Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ムハンマド1世 (ナスル朝) 20201003

ムハンマド1世 (ナスル朝)ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

選考終了日時:2020年10月17日 (土) 15:11 (UTC)

  • (推薦)先月の月間新記事賞に漏れた記事です。英語版の秀逸な記事からの翻訳で、この主題の人物の生涯や後世への影響について、現在わかっている範囲をきちんとまとめられているものと思います。--Tam0031会話2020年10月3日 (土) 15:11 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--Tam0031会話2020年10月3日 (土) 15:11 (UTC)[返信]
  •   賛成 :日本語の出典の追加が望まれますが、一通りの説明はあり良質な記事としては十分かと思います。ただ、概要の冒頭が「ムハンマド1世の時代にはすでにイベリア半島のキリスト教諸国(ポルトガル王国、カスティーリャ王国、アラゴン王国など)がレコンキスタを強力に推し進め、アンダルスと呼ばれる半島南部のイスラーム教圏を圧迫していた。 」から始まるのはちょっと不親切で、話が途中から始まってる感があります。そんなに詳細な説明は不要だとは思いますが、イベリア半島にムスリムの王朝が勢力を持っていたこと、長期的にキリスト教諸国が勢力を拡張し、イベリア半島におけるムスリム王朝は退潮傾向にあったこと、そのような中で勢力を築いたのがムハンマド1世だったこと、などは概要部にこそ順を追った説明が必要であると思います。--TEN会話2020年10月5日 (月) 15:51 (UTC)[返信]
  • コメント :おおむね良質な記事だと思いましたが、よく読むとさらに改善できそうな点が出てきましたので、以下に具体的に書きます。
  1. §概要 が記事全体の規模に対して長すぎる。放置すると無出典加筆の温床になるので,むしろ全部削除したほうがいい。
  2. 冒頭文の ابن الأحمر‎ はイブン・アフマル(あるいはイブヌル・アフマル)がいいのではないでしょうか。الغالب بالله‎ もガーリブ・ビッラーか、アル=ガーリブ・ビ=ッラーヒのどちらかでないとちぐはぐな感じです。ほかにも、タイファ、アシュキルラなど、アラビア語のカタカナへの音写がいまいちな箇所があります。ターイファ、アシュキールーラと思います。ちなみにアシュキールーラは "escayola" 漆喰を意味するそうです。
  3. §グラナダに定着 3文目。「ズィール朝」のリンク先は「ズィーリー朝 (スペイン)」と思います。「アルカサバ城」と固有名詞っぽくなっているところは、「アルカサバ」というヒスパノイスラーム史の専門用語(一般名詞)であることを明確にしたい。続く「そしてムハンマド1世は、当時小さな要塞があったアル=ハムラーという地域を視察し、」は、アルカサバと当該地域が別々のように読めますが、翻訳元を参照すると、アルカサバ内の一区画のようですので、ズィーリー朝がかつて建設したアルカサバの廃墟の中で、当時「禁裏」と呼ばれていたエリアに、のちにアルハンブラ宮殿と呼ばれることとなる要塞兼宮殿を建てようとした、という意味だと思います。
  4. §後世への影響 第3パラグラフ。
    1. 1文目 "His religious views appeared to transform during his career." は「生涯を通じて変転した」というより、彼が為政者として経験を積み上げていくにつれ外から見てとれる彼の宗教観が変わったように見える、と外観のことを言っています。
    2. 2文目 「禁欲的な宗教開拓者」がよくわかりませんが、出典(Latham 1993 p1021, Harvey 1992 p40)を読むと、ムハンマド1世がグラナダ入城からしばらくの間、ダルウィーシュのようないでたちをしていた(これはイブン・ハティーブによる文献的裏付けがある)が、その後、典型的なスンニー派君主然とするようになった、というような話のようです。
    3. 3文目「マーリク法学派を強制」という文言にギョッとしました。 "enforced the doctrines of the Maliki fuqaha." は「マーリク派の法を領内で施行した」ぐらいの意味です。英和辞典で enforce を引くと第2義くらいに「(法を)施行する」があります。
    4. 4文目、"transform" を「変節」とするのは言い過ぎでしょう。スーフィズムは道徳などの内面を、フィクフは宗教儀礼、民法や親族法、商法などの外面を問題にするもので一人の人物の中でスーフィーでありかつ法学者が両立する場合もあります。
  • 以上です。--ねをなふみそね会話2020年10月7日 (水) 10:28 (UTC)[返信]
  • コメント 翻訳者です。しばらくWikipediaから離れていたため、すぐにコメントできずすみませんでした。Tam0031さん、推薦ありがとうございます。TENさん、ねをなふみそねさん、改善点のご指摘ありがとうございます。
    • 概要部分でムスリム支配の成立とレコンキスタの流れを追加しつつ、全体を少し簡略化しました。ただこれでもちょっと長いので、ねをなふみそねのおっしゃる通り全削除しても良いかもしれません。
    • アラビア語の転写や用語の誤解について、ご指摘いただいた部分を修正しました。たびたびお手を煩わせて申し訳ありません。ターイファについては現行のタイファに倣ったのですが、これも置き換えることにしました。
    • アル=ハムラーについてですが、en:Alhambraを見ても、アルカサバとアル=ハムラーあるいはアルハンブラの、あえて言うなら「領域」の関係がよく分かりませんでした。「禁裏」というのは何を指しているか伺ってよろしいでしょうか。
  • よろしくお願いいたします。--McYata会話2020年10月11日 (日) 11:19 (UTC)[返信]
  • コメント §グラナダに定着 の件、私の勘違いでした。申し訳ありません。「アル=ハムラーがアル=ハラムの誤記ではないか?」と推測しました。この推測は誤りでした。『イスラーム百科事典第2版』vol.2, p.1012 "GHARNĀṬA" によると「グラナダは9世紀の時点では、城壁に囲まれた小村に過ぎず住民の多くがユダヤ教徒だった、キリスト教徒がそれに次ぎ、イスラーム教徒人口はさらに少なかった」そうです。この城壁に囲まれた小村全体が alcazaba ですね。このグラナダ旧市街はダロ川というヘニル川の支流の右岸にあり、ダロ川を挟んだ対岸(左岸)の断崖の上に、「赤」al-Ḥamrā’ と呼ばれた城砦が建った、ということだそうです。なので、アルハンブラはアルカサバの外側でした。--ねをなふみそね会話2020年10月12日 (月) 11:02 (UTC)[返信]
  • 賛成 :読みやすく、上手くまとめられた良い記事になっていると思うので賛成します。--Takenari Higuchi会話2020年10月14日 (水) 07:11 (UTC)[返信]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2020年10月16日 (金) 14:27 (UTC)[返信]