Wikipedia:秀逸な記事の選考/ヨハネの手紙三 20151102

ヨハネの手紙三[編集]

賛成/条件付賛成/保留/反対 4/0/0/0 この選考は選考基準の賛成のみ3票以上を満たしています。 2016年2月7日 (日) 08:35 (UTC)(2016年2月7日 (日) 17:35 (JST))‎までに異論がなければ、この項目は秀逸な記事となります。

(ノート) 新約聖書を構成する27文書のうち、最も短い文書(新共同訳聖書だと1ページ分)の記事です。現状の内容のほとんどを加筆したのは私ですので、実質的な自薦になります。6月の月間強化記事賞を頂いた記事で、GA選出後さらに文献の収集を行いましたが、大きく加筆すべき内容は確認できなかったため、若干の加筆・調整の上で秀逸選考に掛けさせていただくこととしました。なお、私自身はクリスチャンではありませんので、GA選考に掛かった時点でプロジェクト‐ノート:キリスト教#ヨハネの手紙三にて欠けている要素についてのご意見を募りましたが、特に反応はありませんでした。--Sumaru会話2015年11月2日 (月) 14:57 (UTC)[返信]

  • 賛成 参考文献の中で7-8冊ほど検証しました。ヨハネの手紙三って本当に手紙なんですよね。それも1枚の分量の手紙。神学上の大きな争点も無い。聖書の中で大きな役割をはたしているわけでも無い。それなのにここまで書くとは恐れ入りました。短い手紙であるヨハネの手紙三でここまでの記事を書かれてしまっては大著である福音書などのwp記事をFA級にするのはさぞかし大変でしょう。そんな事まで考えてしまいました。参考文献のどれを読んでも書いていることは大同小異です。そしてその小異の部分をきちんと把握し分類して書いています。多くの専門書の大同小異がみごとにまとまっています。この記事を多くの専門書をはるかにしのぐ出来栄えにまでした主筆者の力量には舌を巻くばかりです。ただ1つ気が付いたのは参考文献中村1980・・中村和夫、「ヨハネの第一の手紙」「ヨハネの第二の手紙」「ヨハネの第三の手紙」 『総説新約聖書』 日本基督教団出版局、1980年、425-442頁。ISBN 4818420263。(荒井献・中村和夫・川島貞雄・橋本滋男・川村輝典・松永晋一 共著)の発行年は1980年ではなく1981年です。半日国会図書館で検証して、こんな瑣末なことしか指摘しかすることが出来ないということはこの記事をFAにするになんら問題ないでしょう。--ぱたごん会話2015年11月17日 (火) 12:18 (UTC)[返信]
    • コメント 誤記のご指摘ありがとうございました。最初に作った書誌が誤っていたようで、同じ文献を利用していた他の聖書記事でも1980年にしていたので、すべて修正しました。--Sumaru会話2015年11月17日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
  • 賛成  なにより参考文献の数には驚きました。これだけの文献を読まれたことに敬意を払います。キリスト教徒ではないので聖書を読んだことはありませんが、古今それこそ無数の神学者がいて、またキリスト教に一生をささげた人はそれ以上に多かったことは明らかで、深く研究されている事柄でしょう。膨大な研究を取りまとめるのは大変だったことでしょう。大変に短い手紙だということですがその内容はこの記事を読んだだけでよくわかり、また各種の神学研究もよくまとめられていることは分かります。異論、異説も丹念に把握されているようです。プロジェクトでも意見が付かなかったということですが、それならば反対する理由はないでしょう。--目黒の隠居会話2016年1月15日 (金) 07:06 (UTC)[返信]
  • 賛成 良質な記事の選考の時に続いて読み直しました。細かいことを言えば、執筆地や執筆年代などについては、各方面の説を併記するだけでなく、なぜそういう風に主張者が考えたのかを整理してまとめられたら、と思いますが、「ヨハネ書簡」の方にある程度の記載があってそちらに誘導する構成となっているようなので、こちらではこの程度でも問題はないと考えました。各記述の解釈に対する併記でも、ある程度の根拠を示しつつも、結局は解釈者がどのように考えたか以上のものはあまりなさそうなので、これ以上根拠をきちんと示せと言っても無理かと思われ、賛成とさせていただきます。今からだと選考期間が1回自動延長されてからの通過になると思いますが、遅くなりすみません。--Tam0031会話2016年1月31日 (日) 08:35 (UTC)[返信]
  • 賛成 私なんかが言えることはほとんどありません。事前知識なしでもすんなり読めるよう丁寧に作られていますし、文句をつけようにも見当たらない、大変良い記事だと思いました。それでも、無理に文句をつけるなら――「文庫クセジュで新約聖書を担当した…」という言い回しはちょっと気になりました。些末なその一点くらいです。--Hisagi会話2016年2月6日 (土) 12:37 (UTC)[返信]
    • コメント ご指摘ありがとうございます。すみませんが、その気になった点につきまして、もう少し詳しくご説明いただけないでしょうか。文中で言及した論者について(全員ではありませんが)説明を付けているのは、山ほどある聖書註解のうち、できるだけ叢書や聖書学者の共同著作物で第3ヨハネを担当している人(つまり他の専門家からも一定の評価を受けていることが明らかである人)の見解を中心に扱ったことを分かりやすくするための補足でしたので、それがかえって何らかの「引っかかる点」になってしまっているのでは本末転倒です。選考終了までもう時間がないため、ここはクローズされてしまうかもしれませんが、この選考のノートなり、記事のノートなりで敷衍してご指摘いただければ、善処したいと思います。--Sumaru会話2016年2月6日 (土) 14:17 (UTC)[返信]
      • コメント あくまで「言い回し」に違和感があるというだけですが、レジス・ビュルネが「新約聖書」の巻を「担当した」のは「日本の白水社の『文庫クセジュ』」ではなく「フランス大学出版局の『クセジュ』」では? ……ということです。違っていたらすみませんが、ビュルネ自身としては極東のこの叢書に携わったというわけではないですよね、おそらく。私の感覚がおかしいのかも知れませんが、「邦訳書」の刊行に原著者が積極的に関わっているのでなければ「担当する」という表現は「?」となります。よく見ると「『叢書 新約聖書神学』でヨハネ書簡を担当した…」も同様ですが…。--Hisagi会話2016年2月6日 (土) 16:55 (UTC)[返信]
        • 早速のご回答ありがとうございます。クセジュに関しては訳者あとがきでも日本の「文庫クセジュ」と原書の「クセジュ叢書」を区別しているので分からないでもないのですが、『叢書 新約聖書神学』に関してはNew Testament Theology という叢書がそのように訳されており、日本語版でも(多分原書の方にしかかかわっていない)ダラム大学神学部のジェームズ・D・G・ダンが邦訳叢書全体の「編集主幹」と明記されています(巻末の一覧。日本語版監修者は別にいます)。このように原書の位置付けがそのまま邦訳に反映されている例がありますので、正直どう直したものか、とは思います。ただ、おっしゃりたいことは理解できましたので、(選考終了までに間に合うかは確約しかねますし、後者は実際に修正するかどうかは未定ですが)表現の調整は検討します。--Sumaru会話2016年2月6日 (土) 17:37 (UTC)[返信]

(秀逸)選考基準の賛成票のみ3票以上を満たし1週間経過。秀逸入りの選考通過条件とする意見はないので、この項目は秀逸な記事となりました。--ぱたごん会話2016年2月7日 (日) 08:47 (UTC)[返信]