしたのはいかなる理由であれ編集合戦は避けるべきだというWikipediaにおける合意に反するのみならず、一般的な議論のマナーにも反する行為だったと思います。発言した当の本人が不服を申し立てている以上、移動をやめるか、再度移動を行うのであればそれが必要である合理的な理由を説明するのが当然のマナーでしょう。そしてこれに引き続いて常軌を逸した編集合戦を行い、またその過程でKanbunさん、Ks aka 98さん、IPさんによる警告を除去したのは極めて重大なルール違反です。
また被依頼者はこのIP利用者の会話ページにおいて自身が常軌を逸した数のリバートを行ったことを棚に上げ、またこのIPさんの編集が単純なリバートではなく警告メッセージを加えていることを無視して3RRの警告を行っていますが、これはこうした議論では避けなければならないダブルスタンダードに該当します。そしてこのIPさんとネッツさんのことをWikipedia:管理者伝言板/3RRに報告していますが、これは報復を目的とした方針違反の依頼です。
また被依頼者はWikipedia:管理者伝言板/荒らしにおける報告に対して初回の自身の編集が正当であったと説明していますが、このことは被依頼者がいかなる理由であれ編集合戦は避けるべきだという合意を理解していないことを露呈しています。またこれにコメントしている方はこうした経緯を十分把握した上で発言しているはずなのに同じ説明を何度も繰り返すのはコミュニティーを疲弊させる行為だと思います。
さらに被依頼者は本依頼ページでもIPさんの発言権を軽んじるコメントをしていますが、これはWikipediaではIPユーザーであっても平等の参加資格を持つことへの理解が足りないことを露呈しています。
以上のことを総合的に考えると、議論の発端になった項目についての被依頼者の見識がどれほどのものであるかは存じませんが、被依頼者はWikipediaが全ての利用者に無差別平等の参加資格を認めて共同作業を行うプロジェクトであることを十分に理解していないと結論づけるのに十分ではないかと思われます。
当該項目の編集には関わるつもりはないのでどうでもいいのですが、会話ページにおける被依頼者の行為が悪しき前例となって慣例化するのは嫌なので敢えてコメントさせていただきました。--sergei 2008年3月16日 (日) 15:21 (UTC)文言追加--sergei 2008年3月17日 (月) 12:48 (UTC)[返信]

(被依頼者コメント)(お断り:このコメントは2008年3月16日 (日) 12:54(JST)までに投稿されたコメントを元に書き起こされ、依頼者コータ氏による#補足を読む前に書き終えたものです。)

この依頼は複数のページに及ぶ込み入った分かり難いものです。依頼者コータ氏はご自身が守り役となっているノート:世界システム論ノート:世界システム論#世界システム論は「歴史」理論か」節での議論に、私が同主題に言及したコメントを既にしているからと参照をお願いしたのに対してコータ氏ご自身は全く関心がないとおっしゃていた「ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何か#「世界の一体化」は独自観点による独自研究」での議論を持ち出してきた上に、個人ノートにおける編集行為を合わせることで「合わせ技一本勝ち」、「世界システム論」記事に対する私の議論展開を不当なものと否定し、ご自身の自説である世界システム論を歴史(学)理論と評価することが唯一絶対であると論じたいとの意図を強く感じます。世界システム論が歴史理論であるかどうかについてノート:世界システム論で行うように二度にわたりお願いしたにもかかわらず参加を拒否されたKanbun氏もコータ氏と同じように考えていらっしゃるようです。世界の一体化での議論に参加されているKojidoi氏がご指摘のとおり、個々の記事の内容に関する議論については当該ノートで展開すべきで、記事内容に対する理解を含め記事の発展につなげる為にも、そのように願いたいし、結果として、この依頼が当該記事の編集参加者・読者の拡大につながることを望みたいです。

依頼者コータ氏が論点として挙げられた「Wikipediaの情報を元に編集や議論を行うことの是非」「出典の必要性」「典拠の恣意的な選択について」の3節に関してここで議論することは、上述の観点から本意ではありませんが、個別記事での議論を持ち出されて込み入って分かりにくくなっている依頼に関する議論の参考として解説したいと思います。

私は個々の記事の構造を「ウォーラステイン世界システム論世界の一体化(「世界の一体化#世界システムという考え方」節)」と、ウォーラステインの思想表現として一つながりにあるものとの観点で、それぞれ全ての編集と議論に参加しています。(ウォーラステインの思想源泉であるマルクス主義関連、従属理論アナール学派の他、現下で彼が肩入れしている世界社会フォーラムの関係なども幅広く編集参加しています。)現状では各記事本文編集は「ウォーラステイン」がゴンベイ、「世界システム論」がコータ氏、「世界の一体化」がGreenland4氏と主な守り役の分業が成立していて、コータ氏とGreenland4氏は当該記事の主執筆者として当然のことながらノートにおいては自説擁護の立場で議論を展開します。Kanbun氏は「世界の一体化」への編集と議論に加わっています。(分業が成立と書きましたが、私が英語版から翻訳したウォーラステインの略歴をGreenland氏が「知の教科書 ウォーラーステイン」を参考に全面的に書き換えられて「略歴」とはいいがたい長文のものにしてしまいました(笑)GDFLは大丈夫でしょうか?)

記事の改善には当該記事の主執筆者自身が自ら気づき納得して記事を書き改めるのがベストだとの観点から、私は議論において直裁に言及するより関連情報を豊富に提示し多くの質問を投げかけること(自ら執筆した記事を客観的に眺められる自省的論理思考の持ち主かどうかのリトマス試験)で自覚していただくのを待つスタイルをとってきましたが、初回はともかく再反論以降の議論においては質問と示唆が議論を外している、あいまいであると受け取られ、かえって主執筆者が自説に固執するばかりで失敗となる場合があります。今回のコータ氏のコメント依頼が格好の例ですが、逆に私の質問に対してGreenland4氏からは丁寧な回答をいただいき、それに他の記事・カテゴリでのGreenland4氏との議論に基づいて私が包括的に纏め上げたのがノート:世界の一体化/世界の一体化とは何か#ゴンベイさんによる解説と改定案(ゴンベイが本項記述に対して疑義を表明した包括的な理由と記事改定のプラン)」で、これに対しては、論争相手であるGreenland4氏からは「おみそれしました。そして、わたしの疑問に『完全に』答えてくださり、ありがとうございました。」との評価を得ています。

