Wikipedia:査読依頼/セイロン侵攻 20170201

セイロン侵攻 - ノート[編集]

フランス革命戦争中の戦闘の1つです。英語版で良質な記事になっているen:Invasion of Ceylon (1795)から翻訳されたものなので、内容面ではおそらく問題は少ないと思いますが、主に翻訳面で誤訳がないか、日本語としておかしいところがないか、などのご意見を募りたいと思います。当然ながら、内容面でのコメントも大歓迎です。何卒宜しくお願いいたします。--ネイ会話2017年1月31日 (火) 17:05 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
私はネイさんなどには到底及ばない泡沫執筆者でございますが、僭越ながら書評(?)をさせて頂きました。まずは翻訳面ですが、英語版と対照しながら読ませて頂きましたが、私が見た限りでは誤訳の類はございませんでした。日本語の文法としても不自然な点は見受けられず、全体としてとても完成度の高い訳に仕上がっていると感じました。次に内容面ですが、こちらも英語版で良質な記事に選ばれているだけあって、書くべき内容がコンパクトにまとまっていると思いました。欲を言えば、戦後の影響などについてもう少し分量があると良いようにも感じましたが、現段階でも十分良質な記事に値すると思います。--ミランブラジル (会話 | 投稿記録) 2017年2月17日 (金) 09:42 (UTC)[返信]
返信 ミランブラジルさん、書評をしていただき、どうもありがとうございます。わたしなど執筆どころかほぼ翻訳しかしていないので、ミランブラジルさん以上に泡沫ですよ(笑)。本題の査読についてですが、戦後の影響は「これ以降セイロンでは大した戦闘がおこらないまま1802年の終戦を迎えた。1801年10月からの和平交渉ではセイロン島がイギリスに割譲されることで合意したが、バタヴィア共和国の頭越しで行われたことであり、事前の相談はなかった。バタヴィアの駐フランス大使Schimmelpenninckは1795年のハーグ条約と話が違うと抗議したが、聞き入れられなかった。」を追加するぐらいしか思いつきませんでした。イギリスの統治についての記述はイギリス領セイロンに譲るべきと思いますが、いかがでしょうか。査読が終わる4月1日には良質な記事の選考に提出するつもりなので、査読終了まで間に合わなかった場合でも選考のほうでコメントしていただければ幸いです。--ネイ会話2017年3月26日 (日) 12:09 (UTC)[返信]
お返事 コメント頂きありがとうございます。いえいえ、私の方もほぼ翻訳しかしてないので、ネイさん以上に…というのは置いておきます(笑)。確かにおっしゃる通り、書くべき内容はこれ以上は無さそうということのようでございますね。ただ、もし何か文献などがあれば、この戦いによってイギリスやフランス、オランダなどの諸国がどのような影響を受けたかといった内容があると、少し面白さが出るかな…と思った次第です。私は英語(或いはフランス語やオランダ語)力がそこまででもないため(或いは活動形態上の都合のため…?)、ちょっと文献調査ができない状況ですが、口だけ出すみたいな感じになってしまい申し訳ないです…。ただ、すいません、最初のコメントと異なってしまいますが、ちょっとだけ不自然な部分があるように思われたため、少しだけ修正を入れさせて頂きました。もし私の編集で誤訳が出てしまっていたら申し訳ありません。--ミランブラジル (会話 | 投稿記録) 2017年3月27日 (月) 18:01 (UTC)[返信]
【感想】 ──専門外の方による感想。
【その他】 ──表記・文体など