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チャド・リビア紛争ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

選考終了日時:2022年1月25日 (火) 00:05 (UTC)2022年2月8日 (火) 00:05 (UTC)

  • 賛成 :状況が複雑ですので、頭に入れるのに時間がかかりますが、文章はこなれています。事態が進むごとの地図と、簡単な年表があると有難いのですが。気になる点としては、
  1. 登場人物が二度目以降では、ラストネイムで表記されていますが、グクーニ・ウェディに関しては「グクーニ」と、ファーストネイムになっているのが気になります。リビアの苦境節に「グクーニやハブレといったトゥブ族(英語版)に分かれていた。」とあるので、イッセン・ハブレも「イッセン」でなければおかしいことになりますが。
  2. リビアの撤退節の「「union」とは両国民の「連合」のことであり両国家の「合併」の意ではないとか、「first step」とはより緊密な協力に向けた「第一歩」であるとか」とありまして、この前にある「リビアとチャドが『二国間の完全な統一の達成を目指して努力する』と決定した」に係るのは分かるのですが、unionが「完全な統一の達成to achieve full unity」につながるのに対し、「first step」に連動する語がありません。なんでしたら、ここは削除した方がよいのかと。
1969年リビア革命が日本語版に無いのは残念ですので、こちらの翻訳も期待致すところです。--Falcated会話2022年1月23日 (日) 15:58 (UTC)[返信]
  • コメント 翻訳をおこなった、むらのくま、と申します。ご意見・ご指摘、有難う御座います。執筆の励みになり、大変うれしく存じます。ご指摘の点ですが、以下の通りです。よろしくお願い申し上げます。
    • 1に関して。英語版でGoukouni(ファーストネーム)、 Oueddei(ラストネーム) が混在して使用されており(一方、Hissène Habréは、Habréのみ)、翻訳当初、「ウェディ」に統一するつもりでした。ところが、出典資料などを確認すると、Goukouni表記が一般的で[1][2][3] [4][5][6][7][8][9]、Oueddei(もしくはWeddeye、Ouaddai)表記は少数派[10][11]、(なお、双方使われている場合もある[12])の印象でしたので、逆に「グクーニ」表記に統一したとの経緯です(一方、Hissène Habréは資料でもHabré表記でした)。なお、グクーニ・ウェディイッセン・ハブレが、同じトゥブ族ながら、各種資料で表記(ファーストかラストか)が食い違う理由ははっきりとはわかりませんが、出身地域は違う様ですので(論文6頁)、それが理由かもしれません。
    • 2に関して。ご指摘の通りと思いますので、「first step」に関する部分は除去致しました(特別:差分/87677095)。
    • 年表に関しては、取り組もうと思いますのが、少し時間が掛かりそうですので、今後の課題とさせて頂ければと存じます。なお、「事態が進むごとの地図」に関しては、当方ではスキル的に難しそうです…。--むらのくま会話2022年1月24日 (月) 01:46 (UTC)[返信]
  • コメント すみません、読む作業が全然間に合っていないので、期限を2週間延長させていただきます。--Tam0031会話2022年1月24日 (月) 15:27 (UTC)[返信]
  • 賛成 複雑な状況で追いかけるのが大変でしたが、きちんとした記述になっているものと思います。改善するところがあるとしたら、地名が多く出てくるので、既に貼られているファイル:Tschad GUNT.jpgみたいな地図を冒頭の方で貼っておくことでしょうか。この地図自体はこの節で必要な北緯16度、15度を入れているので、そうでないものが必要ですが。あと、誰がどの勢力を代表していて、各時点でどちらに付いているのかを整理した表か図を最後にまとめとして付けられると非常にいいですね。これは大変だと思いますが。--Tam0031会話2022年1月27日 (木) 15:12 (UTC)[返信]

選考期間終了時点で賛成票3票のため、通過となります。--アリシア-jawiki(勝錦)(会話 - 投稿記録2022年2月8日 (火) 08:40 (UTC)[返信]