依頼者コータ氏が「ノート:世界システム論#世界システム論は「歴史」理論か」での議論に典拠と出典を求めたのは正しいことですが、コータ氏自身はウォーラステインの著作で題名に「近代」「史的」と入っているものだけを邦訳された川北稔の本しか基本的に目に入っておらず、ウォーラステインの著作の題名に政治、経済、社会が入ったものが多数あり、「ウォーラステイン自身の著書からの引用により論だてていただけるとありがたい」と示唆したにもかかわらず、それらの存在を無視しているのではないかと思われる如く一切目に入らない、もっぱら祖述・解説を含めた川北プロパガンダ?に依存した木を見て森を見ずの立論です。英語の「近代世界システム」書評題名に「jumbo history」とだけあるのを川北稔が「歴史理論」として訳したのやカバーの概要=宣伝文句に「歴史理論」とあったもの、或いは著者の専門が何であるかを考えずに「歴史」「史的」との文言が入っていれば片言隻句のなにかに構わず出典として挙げ、史料批判・文献批判を全くせずに提出してこられるのは、木の枝どころか落ちた葉っぱしか見ておられないような様に感じられます。論立ての無理はコータ氏がもっぱら執筆されている記事本文にも現れています。概要にしても重要概念にしても意外なことに史的分析の過程はわずかで、ほぼ全面的に政治経済学としての解説がされており、導入部の「歴史理論」という定義にそぐわないもので、これならば、Greenland4氏が書き起こされた世界の一体化#世界システムという考え方節がウォーラステインが自らの思想の源泉としたアナール学派と従属理論にも目配りされているばかりでなく、ヘゲモニー移動による時代区分表を付して歴史過程が明快となっているので、かえって導入部定義の「歴史理論」の冠を戴く解説として世界システム論の本文記事にふさわしいものとなってしまいます。ノート:世界システム論#世界システム論の多言語版定義をご覧いただければ一目瞭然ですが、他言語版記事が導入部の定義において歴史理論であることより他の学理によるものを採用しているにもかかわらず、{{国際化}}ついて考えに入れていただけず、自ら執筆した記事と矛盾を抱える定義である「歴史理論」に固着されています。

世界の一体化記事の導入部と最初の本章「世界の一体化#世界の一体化とは」は主執筆者であるGreenland4氏がもっぱらかかれたもので、ノート:世界の一体化/世界の一体化とは何か#「世界の一体化」は独自観点による独自研究での論争はGreenland4氏と私に限定され、二人の間では主題に沿った議論が成立しました。また、ノートのサブページ化の段階でKs aka 98氏から主題に沿った教科書指導要領の成立過程に関する貴重な情報をご報告いただき、要領に関してはもはや私が何も述べるほどのこともなく、後はWikiブレイクに入られていたいたGreenland4氏の復帰を待って、どう御料理いただくかを楽しみに待つだけの状態かと思いました。ところが、Kanbun氏からコメントがあり、主題から離れた質問であり文脈を外した読み方をされていると思いつつ2度にわたり真意を量る質問を含めてお答えし、また、同時に「歴史理論云々についてはノート:世界システム論#世界システム論は「歴史」理論かにおいでいただきたい」とお願いしたにもかかわらず結局参加されませんで、ついには2008年3月13日 (木) 11:02 (UTC)に私の会話ページへノート:世界の一体化/世界の一体化とは何かでのご自分の歴史理論云々に関する質問に回答するように無理強いするコメントを寄せられました。これっきりとの思いで2008年3月13日 (木) 12:05 (UTC)にKanbun氏ご指定のノートへ最小限のコメントを記しましたが、やはりむかっ腹が立っていることを隠しようはありませんでした。2008年3月13日 (木) 14:50 (UTC)に対応を決了したKanbun氏の単発コメントを私の個人ノート内の歴史理論云々で同様に議論しているコータ氏のコメントがある節にまとめました。そこへ狙いすましたように15分後の2008年3月13日 (木) 15:05 (UTC)にKanbun氏が私の個人ノート内でのコメント移動に対してクレームをつけてきたというわけです。後の経過は利用者‐会話:ゴンベイの変更履歴で分かる荒れた展開になりました。リバートの経過は、私のコメント移動に対する2008年3月13日 (木) 15:05 (UTC)のKanbun氏のリバートで始まり、対抗する私のリバートが対になって2008年3月14日 (金) 16:15まで4回続き、この時点までKanbun氏のコメントは位置は変われど私は削除していませんでした。その後Ks aka 98氏が仲裁に入られリバートとコメントを加えられました。Kanbun氏のリバート返しが続くのは彼のコメントが残っている故と思い、削除を決意していましたが、手順を間違えてKs aka 98氏のコメントだけリバートして削除してしまう失態を犯し(このことについては、Ks aka 98氏の会話ページで謝罪しました。)、次の編集で一連のKanbun氏のコメントを削除しました。そこへ飛び込んできたのがIP-User氏とネッツ氏というわけです。--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 15:43 (UTC)[返信]


やはり多くの方がゴンベイさんの一連の行動について、方針違反に当たることや方針の要熟読が必要だと判断されているようなので、投稿ブロック依頼に移行してもいいのではないのかと思いますが、いかがでしょうか。--219.207.246.17 2008年3月17日 (月) 01:52 (UTC)[返信]

取り敢えず編集合戦は終息しましたし、該当の項目についての議論も並行して行うのに支障が生じるでしょうから今すぐブロックする必要は感じません。ただ、私は詳細を把握していませんが被依頼者はWP:NORの理解が十分でないという印象もありますので、ブロック依頼の提出も視野に入れつつ成り行きを注視するということでいいのではないでしょうか。
個人的には会話ページでの編集合戦が行われている段階で3RR違反として短期の即時ブロックがかけられて然るべきだったと思っています(喧嘩両成敗ということならKanbunさんにも(回数が少ないので)半分程度の期間のブロックということで)。あんな振る舞いがまかり通るようなら安んじて他の利用者との意思疎通を図ることができなくなります。--sergei 2008年3月17日 (月) 12:48 (UTC)[返信]
現時点で投稿ブロックなどありえない選択肢です。警告の除去については本人も故意ではなかったとして謝罪の意を表明していますし、姿勢に問題ありとしても議論を放棄しているわけではなく悪意が無いことは明らかです。この程度でブロックがまかり通るようなら、安んじてWPでの意見表明を図ることなど出来なくなります。さらに、ブロックは懲罰ではないと明記されています。これを考えれば、喧嘩両成敗で半分が云々などというのもナンセンスではないですか。ところで、Wikipedia:Three-revert rule#利用者ページはこの案件には適用されないのですか。Kojidoi 2008年3月17日 (月) 18:23 (UTC)[返信]
例外の適用がされるはずです(私の会話ページ参照)。先ほどその件について質問(抗議かもしれない)が来まして、確認しましたので。--219.207.246.17 2008年3月18日 (火) 00:28 (UTC)[返信]
一点だけ。私の認識する限りでは被依頼者はKs aka 98さんの警告を削除したことをKs aka 98さんに謝罪したのみです。Kanbunさん、IPさんの警告を除去したことについては何ら反省も謝罪の意志も示していません。IPさんに対してはさらなる言いがかりをつけて自己正当化に務めています。--sergei 2008年3月18日 (火) 13:00 (UTC)[返信]

ゴンベイさんのコメントを読んで、一つだけ指摘しておく必要があると思いました。私が(そしておそらく川北稔氏も)「歴史理論」という言葉を「歴史の理論」「歴史ついて扱った理論」程度の意味でしか使っていないのに対し、おそらくゴンベイさんは「歴史学の理論」だと考えていることがディスコミュニケーションの根底にあるかと。「歴史(学)理論」なんていう書き方を使っている所を見ると、ゴンベイさんは気付いている様ですけど。--コータ 2008年3月17日 (月) 14:26 (UTC)[返信]

