Wikipedia:井戸端/subj/Wikipediaは「読者第一」なのか、それとも「執筆者第一」なのか

Wikipediaは「読者第一」なのか、それとも「執筆者第一」なのか[編集]

済み提起者からの全体への返信は終了(ご回答を妨げるものではありません)。なお、議論が続いている間は、個別への質問・コメントを行ないます。WwLMvm会話2016年6月8日 (水) 07:13 (UTC)[返信]
済み井戸端への読み込みが解除されたので、議論を終了いたします。ありがとうございました。WwLMvm会話2016年6月29日 (水) 07:15 (UTC)[返信]

こんにちは。Wikipediaの執筆を初めて数ヶ月しか経っておらず、まだマニュアルも全て読み切っておりませんが、ひとつ質問いたします。

発端はWikipedia:井戸端/subj/一文ごとに出典は必要なのか?を読んだことです。過剰に「要出典タグ」を貼られるということから私は、一文ずつ「要出典タグ」が貼ってある記事を思い浮かべました(具体的な記事名は思い出せないのですが、確かアダルト関係の記事だったので、本当に出典のない文章だったと思われます)。Wikipediaでは出典を明示することが前提なのは言うまでもなく、出典のない文章を書いてはならないのは重々承知ですし、その方針に全く異論はありません。出典のない文章に対して、出典を求める行為も問題ないと考えております。しかし、どのような行動で出典を求めるのかという点で疑問を持ちました。一文ずつタグを貼ることで、確かに出典が必要な部分は明確になると思いますが、それと引き換えに読みにくくなってしまいます。Wikipediaの方針を知らない読者は「この記事は読みにくい」と思ってしまうのではないでしょうか。

ここで、表題の疑問点にたどり着きます。もしWikipediaが「読者第一」のプロジェクトならば、可読性を失う行為を避け(例として、出典を求めるならば、一文ずつタグを貼るのではなくて、記事上部にテンプレートを追加する、など)、読みやすい記事を目指したほうが良いと思います。いわゆる、接客業における「お客様=神様」といった感じでしょうか。そうではなく、編集のしやすさや記事の整理のしやすさを第一とする「執筆者第一」のプロジェクトならば、(出典の話でいえば)現状問題ないと思います。

何故このようなことを質問したかといえば、「読みやすさよりも出典明記が第一」というような雰囲気が、前に挙げた井戸端の節から感じ取れたためです。記事の質を保つため、あるいはWikipediaの方針を守るため、出典を求めることに関しては正しいですし、(繰り返しになりますが)異論はありません。ただ、読者がいてこそ成り立っているプロジェクトでもあるわけですし、先述の節の質問内容は「読みにくいほどのタグでも良いのか?」というようなものだった気がしますので、個人的な意見としては「そこまでする必要はあるのだろうか?」と思った次第であります。

Wikipediaが「読者第一」なのか「執筆者第一」なのか、(もしかしたらマニュアルのどこかに載っているかもしれませんが)いわゆる「現場の声」なども含めてご回答いただければ幸いです。 --WwLMvm会話2016年6月7日 (火) 12:04 (UTC)[返信]

