Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/白樺文書 (ルーシ) 20231015

白樺文書 (ルーシ)ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

選考終了日時:2023年10月29日 (日) 00:42 (UTC)

賛成 反対 --Anesth Earth会話2023年10月15日 (日) 02:37 (UTC)[返信]
(2023/10/17 追記)検証可能性に忠実であろうとすると記事が痩せてしまう、ゆえに反対とせざるを得ない、と主筆者が仰る状況では、気持ちとしては賛成継続としたいのはやまやまであるものの、現時点で基準に足る加筆も難しい、ということであれば、賛否が分かれた状態で宙ぶらりんのまま選考の場を占め続けるのは、あまりよろしくないので無いかと考え、賛成票を反対票に切り替えさせていただきます。どうも申し訳ありません。主筆者様の姿勢に敬意を表します。--Anesth Earth会話2023年10月17日 (火) 13:36 (UTC)[返信]
  • コメント 「歴史学的史料として」節「同じく、ノヴゴロド出土の別の遺構は、白樺文書の記述から、クニャージ(公)とポサードニク(都市の長)による合同裁判所であったことが明らかになった」「経済史の面では、ノヴゴロド圏(ノヴゴロド公国領域)の土地所有に関することや~」、「言語学的史料として」節「把握が難解な部分に関しては、正規の古東スラヴ語に関する読み書き能力の低い書き手、あるいは外国人による誤記であると捉えられることがあった」に出典がありません。また、「発掘史」節「「No.1」はソーダを含む温水で洗浄された後、広げられてガラス板に挟み込まれ、古書体学の専門家であったM.チホミロフの元に送られた」にも出典がないようにみえます。機械翻訳を用いて読んだので断言はできないのですが、[1]は「第一発見者のアクロワはアルツィホフスキーから賞金を授与され」だけにかかっているようです。--Nux-vomica 1007会話2023年10月15日 (日) 09:47 (UTC)[返信]
    (以下研究者など敬称略で記述いたします。)
    初版作成者です。出典の少ない部分については、私の手に入る範囲の露・日の各種サイトや日本語文献で出典(というか翻訳文の記述の裏付け)を補ってはみましたが、私にはこの辺が限界ですね…。なお、日本語文献ですと、『世界歴史大系 ロシア史1』(山川出版社・1995年)内で紹介されている、松木栄三の大学紀要上の論文([2]など)が主要文献のようなのですが(というかそれ以外に白樺文書を単体で扱った文献はなさそう。)、これを入手する術がなかった点がやや悔やまれるところです。
    一応、ご指摘の部分について回答いたしますと、
    • 「クニャージ(公)とポサードニク(都市の長)による合同裁判所」云々というのは、本文中に名の挙がっているヤーニンのロシア語書籍のどこかに書いてあるのかもしれません。ノヴゴロド公国(ノヴゴロド共和国)におけるクニャージとその他の権力バランスはどうだったのか、というのが諸説ありまして、クニャージは軍事権のみを持つ存在だったとする説に対し、ヤーニンはわりとクニャージの権力の存在を認める立場のようです。ゆえに、なんとなくですが、「合同」裁判所であることに注目するのはヤーニン派の説のように思われます。ただ、なら目途がついているならロシアから取り寄せろ、などとおっしゃられても、ちょっと私には厳しいところがあります。
    • なんでしたら「経済史の面では」云々の段落は全てカットしてもよいのでは、と思います。初版の段階では、この段落がないと節の文章量が少なくなってしまったのですが、その後政治・法について加筆できましたので(注96 - 99のあたり)、「政治史・法制史・経済史」という節を「政治史・法制史」にしておき、ロシア語版などが加筆されたら書き加える、という形でもよいのかなと思います。
    • 言語学節の部分は、近年の見直しの中心となっているのはザリズニャクやギッピウス等の言語学者のようなのですが、過去に、「読み書き能力の低い書き手、あるいは外国人による誤記であると捉え」ていたのは誰だったのか、というのはちょっと探しきれないです。
    • 「M.チホミロフの元に送られた」かどうかは、「No.1」を含む1951年の発掘の報告書[3]がアルツィホフスキーとチホミロフの共著として発表されており、「No.1」の分析にチホミロフが関わっていることはまず確実なのですが、発見→洗浄→搬送(チホミロフへ)と「No.1」が処理されたのかまでは確認できませんでした。(余談ですけど、考古学的発見物を「ソーダを含む温水」で洗う、というのは一般的なのでしょうか。酸性だと破損しそうな気もするんですけど、重曹とかですかね…?なおここ(тёплой водой с содой)を無理矢理英単語に置き換えると「hot water with soda」です。)