ノート:アナール学派にも飛び火したことを報告いたします。とりあえずreplyはしておきました。--S kitahashi(Plé)2008年3月18日 (火) 06:43 (UTC)[返信]

あとゴンベイさんの姿勢として私が大きく疑問に思うのは、一つの議論をしている間にもそれに集中せずに違うところで議論を提起しているという点です。それから他利用者に(ゴンベイさんから見て)「関係あるから」という理由で議論の場所を強制するような傾向が見られること。結果として私の要求した出典情報も提示されていない状態ですし、議論を終結させる気があるのか、自分のPOVを述べているだけなんじゃないかという印象があります。私には典型的な「コミュニティを疲弊させる」荒らし行為のように見えるのですが。--Kanbun 2008年3月18日 (火) 06:51 (UTC) (編集競合しました)偶然ですが、上のS kitahashiさんのおっしゃっていることと被りました。こういうのも問題なんじゃないかと私は思います。--Kanbun 2008年3月18日 (火) 06:51 (UTC)[返信]

ノート:世界システム論でちょっと変化がありましたので、ご報告をさせて頂きます。コメント依頼の甲斐があってか、ノート:世界システム論でゴンベイさんが文献リストを示してくださったのですが、これには参考となるページや概要などが付されておらず、ただ著者や訳者の肩書きや専門が書かれているのみです。ノートにて根拠の説明と参考にしたページを追記して貰えるようにお願いしたのですが、お返事も無く、聞き入れて頂けないようでした。仕方なく、手元にある文献をこちらで確認し始めた所、明らかにゴンベイさんの主張に反する記述が見つかりました。また文献の中には、ゴンベイさんが信用できないと主張なさっている日本の歴史学者の文章が含まれていました(ノート:世界システム論#ゴンベイさんの文献リスト参照)。今までゴンベイさんが出典となる文献をほとんど提示されてこなかったことに加え、今回、一度に何冊もの文献を、(確認できた範囲内で)内容とは相反する主張の根拠として出してこられたことを考えると、私にはゴンベイさんがこれらの文献を読み、内容を確認の上で出典として提示されたとはちょっと思えません。ノート:歴史学でゴンベイさんが始められた議論も"Historical Theory"という洋書を持ち出されたものの、詳しい内容は紹介して頂けないままですし、その後ゴンベイさんからの発言もありません。--コータ 2008年3月18日 (火) 10:47 (UTC)[返信]

関連項目のノートでの議論にざっと目を通してみました。私は門外漢なのでその内容について踏み込んだコメントをすることはできませんが、Wikipedia編集の一般的なルールに則って判断する限り、やはり被依頼者はWikipediaが研究発表の場ではないということを十分理解されていないという印象を受けました。項目執筆者のみなさんは「これこれの書物の何ページのかくかくしかじかという記述」という具体的な出典の提示がない限りは被依頼者からの修正要求を受け容れる必要はないと思います。被依頼者にはそれがWikipediaの流儀なのだということを理解していただく必要があります。
それからもう一点気になるのは、被依頼者にはどうも人を選んで対話しようとしているという傾向が見て取れることです。Kanbunさんとの議論がこれほどこじれたのは、一つにはKanbunさんが(自称ですが)大学生であることにも原因があるような気がするのです。というのも上で被依頼者はネッツさんが高校生であるということにわざわざ言及しているからです。ここでの議論の文脈において、ネッツさんが高校生である(現在確認できなくなっていますが)ということに一体いかなる意味があるのでしょうか? 被依頼者がもし高校生や大学生に対しては誠実に対応する必要がないと考えているのだとしたら、それは改めていただかなければなりません。Wikipediaでは全ての参加者が同等の資格を持つ(WP:KIDのような文書もあくまでその前提で作られています)ということを肝に銘じていただきたいと思います。--sergei 2008年3月19日 (水) 10:24 (UTC)[返信]

いままで始めた議論を片付けないままノート:史学史で意味不明な統合提案を始めました。「コミュニティを疲弊させるユーザ」に該当する資格はある気がして来ました。(私の主観ですが)ブロック依頼に移行してもよさそうな感じはします。--S kitahashi(Plé)2008年3月20日 (木) 14:46 (UTC)[返信]

相変わらずノート:世界システム論での出典の虚偽申告についてのゴンベイさんからの返答はなく、ゴンベイさんがご自分の意志で議論場所を移されたノート:歴史学でも同様です。ノート:アナール学派でも問題提起をするだけして、後の対応はなし。その上更に、ノート:史学史でも史学史(歴史学の歴史)、歴史家(職業)、レオポルト・フォン・ランケ(人物)という別々というか、レベルの全く違う概念を統合しようと言い出されました。これはもう、ノート:世界システム論ノート:歴史学での対話拒否に加え、コミュニティを疲弊させる行為に該当すると言えるのではないかと思います。
Wikipedia:ウィキペディアは何でないかWikipedia:出典を明記するWikipedia:検証可能性などの方針をご理解されていないのではという懸念はすでに、何人かの方から示されていますし、ノート:世界システム論での出典の虚偽申告の疑いも放置することは出来ないと考えます。本意ではありませんが、このままコメント依頼で寄せられた皆さんのご意見にも耳を傾けて頂けないようでは、1.各種方針の無理解、2.虚偽の出典報告、3.対話拒否、4.コミュニティを疲弊させる行為、以上四つの点について、ブロック依頼も視野に入れざるを得ないと考えます。--コータ 2008年3月21日 (金) 11:54 (UTC)[返信]
3月17日にコメントした時点では、ここに寄せられたみなさんの意見を真摯に受け止めた上でノート:世界システム論等での議論の収束に努力していただけることを期待してブロック依頼提出には否定的な見解を示しました。しかしその後の被依頼者が議論の収束どころかむしろ逆に無責任に拡散させている現況に鑑みると、やはりブロック依頼提出を検討するべきではないかという方向に考えを改めざるを得ません。--sergei 2008年3月23日 (日) 07:23 (UTC)[返信]

判断延期の提案1[編集]

とりあえずコメント依頼で触れられている方面への、ゴンベイさんのアクションが止まったようで、今後のアクションもなさそうな印象を受けます。そこで私から以下を提案します。

  1. ブロック依頼等の結論は期限を定めず延期とする。
  2. ゴンベイさんの出した統合等の提案(3月23日時点で続いており、このコメント依頼で言及されているもの、およびそれと同様と認めうるもの)は差し戻す。ただしノート議論の除去等は行わない。
  3. 本コメント依頼で言及され、問題とされた言動が復活し、それが「コミュニティを疲弊させる行為」と認めうる場合、第一項は破棄される。
  4. 以上の措置を28日正午以降に実施する。これは21日にアクションが止まったものと推定し、その時点から1週間の時間をおいたものである。

以上、よろしければご検討ください。--S kitahashi(Plé)2008年3月23日 (日) 21:49 (UTC)[返信]