コメント 私は「読者第一」だと思います。執筆者も読者のことを第一に考えて執筆していると思います。ご覧の井戸端での議論でもありました通り、過剰な要出典ダグはもちろん不適切です。しかし要出典タグには執筆者に出典の提示を促す目的のほかに、読者に「この部分は信憑性が低いですよ」ということを示す目的もあるでしょうから、一概に要出典ダグが読むのに邪魔なものというわけではないと思います。ケースバイケースですが、いつまで経っても(数か月?)消えない要出典部分は除去してもらっても全く問題ありませんよ。--Waiesu会話2016年6月7日 (火) 12:27 (UTC)[返信]
コメント 私はこの際「読者第一」と言い切ります(もちろん私個人の見解です)。ですので「可読性が悪い記事」はブラッシュアップの対象となるでしょう。一方、調べ物する際に出典を確認する読者もいますので、出典を削らずにいかに可読性を改善させるかが、ウィキペディアンの腕の見せ所といったところでしょうか。--Damena会話2016年6月7日 (火) 12:57 (UTC)[返信]
コメントどっちかが第一、という二択ではないです。そしてウィキペディアは読者と執筆者をきっちり分けて考えることができません。
要出典タグによって読者はその内容が出典による担保がないことを知ることができます。そのような観点からは、これは読者のために貼るものでもあります。要出典タグを見て、出典を持っている人は追加してくれるかもしれません。それによって、読者だった人が執筆者になるわけです。
読みやすさのために出典を挙げることをしなくてもいい、ということにはならない。「読みやすさ」にも、いろんな水準があります。注番号が入ったら、それでもう読みにくいという人もいるでしょう。でも、新書の類でも、注番号を振って出典を示しているようなものはあります。出典を示さないでいいとするのでなければ、注番号ではなく、文ごとに書誌情報を入れるとか、まとめて参考にした文献をリスト化するとかいうことも考えられますが、それはそれで煩雑だったり、情報の紐づけが弱まりますから、いざその出典にあたろうとしたときに困ったりします。読みやすさを保ちながら出典を示すにはどうするか、考えて、今のやりかたが、だいたい落としどころ、と言えるのではないでしょうか。そこらへんは、各分野の専門書の書かれ方、入門書の書かれ方、読書経験の見積もりなどを考慮しつつ、それぞれの知識や経験を相対化しながら落とし込んでいくってことになるでしょう。タグの使い方も、同じです。逐一つけるのが良いか、全体に付けるのを好ましいとするか。何かを「第一」とすると、それによって極端に走ることを正当化してしまうんですよ。記事の全体に出典がないなら、一文一文に要出典範囲タグを貼るのは適切ではなく、全体にテンプレを付けるか、疑わしいところにピンポイントで貼るかのどちらかが、たぶん妥当なところで、それならそんなに読みにくくはないはずです。--Ks aka 98会話2016年6月7日 (火) 12:58 (UTC)[返信]
コメント ただの私論になってしまうかもしれませんがご容赦ください。
私は編集者も読者の一員だと思っていますので、どちらかだけという訳ではないと思います。私自身過剰な要出典タグにはイラッとすることはあります。読みやすさのために表に対してかなり強引なスタイル指定をしたりすることもありますし、編集効率を優先した編集も行ってると自覚しています。私は1文1文に出典がいるかと言われるとかなり悩んでしまう人で、一つの出典から複数の連続した文を書く場合、それらの文ひとつひとつに同じ出典を付けて行くのは変だろと思ってしまいますし、摂理なんかには出典要らないだろと考えてしまいます。でも1文1文に必要だと考え細かく付けることもあります。なんなら1文の中に複数の出典が必要な場合も。矛盾していますが、やはりケースバイケースなのでしょう。時には型にとらわれない編集も大事だとも思います。
私が編集者として参加する前、だいたい1年くらい前には私は正直{{出典の明記}}だとか{{独自研究}}なんて意味わからなかったですし、{{いつ}}とか{{要出典}}とかはまだ不確定で今後の研究成果次第なのかな?程度で問題だと思っていなかったと思います。今でしたら解決しようと検索エンジンとにらめっこしますが(苦笑)。読者視点の意見はWwLMvmさんが1番良いものを持っていると思います。いろんな意味でWikipediaに「慣れてしまう」前の貴重な意見が沢山の人に共有されて欲しいと思っています。もちろん上のくさかさんのような長くWikipediaに携わっている方のご意見も大切だと思っています。偏った見方になってしまうのは良くないので私は編集者でない友人に記事を読んだ感想を聞いたりしてみたりはしています。--Mirinano会話2016年6月7日 (火) 13:16 (UTC)[返信]
議題提起者より全体へ まず、(本件の内容とは直接関係ありませんが)多くのご回答をいただきありがとうございます。議題提起から短時間でのご回答に、正直驚いております。本来なら各ユーザーからのご意見に返信したいところではありますが、まとめてここに投稿し、返信といたします。また、井戸端ページ内での内部リンクを修正いただきありがとうございました。