    いずれにせよ、良質な記事には全ての文・句に出典が必要というのであれば(無論それはウィキペディアの基本ではありますが。)、これ以上の出典付けは私には無理な気がします。
    また、全ての箇所に出典があるかどうかよりも、この記事はこれからも加筆・更新される可能性が高いと思えることが、私には気になるところです。白樺文書の発掘は現在も続けられ、毎年報告書が作成されているようです。それは参考文献の一番下のサイト内[4]で見ることができます。また、「発掘史」のうち近年の出土に関する出典などから見て、ロシア・ウクライナ・ベラルーシでは白樺文書の出土が報道されるようです。よって、ロシア語版(ru:Берестяные грамоты)・ウクライナ語版(uk:Берестяні грамоти)・ベラルーシ語版(be:Берасцяныя граматы)などは更新していける(且つ、記事に関わっているウィキペディアンも複数いる)のでしょうが、日本語版で更新しつづけるのはやや難しいように思います。つまりは情報が古くなることによって、記事の質を保つのが難しい記事なのではないかなと思います。例を挙げますと、ポーランド語版(pl:Gramoty na brzozowej korze)は2009年に良質な記事になっているのですが、出土数の一覧は当時の記事のまま(2007年の出土数)であり、これはいつか良質な記事から外されてしまうのではないかと思われます。
    よって、推薦してくださった方々には申し訳ないですが、なんでしたら良質な記事の選考対象から外してもよいのではないかとも思います。--ノフノフ会話2023年10月16日 (月) 08:42 (UTC)[返信]
    丁寧なご対応ありがとうございます。全記述に出典が付与されることは良質な記事としての必要条件だと考えています(cf. WP:GAC「項目に記述されるべきトピックがある程度網羅され、検証可能性が信頼できる情報源によって担保されている。」)が、同記事中の無出典記述は記事総体からすると比較的些末な箇所にとどまりますから、出典の確保が難しいならば一旦はすべて除去してもよいのではないかと存じます。
    研究の進展にともない情報の更新の必要性が生じるのはこの記事のみならず、wikipediaのすべての記事に当てはまることですし、すくなくとも2023年現在において、同記事は十分網羅性のある記述がおこなわれているように思いますから、「情報が古くなる」懸念については、良質な記事の選考の場においては大きな問題にはならないのではないかと考えています。--Nux-vomica 1007会話2023年10月16日 (月) 09:36 (UTC)[返信]
    反対 そうですね…、まずNux-vomica 1007さんのおっしゃることは基準に則った正論であると思います。また、私自身も出典の少なすぎる記事はイマイチ信用できないという感覚があり、削ること自体に不満はないですので、後ほど(ちょっと手持ち時間の都合で土日になってしまいますが、)修正してみます。が、出典ないところは先にご指摘なさった箇所以外にもありまして、それらを全て削るならば、今度は網羅性を満たさなくなるように思います。特に言語学の節がスカスカになります。また、段落や文が成り立たなくなる箇所もあるように思います。
    ちょっと考えてみましたが、何といいますか、良質な記事を目指して全て削ってしまうよりも、若干出典が足りなくても多方面に渡る記述がなされていることの方が、白樺文書とは何か?という記事としては価値があるような気がします。よって、修正はしますが出典のないところ全てを削るわけではないというのはご了承ください。解説として物足りなくなる(と私には思われる)部分までは削れないかな、と思います。(無論、ウィキペディア上の記事は私の所有物ではないですので、どなたかが私の思う以上に削る作業をなさることを拒否するつもりはないです。)
    ただ、出典のない部分を削るにせよ、残すにせよ、「検証可能性」と「網羅性」の両方を満たすことはむずかしいように思えるため、良質な記事としては反対票を入れたいと思います。--ノフノフ会話2023年10月17日 (火) 08:25 (UTC)[返信]
コメントコメントありがとうございます。当方としては現状でも良質な記事として問題ないものと考えておりましたが、主筆者の方から良質な記事の目安を満たすことが困難である旨のコメント及び反対票を頂きましたので、推薦者票を撤回し、取り下げの意を示します。--Gurenge会話2023年10月18日 (水) 10:51 (UTC)[返信]

取り下げにより、選考終了。--Gurenge会話2023年10月19日 (木) 11:11 (UTC)[返信]