コミュニティを疲弊させる行為と各種方針の遵守については今後のゴンベイさん次第ということにして、ひとまず保留するのにやぶさかではないのですが、ノート:世界システム論での、「読んでいない文献を出典に挙げた」疑惑と各所での対話拒否は、現在、鳴りを潜めたからといってさらりと流す訳にはいかないかと思います。当初のコメント依頼対象ではありませんが、もし意図的に虚偽の出典を挙げたのならば、それはガイドライン以前に百科事典を作るというWikipediaの目的そのものに反している、と私は考えます。それを指摘されても頬被りをしてほとぼりが冷めるのを待てば良い、となればWikipedia自体が成り立たなくなると思います。少なくとも、意図的に虚偽の出典を挙げたのか、それともなんらかの過失なのか、はたまた虚偽でも過失でもなく(つまり私が見落としているだけで)本当は文献上の根拠があるのか、ゴンベイさん自身からの説明が必要なんじゃないかと思います。
ところで、私事でまことに申し訳ありませんが、明日(3月24日)より30日まで出張のため、議論に参加できません。下駄は皆さんにお預けしますので、よろしくお取り計らい頂ければと思います。重ね重ね申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。--コータ 2008年3月24日 (月) 10:32 (UTC)[返信]
わざわざこの場で合意を取るようなことなんでしょうか? ここまできたら、今すぐブロック依頼したい人がいるというなら依頼すればいいんではないでしょうか。まあ現時点で依頼が出されたら私個人としては反対票を投じますがね。Kojidoi 2008年3月24日 (月) 18:38 (UTC)[返信]
この場で合意を取るべきでしょう。ゴンベイさんの対話拒否が本当に対話拒否なのか、待つことも必要だと思います。S kitahashiさんの御提案はそこまで配慮された御提案ですし、コータさんもそれを踏まえて「今後のゴンベイさん次第」だとおっしゃっているわけです。ゴンベイさんのことを考えるなら、「待つ」という選択肢をあえて排除なさる理由もなかろうと思います。--Greenland4 2008年3月24日 (月) 20:51 (UTC)[返信]
この提案の目的のひとつは、出された統合等の提案をとりあえず片付けることです。個々に対応するよりも、コメント依頼のページがあるのならそこでまとめて議論できると思ったためです。ブロックの話は派生議論のひとつと私は考えています。--S kitahashi(Plé)2008年3月25日 (火) 00:10 (UTC)[返信]
私としては被依頼者の自ら提起した議論に最後まで責任を持とうとしない態度は「コミュニティーを疲弊させる利用者」としての要件をすでに満たしていると思っています。しかし一番大切なのは関連項目の編集が滞りなく行われることですので、項目執筆者のみなさんの意向を尊重します。統合提案等を片付けることの方を優先したいということでしたらそれに従います。--sergei 2008年3月25日 (火) 09:44 (UTC)[返信]

ゴンベイさんが出されている種々の依頼は、活性化しなければ折りを見てはがせばよいと思うので私はその点はここで合意をとらなくてもよいかなとは思います。もちろんほかの方が賛成なら私も否やはありません。私が問題だと思っているのは、ゴンベイさんの一連の問題行動ですので、その点については一度きちっと結論を出してもらいたいなと思っています。明らかな暴言も多く、方針を誤解しているところも多々あるように私には思えるので、一度方針文書の熟読をしていただかないと、今後も同様の行為と開き直りを繰り返すと思われますので、短期のブロック程度は必要ではないかと考えています。本人が納得しないなら、喧嘩両成敗という形で私も一緒にブロックでもいいので、延期をするより一度しっかりけじめをつけてもらいたいというのが私の本音です。このままこのコメント依頼が流れるということになれば、ウィキペディアのためにも本人のためにもよくないのではと思う次第です。--Kanbun 2008年3月25日 (火) 14:41 (UTC)[返信]

ブロック依頼はそれぞれの判断に任せます。ぼくは今のところ出さないと思います。方針の理解については怪しいところがありますが、基本的にはブロックではなく対話や説明や自発的な習得を期待するもので、無理解のまま同様の振る舞いを繰り返す場合に、対話を促すために行うものと理解しています。各記事の執筆者や仲裁者の方々次第ですが、理由としてはコミュニティの疲弊のほうが適切かと。統合については、現時点では不要と思います。差し戻しにも反対しません。今後のスケジュールについてはS Kitahashiさんご提案のものでよいと思います。--Ks aka 98 2008年3月25日 (火) 16:17 (UTC)[返信]

