Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/紀和町花井 20170811

紀和町花井 - ノート[編集]

選考終了日時:2017年8月25日 (金) 02:50 (UTC)

  • (自動推薦)2017年7月の月間新記事賞受賞記事。--Eryk Kij会話2017年8月11日 (金) 02:50 (UTC)[返信]
  • 賛成 とても良い記事だと思います。すでに良質な記事に認定されている、同分野の他記事と比べても遜色の無い品質ですし、現在この集落が廃村となっていることも鑑みるとこれは驚くべきことである、と言わざるを得ません。とはいえ、記事の文面についてやや気になった点がいくつかありましたので以下に記しておきます。記事のさらなる発展のためにご活用いただければ幸いです。
    • 「現代」節に「昭和24年、当時森であった百夜月に人が入植し、山を切り崩し田畑を開拓した」という内容の記述がありますが、やや不自然であるように感じました。同集落内に建つ紅梅寺は、記事を読むかぎり近世以前に建立されたもののようですし、明治4年の一件を見ても当時の百夜月が全くの森であった、というのは信じがたいことであるように思えます。
    • 「百夜月と地名伝説」節に「また、花井についても、華森神社(稲荷社)で気比神(←保食神←稲荷神)を祀っていたことに由来するという別の説がある。」とありますが、意味をよく取れませんでした。華森神社においては稲荷神・保食神・気比神が同一の神として祀られている、という認識でいいのでしょうか。
  • その他、『紀和町史』には同地域の歴史についての詳細な解説がある、ということですからこれらの郷土資料をうまく活用していけばさらに素晴らしい記事となるのだろうな、と思いました。--Nux-vomica 1007会話2017年8月12日 (土) 03:30 (UTC)[返信]
  • 賛成 麗しい記事ですよねえ。執筆者さんの記事は今月いくつも候補になって、そのどれもが魅力的な記事と思います。実質無住の、地図で見ても小さい小さい1地区のことを丁寧に情報を集めて丹念に書いてここまで魅力的な記事にするというのはすごいなあ。読んだら絶対行ってみたくなりますよねえ。行ってみたいなあ。
  • Nux-vomica 1007さんがおっしゃっている「森の入植」の話は、私はそこまで不自然とは感じませんでした。「山を切り崩し」とありますが、重機もなかった時代ですから、規模は知れていたんじゃないでしょうかねえ。等高線をみてもすごい勾配ですし、崖がズドン河原がベタンみたいな地形なので、よくもまあこんなところに入植しようと思ったな、とは思いますが。
  • 「華森神社」のくだりは、確かにちょっとわかりにくいかもしれないですよね。記事を読んで想像する限りですけど、まず、華森神社(旧稲荷社)は明治末期に上川神社に合祀されてしまって(少なくとも単独の神社としては)現存しないのでしょう?で、その合祀される時点で祀っていたのは稲荷大明神(稲荷神)。稲荷神は食べ物の神様だし、保食神も食べ物の神様だし、気比神(氣比神宮#祭神について)も食べ物の神様なので、稲荷神≒保食神≒気比神とみなされて(氣比神宮の記事内にも保食神に通じるとあります)、「ひょっとして鎌倉時代以前には気比(けひ)神を祀っていて、それが花井(けひ)に転じて地名になったのではないか」と推測した人がいた、ということではないでしょうかねえ。出典のつけかたをみると、「鎌倉時代以前から花井があった」という部分には平凡・角川の出典がないので、両書に載るような文献史料は存在せず、「そう主張している人がいる」ということなんだろうと思います。史料に見える初出は「日足氏の所領」についての言及なんでしょう。
  • また、出典のつきかたからすると、角川に「そういう説がある」という記述はあるようです。角川は基本的に何か元ネタがあるはずで、きっと角川が参照した村誌類にそういう話があるのでしょう。
  • そしてもしかすると、私が推測したようなロジックが情報源に明確に書かれていないので、行間を読んで推測することはできても、厳密に出典に即して書こうとするとそこまで踏み込めない、みたいな感じなのかもしれないですね。(執筆者さんに訊ねればわかることですけどね。)
  • 私が気になったのは、気になったと言っても記事に問題があるということではなく「見てみたい」「どうなってるんだろう」ということなんですが、「百夜月軌道式運搬施設」ですね。ふつう「軌道」って行ったら鉄道的なものを想像すると思うのですが、平成17年の条例をみると、「軌道」と銘打っているけれど、「ラジコン」「吊400kg」「主索」「18m/m」という記述からすると、鉄道的なものではなく、四国や山陰の山深く谷深い地域によくある、谷の両岸をむすぶワイヤーみたいなやつ、なんだろうなあ。もしも仮に私が想像したようなモノならば、世の中一般ではそれは「軌条式」とか「索道」と呼ぶのだろうなあ。電子国土webでめいいっぱい拡大すると、それっぽい直線が川を横断してますね。条例には「百夜月農業生産組合長」とあるので、少なくとも10年前までそういう組合組織があり、それに足る農業収穫物があったのでしょうねえ。組合員数1とかなのかもしれませんが。--柒月例祭会話2017年8月12日 (土) 19:40 (UTC)[返信]
  • コメント 初版執筆者です。皆様ありがとうございます。気比神の件は分かりづらいということで注釈を付けて解説を書きました。百夜月の入植と百夜月軌道式運搬施設の件ですが、ご指摘の疑問点は私自身も思っていたことです。しかし今までに入手できた資料では現在記述している以上の情報がないので、『紀和町史』に記述があることを期待したいです。ただ、『紀和町史』の入手には時間がかかりそうです。--Miyuki Meinaka会話2017年8月14日 (月) 11:45 (UTC)[返信]
  • 賛成 とても良い記事になっているものと思います。現代の住民は、ミカン畑を維持、というあたりから見るとこういう栽培を生業として生活していたのでしょうか。どんな仕事をしていたのだろうかというあたりは気になります。現地の写真が欲しいですね。山道というから舗装もされていない酷い道路かと思えば、Googleストリートビューを見ることができて、舗装はされているようですね。ここまでよくストリートビューをカバーしたものです…。北山川の船からのストリートビューまであって、川の上から百夜月も見られますね。行ってみたい場所です。--Tam0031会話2017年8月20日 (日) 08:27 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Yapparina会話2017年8月22日 (火) 11:41 (UTC)[返信]