Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/イタリア植民地帝国 20200211

イタリア植民地帝国 - ノート[編集]

選考終了日時:2020年2月24日 (月) 18:30 (UTC)

  • (自動推薦)2020年1月度の月間新記事賞受賞記事。--ProfessorPine会話2020年2月10日 (月) 18:30 (UTC)[返信]
  • 反対 ちょっと厳しめのコメントになりますが、現状は大きく改善を要する状態であると思います。
  • 文章について:「イタリアの主要各紙が自国を『三流あるいは四流国のように』思わせたこの国民的屈辱は、イタリア政府を失墜させた。」「しかし、1919年に締結されたヴェルサイユ条約において、イタリアは約束された以上のものをヨーロッパ内で獲得したわけではなく、ヨーロッパ域外の海外で得たものについては何もなかった。」など、全体にわたって少々不自然な日本語文が目立ち、文章の推敲が必要であると思います。
  • 内容の正誤について:翻訳記事ですが、原文と内容が異なっている箇所が散見され、また英語版記事自体の記述の仕方に疑問のある個所があります。具体例としては例えば「バルカン半島においては、イタリアはダルマチアでの権利を主張し、アルバニア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ヴァルダル・マケドニアそしてギリシャに対し、これらの地域における古代ローマ支配の先例に基づいて野心を抱いた。ダルマチアとスロベニアはイタリアへ直接併合された一方、その他のバルカン諸国は従属国となった」とありますが、これは第二次世界大戦中の出来事です。しかし上記文章が1920年代~1930年代の箇所にあり、時系列上読者をミスリードするものになっています。これに続く「同政権はまた、オーストリア、ハンガリー、ユーゴスラビア王国、大ルーマニア、ブルガリアとも保護的な宗主国ー従属国の関係を確立しようとした 」という文章も前段の時系列の不整合も受けておかしくなっています。オーストリアはアンシュルスによって独立国ではなくなっていますし、それ以前だとしてもイタリアがオーストリアを従属国化しようとしたというのはかなり突飛な話であるように思われますし、「バルカン諸国」の中にユーゴスラビアやブルガリアが含まれていないように読める文章は説明を要するものです。
  • 植民地帝国について:「植民地帝国」とは何かということについて、簡単な説明が必要であると思います。また、イタリア植民地帝国という主題の文献を読んだことはないので確信を持っていませんが、ファシスト政権による未回収のイタリアやバルカン方面への領土拡張を植民地帝国という用語で括るのは適切ではないと思います。例えばドイツ植民地帝国について語る時にドイツ帝国領内にあったアルザス・ロレーヌやポーランド人居住地域を植民地帝国という文脈では処理しませんし、ナチス・ドイツの膨張もまた植民地帝国とは普通呼びません。スロベニアやダルマチアへの拡大は国民国家の形成過程で一般的に見られる古代・中世の帝国の現代への投影でもあり、植民地帝国というよりはバルカン諸国で流行した「大〇〇主義」と同じ文脈で分析される類のものでもあるのではないかと思います(「これらの地域における古代ローマ支配の先例に基づいて野心を抱いた」といった説明は出典元ではまさにこうした文脈を受けて行っている説明であろうと予想します)。また、植民地帝国はそういう名前の国が存在したわけではなく、歴史学上の分析概念なので「その帝国建設はイタリアに対するイギリス帝国、フランス植民地帝国、ドイツ植民地帝国など他国の黙認に依存していた」といった文章は単純におかしいです。
  • 記事主題について:現状の記事は「イタリア植民地帝国」というよりは「近代イタリア領土変遷史」とでもいうべき内容となっています。記事名に内容をしっかりと対応させるには、イタリア植民地帝国が歴史学者からどのような存在と認識され、どのような構造を持っていたのか、という観点の説明を主軸に据えるような編集が必要であると考えます。--TEN会話2020年2月11日 (火) 15:01 (UTC)[返信]

選考終了時点で反対1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031会話2020年2月25日 (火) 14:34 (UTC)[返信]