みなさま、ご意見ありがとうございます。このような話をしたのは、ともかく統合提案とかをどうにかしたいと思ったからです。ブロックについては、他分野でのゴンベイさんの編集を見る限り問題は特に見出されないなどの理由で、現時点で依頼してもブロックせずになるだろうと思います。ブロックせず=これまでのことは不問、とはならないと思いますが、そっちの方向に議論が傾斜するのもまた違うだろうなと思ったので、とりあえずブロックの話はペンディングにしておいて、ゴンベイさんの張りつけたテンプレートを外したいと思いました。--S kitahashi(Plé)2008年3月25日 (火) 17:22 (UTC)[返信]
史学史に関して。「ノート:史学史」を読む限りにおいては、ゴンベイさんは「加筆を必要とする観点」を述べられており、察するに記事「歴史家」などから履歴を継承して、加筆して記事「史学史」を充実させたいという意向のように思われます。私自身はそうした意向そのものには反対ではありません。ただ、そういう場合、ゴンベイさんがなすべきことは統合提案ではなく、加筆であることは明らかで、いくら記事「歴史家」が書きかけだからといって、記事そのものを抹消していいということにはならないと考えます。
世界の一体化については、「ウォーラステインは、資本主義的な「世界-経済」の内部では、全ての国家が同時に「発展する」ことは定義上不可能であると述べている。藤瀬・麻沼・金井訳『資本主義世界経済I-中核と周辺の不平等-』」というふうに註をつけた、2008年3月11日 (火) 13:08の編集の段階で「中立性」のタグは外すべきだったろうと思いますし、それに先だって「世界の一体化#学校教育における用語の登場」の節を加筆した時点で「独自研究」でないことは明らかになったのだから、速やかにテンプレートを外すべきであったでしょう。これに関連し、タグの可否その他については「ノート:世界の一体化」で何度か繰り返し御説明申し上げたはずです。個人的には、ゴンベイさんの求めに応じて加筆や出典の付加を私なりに誠実におこなってきたつもりですが、それに対し、ゴンベイさんから何のコメントもないのは、いかがなものかとは存じます。
ただし、「独自研究」という意味をゴンベイさんがよく理解なさっていなかった可能性もあります。最近も「枢軸時代」という私の起こした記事に対し、IPユーザー59.135.32.41さんが削除依頼を提出なさいました(Wikipedia:削除依頼/枢軸時代参照)。ここでは、ゴンベイさんとそっくりの誤解が示されています。これについては、やはり、「Wikipedia:独自研究は載せない」や「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」をもう一度熟読していただいて、ウィキペディアの基本方針を理解していただくしかないと思います。納得なさったら何らかの反応を示していただきたいし、納得できないならば納得できない旨を述べていただきたいと思います。
世界システム論に関しては、ノート:世界システム論にウォーラーステイン自身の見解を付しておきました。脚注に付記してテンプレートを剥がすのが妥当だと思いますが、それをすべきなのは私ではなく、テンプレートを貼った人間すなわちゴンベイさんだと思います。もし、「剥がすべきでない」と考えるのなら、どうしてそう思うのか、理由をおっしゃるべきしょう。
以上、問題になっている記事群のうち、とりあえず3記事に関しての私見を申し述べました。--Greenland4 2008年3月26日 (水) 11:43 (UTC)[返信]
Greenland4さんのご指摘は、筋からいえばそれが妥当であり、今後ゴンベイさんにやってもらわないといけないことでしょう。私が申し上げているのは、それが現実的に期待できない時どうするかという問題です。無用なテンプレートを剥がすために、進展が望めない議論を待ってもいたしかたないように思われます。--S kitahashi(Plé)2008年3月26日 (水) 15:10 (UTC)[返信]
世界の一体化」に関しては、たまたま分割議論がおこって、それとシンクロするかたちでの「中立的観点」「独自観点」の指摘でしたので、わたしはそれをあえて重視して大きく取り上げたのですが、これは「容量が大きすぎて見られない」という前例のない異常事態でのできごとだったわけです。それに先だって、あたかも「容量が大きい記事はそれだけでいけない」というような安易な議論がさかんに井戸端でなされていたこともあって、そういう異常事態がゴンベイさんにとっては本格的なウィキペディアとの出会いだったことを考慮すると、わたしは、ゴンベイさんが「独自観点」という言葉の意味を誤認なされたのも無理からぬところがあったのかなと思うのです。もしかしたら、ゴンベイさんは「コミュニティを疲弊させるユーザー」というおつもりは全くなかったのではないか、と思います。ウィキペディアのルールはなかなか難しく、わたし自身もこれまで何度も大きな間違いを冒してきて、その都度、親切な方々から御教示いただいてきました。そのことには心から感謝しております。わたしもゴンベイさんの会話ページにコメントを寄せましたが、わたしの意見はもしかしたら聞きたくないのかもしれません。Ks aka 98さんおっしゃるように、さまざまな立場からの対話や説明が必要なのではないかと思います。わたしの「待つ」は、それを含めての「待つ」のつもりです。--Greenland4 2008年3月26日 (水) 16:17 (UTC)[返信]
その点について異議はないのですが、それまでテンプレートはそのままということでしょうか。--S kitahashi(Plé)2008年3月26日 (水) 16:26 (UTC)[返信]
わたしは、心底ゴンベイさんが納得するまで待ってもいいと思います。心底納得されたら自発的にテンプレートを剥がされるのではないでしょうか。それには少し時間がかかるのではないかと思います。現状では単にゴンベイさんはクレーマーでしかないし、「議論のための議論」はウィキペディアにおいては、まったく推奨されていないということも御理解いただけていません。また、各種「依頼」を連発されるように依頼心が強いように見受けられます。しかし、誰でも最初からガンガン記事が書けるはずもありませんし、書いていいのかという不安もあります。ゴンベイさんの意見を突き詰めると、参考文献を掲げて外部リンクを貼るだけが「加筆」になってしまいます。ゴンベイさんの理屈だと、「独自研究」でもないし「中立的観点」も冒さないで「引用」もせず「著作権侵害」にもならない加筆だったら、いきおい、そうならざるを得ないわけです。そのことにお気づきにさえなれば、ゴンベイさんは勉強熱心な方でもあるし、歴史に造詣の深い方でもありますので、すごい書き手になるのではないかと私は期待しているのです。単にルールを知らないだけのことですから、ブロックだとかは考える必要は全くないし、個人的にはわたしは悪意のようなものは感じていません。その程度の試行錯誤は許容されてもいいんじゃないでしょうか。ただ、「史学史」に関しては、やっぱり「やりすぎ」の感もいたしますので、それは今はがしてもいいのかなとは思います。--Greenland4 2008年3月26日 (水) 16:57 (UTC)[返信]
私はそこまで楽観的にはなれないというのがホンネです。いままでのゴンベイさんの発言をみるに、問題提起は随所でしつつも、まとめる方向に向かったことは一度もありません。また反論が行き詰まると他の所に行くという基本パターンを繰り返しています。そもそもあそこまで大風呂敷を広げて、いまさら頭を下げるとも考えにくいと思います。ゴンベイさん以外にもこうした人は時々いましたが、戻ってくるにしても別アカウントではないかと思います。それでも全部終らせるのは避けるため、ノートもそのままにしておくし、提案の3つ目を設けました。--S kitahashi(Plé)2008年3月26日 (水) 17:28 (UTC)[返信]

判断延期の提案2[編集]

半可通な知識で議論をふっかけ、更にその議論を次々と拡散させ、自分に不利だと見ると何ら釈明せずに逃げ回る。はっきりいって話し合いで改善するような人格の持ち主とは思えません。さっさとブロックするなりして追放してしまったほうが良いと思います。この傾向をみるにCheckthereの生まれ変わりと思えますけど、いかが?61.116.127.157 2008年3月26日 (水) 23:55 (UTC)[返信]