(本題に戻ります。)『「要出典」タグが読者に対し「この文章の信憑性は保障できない」ことを表している』ことは、完全に見落としておりました。また、読みにくさの基準がそもそもバラバラであることや、常に決まった書式で執筆する必要のないことなど、どれもマニュアルで読んだはずのことでした。「読者第一」なのか「執筆者第一」なのかに関しては、そもそも読者と執筆者の線引きが不可能であるのは、まさにその通りだと思います。他にもたくさんのご回答をいただき、非常に勉強になりました。今後の執筆・編集活動の際に忘れないよう、努めていきたいと思います。
多人数への返信に慣れていないもので、拙い文章となってしまいました。本議題に関して、私個人としては解決いたしましたが、より多くの「現場の声」を聞くため、また同様の疑問を抱えている他ユーザーの方々をために、もう少しご回答をお待ちしたいと思います。 --WwLMvm会話2016年6月7日 (火) 14:22 (UTC)[返信]
コメント 読者の立場からすると、確かに過剰な要出典は読みにくい記事にする可能性はありますね。しかし、記事の中には、文章が入っているがその情報・内容・信頼性に疑問を持つものがあります。「要出典タグ」は記事の情報の信頼性を判断する手がかりともなりえると思います。ところで読者の読みやすさについてですが、要出典が数多く入っているものは読みにくい記事としているということは、逆をとれば「出典明記」や「注釈」が数多く入っている記事はまた読みにくいものではないかという疑問になりえるのではないでしょうか。今加筆しているキリスト教右派を御覧いただきたいのですが、数多くの「出典」と「注釈」を入れています。つまり、この記事はちょっと読みにくい記事となっていると言えるかもしれません。やはり「要出典」のタグ(同様に「出典」「注釈」)の入れ方は簡単ではないかもしれないですね。--Koshi2016会話2016年6月7日 (火) 14:55 (UTC)[返信]
コメント キリスト教右派でしたらgroup="注釈"group="注"とするだけでも多少はすっきりとすると思います。略年表をwikitable化すれば「:」の位置ずれも無くなるんじゃないかな。--Mirinano会話2016年6月7日 (火) 15:11 (UTC)[返信]
返信 (Mirinano様宛) ――Mirinano様、具体的なアドバイスありがとうございます。記事を作るうえで、技術的な作業について、他の参加者から具体的なアドバイスを受ける機会ほとんどないので、大変ありがたいです。ありがとうございます--Koshi2016会話2016年6月7日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
コメント お役に立てたのなら良かったです。また何かありましたらお気軽に私の会話ページにでもお越しください。私に出来ることでしたらお手伝いしたいと思います。--Mirinano会話2016年6月7日 (火) 15:35 (UTC)[返信]
返信 (Koshi2016氏宛) 記事、拝見いたしました。確かに、「要出典」タグが読みにくいなら「出典」タグや「注釈」タグも読みにくい、ということになってしまいますね。私自身は、注番号だけなら大丈夫なのですが、括弧("[]")内に文字が入ると(例:[要出典], [注釈 1])、少し読みづらく思うようです。ですが、挙げられたキリスト教の記事に関しては、注釈と出典を分ける必要があるため仕方がないことだと思います。やはりケースバイケース、ということでしょうか。
注釈と出典を分ける方法に関しては、以前どこかの記事で「注釈」という文字を短剣符で代用していた気がします(本来の用途やWikipediaの方針に則っているかは不明ですが)。 --WwLMvm会話2016年6月7日 (火) 15:16 (UTC)[返信]
返信 (WwLMvm様宛) ――注釈についてのお話し大変参考になります。少々、調べて利用しようと思います。--Koshi2016会話2016年6月7日 (火) 15:34 (UTC)[返信]
  • コメント出典を付けると注番号で読みにくくなるから出典付けないほうがいいという主張もかつてはありましたよ。ただそれは、記述内容と情報源を個々に結びつけるほうが、より踏み込んだ情報を求める読者には有益ですし、ウィキペディアの加筆・修正のありかたとしても、分の近くにrefを置く方がいいだろう、と。一方要出典については、情報の信頼性を判断する手がかりとしては全体のテンプレで足りるので、逐一個別に付ける必要性は低い。
  • 注釈を注にするのは、とりあえず見た感じの印象変わると思う。
    • あと、注釈は本文に入れ込んだり削ったりして減らすって方向もあります。できるだけなくせ、という論文のスタイルもありますね。「注釈13」なら「1978年、「ボーン・アゲイン」の福音派として知られているジミー・カーター大統領[xx]が宗教系私立学校が人種差別を行っていることに対して非課税措置に制限を加えようとした際には、」、これが冗長なら「ボーン・アゲイン」の福音派として知られていることはカーターの項目に任せてしまって、こっちは書かない。