  • テンプレートを剥がす剥がさないの話は、ここで期限内に異論が出されなければ合意形成成立として、剥がす編集をしてしまって構わないんじゃないでしょうか。
  • 追放などと簡単に言って欲しくないですね。無期限ブロックだの追放だのというのは破壊的編集をやめない一部のキチガイ相手に最後の手段として重々しく行うものでしょう。ゴンベイ氏の姿勢には確かに問題はあるかもしれないが、追放に値するほどひどいことを本当にしていますか? むしろ、この程度を包容できないような人にほんとうに共同作業なんてできるのか、そのほうが疑問です。皆さん二言めには疲弊といいますが、「この程度で疲弊って、あんたらドンだけナイーブなんだ」と思いますね。ちょうどいま井戸端でもブロック依頼の成立が軽すぎるんじゃないかという問題提起がなされていますが、ここの議論を見ていて確かにwikipediaにはおかしな空気が蔓延しているとの思いを禁じ得ません。すくなくとも61.116.127.157氏はこんな乱暴な意見を開陳する前に「善意に取れ」というwikipediaの方針をもう一度思い出すべきです。Kojidoi 2008年3月27日 (木) 15:53 (UTC)[返信]
Kojidoiさんのご意見には聞くべきところもあると思います。ゴンベイさんの主張のみを「善意に取」って他の人を切っているようにも見えますが…。コミュニティの疲弊が何を意味するかについて、多少なりとも想像力を働かせていただければ大変助かります。--S kitahashi(Plé)2008年3月27日 (木) 17:24 (UTC)[返信]
S kitahashiさんの御指摘に深く同意いたします。61.116.127.157さんの意見は極論かもしれませんが、Kojidoi さんの御意見も方向性が正反対なだけで、安直さというか、ある種の乱暴さを感じざるをえません。「ゴンベイ氏の姿勢には確かに問題はあるかもしれないが」とおっしゃいますが、どういう点が問題だとお考えでしょうか。その点をきちんとゴンベイさんに伝えているでしょうか。わたし自身は、それっきりになってしまったものの「世界の一体化」だけでなく「ノート:世界の歴史」の方でもゴンベイさんとの会話が成立していて、共同作業ができそうな気配もあったし、ゴンベイさんが執筆の意図のまったくない人ではないことも存じ上げています。ただ、だからといって単にかばえばいい、不問に付せばいいという意見もまた、本当にゴンベイさんのことを考えておっしゃっているかは疑問なのです。本当にそう思うのなら、ゴンベイさんの会話ページに、ゴンベイさんのとった行動で問題だと思うのは何であり、本当はどういう行動をとるべきだったのかコメントを差し上げる程度のことはしてもよさそうだと思います。「共同作業」ということをおっしゃるのであれば、それくらいしてもよいでしょう。そういう努力も一切なさらないのでは、「おかしな空気」とやらから自分だけは免れているということをおっしゃりたいがために言っているんじゃないか、というふうにも受け取れてしまいます。まあ、これが邪推であり、ゲスの勘ぐりであることをむしろ望んでいますが。
もともとコータさんもKanbunさんもゴンベイさんに質問しただけですよね? ゴンベイさんを共同作業者だと前提すればこその態度でしょう。その点は、いかがお考えなのですか。--Greenland4 2008年3月27日 (木) 21:30 (UTC)[返信]
確かに私の意見は乱暴でしょう。しかし正しいと思っています。ネット上の議論は色々やってきたので「こういう人が改善する見込みは無い」と断じています。
まあ、私の意見の妥当性は別として。ウィキペディアには「検証可能性」・「出典を明記する」という原則があり、何らかの記述をしたあと、出典を求められた場合はそれを示す義務があります。自分で議論をふっかけておきながら相手に対して何の返答もしないような人間がこの義務をきちんと果たせるでしょうか?
共同作業であるからにはこういうトラブルのときにも「お互いが同じくらいの負担」を分け合うべきでしょう。Kojidoiさんはそれをゴンベイさんには何も背負わせないで、他の人に全部負担を背負えといっているように見えます。61.209.180.97 2008年3月28日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
あまり水掛け論はしたくありませんが、話がこじれたきっかけには対話をしていた某氏の過剰反応や強硬とも見える姿勢もあると思っています。ところが一部の方は「お互いが同じくらいの負担」どころが全部をゴンベイ氏に背負わせ、退場などという事実上戻る道の無い対処に飛びつこうとしておられる。私は、ここに違和感を感じているので弁護士役のようなことを演じているだけです。弁護士役ですからそういう観点からの指摘が主となります。Greenland4氏は本当はどういう行動をとるべきだったのかコメントをしろなどと言われますが、既に山ほど指摘がなされているのに「俺もそう思う」的に言葉を重ねることに大して意味があるとは思いません。しかし一方で、不問に付せなどと私は一言も言ったことは無いはずです。邪推でも下種の勘ぐりでもご自由になさっていただいて結構ですが、私は私なりに「コミュニティの疲弊ってなんだ」を考えた上で判断しています。不愉快でしょうがそういう感性の人間もいるということです。Kojidoi 2008年3月29日 (土) 01:35 (UTC)[返信]
水掛け論をしたくないのは私も同じです。ただ、「一部の方は『お互いが同じくらいの負担』どころが全部をゴンベイ氏に背負わせ、退場などという事実上戻る道の無い対処に飛びつこうとしておられる」として、すぐそれに「私は、ここに違和感を感じている」と続けておられますが、「退場」を言い出したのは、61.209.180.97さんの2008年3月26日 (水) 23:55 (UTC)のコメントが最初ですから、順番が逆なんじゃないでしょうか。わたしは、それ以前から「待つ」と申し上げており、コータさんも「ゴンベイさん次第」とおっしゃっており、Kanbunさんも「喧嘩両成敗という形で私も一緒にブロックでもいい」とまでおっしゃっています。誰も「全部をゴンベイ氏に背負わせ」るなんて言っていません。しかもKanbunさんは懲罰目的ということではなく、「一度方針文書の熟読」をしていただく目的だと明言されています。そのあたりをきちんと読まれたうえでの御見解でしょうか。邪推かもしれませんが「後出しじゃんけん」に見えますね。また、「『俺もそう思う』的に言葉を重ねることに大して意味があるとは思わない」ということなんですが、なぜ、意味がないと思えるのでしょうか。私は、意味は大ありだと思いますが。弁護士役を買うのは自由ですが、そういう姿勢で真に「弁護」なるものが可能なんでしょうか。「ゴンベイ氏の姿勢には確かに問題はあるかもしれない」とおっしゃるのなら、それを指摘してはじめて弁護が可能でしょう。そこを曖昧にするのなら、問題はないかもしれないし、弁護も必要ないかもしれない、ということになるのではありませんか。「不問に付せなどと私は一言も言ったことは無い」のだったら、じゃあ、どうおっしゃりたいのでしょう。そのあたり、詳しく御説明ください。
「コミュニティの疲弊」については、私自身はいわば「疲れ知らず」なので、ピンと来ないというか、よくわからないところがあります。ただし、一般的には、ウィキペディアの公式方針として、ウィキペディアは「電子掲示板ではありません。ウィキペディアでは、百科事典の執筆に専念してください」という文言、「批評する場所ではありません。あなたの主観的・個人的感想や評論を書く場ではありません」という文言が掲げられていますから、それと関連づけられて理解されるべきものなのではないでしょうか。Kojidoiさんなりの判断がおありなら、ぜひ御披露ください。それからまあ、わたしは井戸端にはあまりいかないので、「おかしな空気が蔓延」ということをあまり感じませんが、言わせてもらえば、世界の一体化の記事の長大さが話題になったとき「馴れ合いと化した常連」以下、共同作業による執筆や対話重視の姿勢をあざ笑ったり、冷やかしたりする論調が多かったわけですが、ゴンベイさんはそれを「おかしな空気」とはお考えにならず、そういう野次馬的言説をウィキペディアでの正当な流儀だというふうに誤認された可能性もあると思うのです。だから、わたしは「待つ」ということを、当初から、一貫して、申し上げているのです。--Greenland4 2008年3月29日 (土) 03:43 (UTC)[返信]
Greenland4さんと私とでは様々な点で大きな認識の隔たりがあるようですし(たとえば共同作業による執筆や対話重視の姿勢をあざ笑ったり、冷やかしたりする論調というのは私は全く感じませんでしたが)論理展開が理解できない部分も多いのですが、ここでいろいろ追加コメントを出してもその隔たりは埋まらないでしょう。まあうめる必要も無いのかもしれない。とにかく私としては無期限ブロックなどという結論に一気に話を持っていきかねない性急な動きをけん制したい、それだけです。Kojidoi 2008年3月29日 (土) 05:01 (UTC)[返信]
「大きな認識の隔たり」なんてものを問題にしているのではありません。当事者と野次馬の間に「認識の隔たり」があるのは当然でしょう。わたしが問題にしているのは、Kojidoiさんのなかでの一貫性です。おわかりになりませんか。「共同作業」ということをおっしゃる人が、そのことを一方には「しつこいかもしれないが、ただし正当な質問」のことは「過剰反応」だとおっしゃって一方的に断罪する、しかし、その一方の「自分で議論をふっかけておきながら相手に対して何の返答もしないような」姿勢に対しては、「不問に付せ」とは言わないまでも実質的には不問に付すことを周囲に要求し、しかも、「ゴンベイ氏の姿勢には確かに問題はあるかもしれない」などと言いながらも問題点が何かは指摘しない。かといってゴンベイさんに改善点を教えるでもない。そういうふうなダブルスタンダード、その場限りの調子のよい理屈にKojidoiさん自身が矛盾を感じないかということです。それでよく弁護士役を買って出ているとか、共同作業が大切だなんて言えますね。そもそも、ゴンベイさんとKojidoiさんの間に対話が少しでも成立していますか。まあ、「感性が違う」んだから仕方ありませんね。というか、「感性が違う」とおっしゃりながら、「共同作業」なんてことが言えるあたりが不思議でならないのです。まあ、御自身に矛盾を感じておられないこと、わたしの質問や要請は「認識の隔たり」を理由にすべて葬られたことは理解しました。御返答、ありがとうございました。--Greenland4 2008年3月29日 (土) 06:15 (UTC)[返信]
  • >そのことを一方には「しつこいかもしれないが、ただし正当な質問」のことは「過剰反応」だとおっしゃって一方的に断罪する、
    • 私が過剰反応といっているのは会話ページのおけるリバート返しのことです(既出)。
  • >しかし、その一方の「自分で議論をふっかけておきながら相手に対して何の返答もしないような」姿勢に対しては、「不問に付せ」とは言わないまでも実質的には不問に付すことを周囲に要求し、
    • そのような事実はありません。
  • >しかも、「ゴンベイ氏の姿勢には確かに問題はあるかもしれない」などと言いながらも問題点が何かは指摘しない。
    • 激しく既出な指摘を繰り返しても意味がありません。別の観点を提示しようとしている私がなぜそれを繰り返さなければならないのですか?
  • >かといってゴンベイさんに改善点を教えるでもない。
    • 弁護士役を買ってでたら自動的に教師役の責任も付帯されるのですか? 脈略が理解できません。
  • >そもそも、ゴンベイさんとKojidoiさんの間に対話が少しでも成立していますか。
    • 論点ずらしは止めましょう。本題と何の関係もありません。
  • >「感性が違う」とおっしゃりながら、「共同作業」なんてことが言えるあたりが不思議でならないのです。
    • 共同作業を行う人間は感性を一つにしなければならないと思っておられるのですか? そうであれば認識の隔たりが出てくることは当然ですね。感性なんてばらばらで当然でしょう。いったい井戸端の議論の何を「あざ笑ったり、冷やかしたりする論調」としているのか理解できないでいたのですが、ヒントが見えたような気がします。
以上、答えられる点は答えましたが、どうもgreenland4さんは連想の赴くままどんどん論点を拡大していく癖があるようですね。それらに私が対応していないからといって矛盾だダブルスタンダードだといわれても、私としては付き合ってられないというのが正直なところです。私の主張は既にここまでに提示しており特に追加や訂正の必要は感じません。ということで、このページにおいて私のほうからGreenland4さんに直接回答するのはこれで最後にしたいと思います。Kojidoi 2008年3月29日 (土) 11:39 (UTC)[返信]
どうやら矛盾は感じていないみたいですね。そこまで無責任になれるっていうのも羨ましい限りです。随分、自分が矛盾なく終始一貫している、言行一致を貫いているという自信がおありのようですが、端からはそう見えないから申し上げているだけなんですがね。その場その場でいい顔したいってためだけに「共同作業」なんてことを言うのはおよしになったらいかがでしょうか。「共同作業」を進展ないし促進させるために具体的にあなたは何をしましたか。答えられるんなら、答えてみてください。ルールを教えるわけでもなければ、自分が困れば平気で後出しじゃんけんするような方が他人の弁護なんてできるんですか? そういう状態で「共同作業」なんてことがどうして主張できるんでしょう? 「ほかの人が言ったことを自分は言いたくない」っていうのは、単なる目立ちたがりでしょう。そういうのをスタンドプレイっていうんです。「共同作業」に慣れていない人の行動様式でしょうね。みんなはナイーブさを捨てて我慢しなさい、けれどゴンベイさんは答えたくなかったら答えなくたっていいですよ、それが俺の言う共同作業だ-そういう姿勢で弁護されたって、弁護された方は困るでしょう。はっきり言えば、迷惑なんじゃないんですかね。まともな人なら、かばうんならせめて事の善悪を教えてほしいって考えるんじゃないんかと思いますが。あなたはこういう点が悪かったけど、これから気をつければいい、他人に何を言われたって俺はあなたに味方するっていうのが本当の弁護でしょう。そして、共同作業にはルールが必要だってことを教えなければ、この場合は弁護が貫徹しないし、あなた自身の主張に一貫性も出てこない。教師役を引き受けるつもりがないなら、弁護士役を引き受けるなんて寝言は最初から言わない方がいいんですよ。かばうだけなら誰だってできるんですから。要するに、面倒くさいことはしたくないけど、バランス上、自分が温情があるところだけは示しておきたいって、その程度なんでしょ。違いますか。おたくが弁護すればするほど、ゴンベイさんの状況は悪くなっているんじゃないんでしょうか。まあ、そうでなければいいんですがね。--Greenland4 2008年3月29日 (土) 16:42 (UTC)[返信]
もう少しマトモに話し合いのできる人だと思っていたのですが残念です。あなたのこの発言はWikipedia:個人攻撃はしないに書かれた例示のうち特に<個人の性格や経験を決めつけて攻撃する。「あなたには人の心がわからない」など。>に合致した個人攻撃です。Wikipedia:個人攻撃の除去の条件すら満たしていると思います。直接回答はしないと申しましたが、かかる言動には強く抗議しないわけにはいきません。猛省を求めます。Kojidoi 2008年3月29日 (土) 19:25 (UTC)[返信]

被コメント依頼者のゴンベイさんの行動も止まっているみたいなので行動を再開されるまではタグははがした上で保留で良いでしょう。これ以上議論を続けても全く無意味です。
ひとつ誤解があるみたいなのでそこだけ述べておきます。「お互いが同じくらいの負担」ということは、執筆の共同作業の上で「お互いが同じくらいの負担」を分け合う必要があり、トラブルの際にもお互いが譲歩することでコミュニティを守っていくということが「お互いが同じくらいの負担」ということです。この負担を背負う気が無い人はウィキペディアではやっていけずむやみにトラブルを巻き起こすだけだから「追放」が適切と言っているわけです。ゴンベイさんにはそういった「共同執筆の上での負担を背負う」気概が全く見えず、ただ自分の思いつくままに好き勝手な言葉を投げかけて場を混乱させているだけに見えます。ですのでゴンベイさんはウィキペディアをよりよいものをしていく上で「益をもたらさず、単にトラブルを巻き起こす害だけが起こるので」追放処分にしてしまったほうが良いと言っているのです。以上。61.209.180.97 2008年3月29日 (土) 12:32 (UTC)[返信]

ゴンベイさんには昨日、会話ページにメモを送ってコメント依頼に参加するようお願いしておきました。もし読まれたら、参加されると思いますので、今しばらくお待ちいただければと思います。「独自研究」ということに対しては、たぶんゴンベイさんは誤解なさっていたと思います。参加されたら、そのへんの説明もしてくださるのではないでしょうか。ゴンベイさんはウィキペディアに参加されて日が浅く、ルールを御理解いただくまでには時間がかかるんじゃないかと思います。タグについては、やはりもう少し待って、御自分の手ではがされた方が「お互い」ケジメがついたのではないかと思います。気になったのは、61.209.180.97さんの、別アカウントの生まれ変わりだとの御指摘です。それがもし本当なら、今までの議論の前提が一挙に崩れてきます。わたしは、根拠もなくそう決めつけるのは問題だと思いました。今でもそう思っています。もし、それ相応の根拠があるのならお示しいただきたいです。上にも書きましたが、ゴンベイさんは一時は「世界の歴史」の記事を書こうとしたんです。そういうお気持ちのある人が「益をもたらさず、単にトラブルを巻き起こす害だけが起こる」というふうにはどうしても思えませんでした。もしかしたら、テンプレートも、記事をよいものにしようとゴンベイさんなりの判断で動いた結果ではないかとも思うのです。執筆の意欲さえあれば、ルールは後から付いてくるんじゃないかと思っていました。ただし、それもゴンベイさんが初心者だという前提での話です。一種の確信犯だとすると、これは話が変わってきます。--Greenland4 2008年3月29日 (土) 23:52 (UTC)[返信]
留守にして申し訳ありませんでした。結局、ゴンベイさんからのレスポンスが無いままの様で、残念です。いろいろと議論が進んでいるようですが、これまでの所、ゴンベイさんの振る舞いのなかには各種方針、特にWikipedia:ウィキペディアは何でないかWikipedia:検証可能性などに反した言動が見受けられるという点と、ゴンベイさんはご自身の発言、行動について寄せられた質問に応え、対話に応じるべきという点については、ほぼコンセンサスができているかと思います。このことを確認できただけでも、コメント依頼を行った意味はあると考えます。
とはいうものの、各項目でのゴンベイさんの対応を引き出すまでには至らなかった事は残念ではあります。もしゴンベイさん自身の手で、テンプレート除去や依頼取り下げを行って頂けていたら、そのことを以て方針理解(過去の行動がWikipediaの公式な方針に反していたことを理解したということ)の証左と見なすこともできたのですが。それだけにゴンベイさんが対話拒否を続けられることが、重ね重ね残念です。
Greenland4さんが、会話ページに再度、議論への参加を促すメッセージを書き込まれたとのことですので、もしかしたら何らかの反応があるやもしれません。が、これまでも会話ページにてお願いしたのにもかかわらず返答がなかった事を考えると、楽観的にはなれません。最初にノート:世界システム論での「出典の虚偽申告」疑惑についての説明をお願いしてから、既に半月が経っています。もう少し待ってそれでもゴンベイさんからの応答がないようでしたら、ブロック依頼に場を移し、1.方針の無理解、2.対話拒否、3.出典の虚偽申告、についてより広くコミュニティの判断を仰ごうかと思います。なお、現在のところ、多発的なテンプレート貼り付けや統合提案については治まっているため、「コミュニティを疲弊させる行為」を理由としたブロック審議は考えていません。逆に方針の無理解と対話拒否、出典虚偽申告については、方針を理解したことを表して頂き、出典についてそれなりに納得のできる説明をして頂けない限り、ゴンベイさんからの対応をより強く求めるという意味も含めて、ブロック審議に場を移す事は避けられないかと思います。--コータ 2008年3月31日 (月) 12:42 (UTC)[返信]
今まではIPでこのページに書いてましたが61.209.180.97改め?らりたです。他人にソック疑惑をかけておきながら自分は隠れ蓑をかぶっているのは卑怯だと思ったので、失礼しました。
それでゴンベイさんのソックに関しては何ら根拠があったわけではなく、単なる憶測です。申し訳ありません。
乱暴な意見を述べていましたが、それに関してはあまり意見の変更はありません。この手の人は改善の見込みはまず無いと思っています。改善が成されるためには「反省する」という行為が必要ですが、それは無理でしょう。
とりあえずしばらくは私は様子見します。自らの反省も含めて。らりた 2008年4月3日 (木) 12:28 (UTC)[返信]
らりたさんでしたか。驚きました。らりたさんといえども、単なる憶測で語ることについては慎重であっていただきたいと感じました。ただ、勇気をふるってアカウントを名のられたことは誰にでもできることではありません。すごいと思います。ありがとうございました。--Greenland4 2008年4月5日 (土) 14:58 (UTC)[返信]

時間が空いてしまってすみません。ゴンベイさんの投稿記録を見ると、3月23日以来投稿がなく、ブロック依頼に移行しても費やされるリソースに比して有効性が少ないかな、と思い始めています。それよりは本を読んで記事を書くことに注力したいというのが正直な所です。ブロック依頼を提出するとまで申し上げておきながら意見を翻して申し訳ありません。--コータ 2008年4月27日 (日) 09:23 (UTC)[返信]

そうですね。わたしもその方がよいと思います。コータさんがそうおっしゃるならやめましょう。無闇なタグ貼りについてはTemplate‐ノート:独自研究#「独自研究」タグの使用規制についてで話し合いが持たれています。興味のある方、御意見をお持ちの方は、ぜひ、こちらの方へ御参加ください。--Greenland4 2008年4月27日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
一月以上も活動を停止している利用者へのブロック依頼というのは無意味だと思いますので見送りということにして、このコメント依頼も閉じてしまっていいのではないでしょうか。また被依頼者が活動を再開して、問題が再発するようでしたら本件依頼で議論された内容を踏まえて対応を協議する、ということでいいと思います。--sergei 2008年4月28日 (月) 14:12 (UTC)[返信]

最後のコメントから一ヶ月が経過し、終了提案への反対意見もありませんので僭越ながら終了を宣言します。問題が再発した際は新たに依頼し直して下さい。--sergei 2008年5月29日 (木) 13:00 (UTC)[返信]

テンプレート除去の報告[編集]

テンプレートを除去しました。何か間違いがありましたら、ご指摘をお願いします。--S kitahashi(Plé)2008年3月29日 (土) 03:15 (UTC)[返信]

タグはがしお疲れ様です。対応感謝いたします。--Kanbun 2008年3月30日 (日) 05:12 (UTC)[返信]
有り難う御座いました。色々な意味でゴンベイさんご自身の手で行って頂きたかったのですが、残念です。S kitahashiさんにはお手数をお掛けしました。--コータ 2008年3月31日 (月) 12:45 (UTC)[返信]
作業お疲れ様でした。ところで世界の一体化の分割提案のテンプレートまで一緒に除去されていますけどよかったのでしょうか? これは青子守歌さんが3月4日に貼ったもので、分割の議論はまだ継続中のようですが…。--sergei 2008年3月31日 (月) 13:41 (UTC)[返信]

(報告)世界の一体化の分割作業は関係者のご尽力により無事終了しました。--sergei 2008年5月29日 (木) 13:00 (UTC)[返信]