    • キリスト教右派での注釈の使い方なら、出典と区別しないで併せてしまうという手もあります。出典のrefタグ内は簡略化した書誌情報とページだけでなければならないというわけではないし、人文・社会系だとそういう書き方のほうが一般的だと思う。
そこは、まだウィキペディア全体として試行錯誤中のところだと思ってます。--Ks aka 98会話2016年6月7日 (火) 15:39 (UTC)[返信]
質問ひとつだけ。「注釈を注にするのは、とりあえず見た感じの印象変わると思う。」とは+へ移行するのか-へ移行するのかどちらでしょうか。当該文章からでは判別することが出来ませんでした。--Mirinano会話2016年6月7日 (火) 15:47 (UTC)[返信]
読みやすくなるか、より読みにくくなるか、を尋ねられているってことでよいですか? より読みやすくなる(読みにくさが軽減される)ほう。--Ks aka 98会話2016年6月7日 (火) 16:12 (UTC)[返信]
コメント 分かりにくい文章で申し訳ないです。その通りです。返答ありがとうございました。--Mirinano会話2016年6月8日 (水) 03:26 (UTC)[返信]
返信 (Ks aka 98様宛) ―― Ks aka 98様のお話しは納得できます。
  • 私は記事の内容全体が疑わしいとし全体に要出典を貼り付けるようであれば全体のテンプレで十分と思います。ただ、記事のパターンにも一部は信頼できるが、この節は疑問というものが乱立するものがあります。その場合には、個々の部位への貼り付けとなるのかなと思います。まあ「ケースバイケース」となるのかなと思います。
  • ところで、注釈の本文の整理については、検討が必要な点が見られますね。まだ、本文に重複している文章や十分な整理ができていない点があると言えるので、この辺は検証が必要と思っています。注釈と出典の使い方ですが、確かに私が普段論文を組むときにも、出典と注釈は一緒にまとめています。ただ、wikipediaで秀逸なおよび良質な記事であるオスマン帝国エチオピアの歴史の注釈、出典、参考文献を参考とさせていただきました。
  • 私はwikipedia外で普段執筆するときには、論文に利用する文献は「参考文献」ではなく「引用文献」と表記しているですが、wikipediaではほとんどの記事に「参考文献」と表記されているのでこちらを利用しています。
  • 私が確認したwikipediaのノートは、このあたりの表記やスタイルについて、全体の記事に一貫性が見られないなあと思い、現状この形式で加筆しています。Ks aka 98様、有効なコメントありがとうございます。今後の加筆作業を行う方針の参考としたいと思います。--Koshi2016会話2016年6月7日 (火) 16:48 (UTC) 署名忘れてました[返信]
コメント大原則が求めているのは「出典を明記しろ」ということだけであって、「どうやって出典を明記するか」までは一種類だけが指定されているというわけではないです。それには色々な方法があるんでしょうけれど、今主流のスタイルが、いろいろな理由で多くの人が好んで、WP:CSでも「推奨」となっています。机上の空論ですが、もしも仮に、もっと読みやすく、かつ適切に出典を示す方法が創出されれば、それを使ってもいいわけです。(現実的にはいきなり独創的な出典スタイルを使い始めても、既存のスタイルに直されてしまったりするでしょうし、「こういうのはどうでしょう」と提案したり合意形成を経ないといけないでしょうけど。)
まあ、この話の趣旨として「タグそのもの」と、「一文ごとに要出典をつける行為」と、「一文ごとに出典がついた記事」の善し悪し話は、別のこととして考えるほうが良いと思います。要出典タグは、「ここ注意だよ!」と読者に注意喚起する意図もあるでしょうから、「読みにくくする」ことは、その意図に適っているとも言えるのではないでしょうか。問題になるのは「ここ注意だよ!」と言い過ぎることにあるということでしょう。--柒月例祭会話2016年6月7日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
コメント要出典タグを付いているということは、その記述は正確性や中立性に不安があるということですよね。根本的な問題として、そういう記述を読者のみなさんにすらすらと引っかかりもなく読んでもらって良いのかということがあります。記述内容があやしいところでは、その都度立ち止まって眉に唾してから続きを読んでもらう方が読者のためになる。わたしなどは、そう考えます。もし、みなさんが一般の読者にそんな警告は必要ないという考えで一致しているのなら、表のページでは要出典タグを非表示にして、編集画面だけに表示するようなことも技術的には十分可能でしょうから、そういう手段を検討されてはどうかと思います。。--Dwy会話2016年6月7日 (火) 21:18 (UTC)[返信]
コメント個別に要出典をつけずに、ページの上部に全体の「要出典」テンプレートつけるだけだと逆に困るな。他人が外しようがないじゃないか、どこが要出典なのか分からないのだから。要出典つけた本人がちゃんと確認して外すならいいが、ほとんどはテンプレートつけた後、外しもしないし。それと「読みやすさ」を読者第一とか定義されても困る。出典もまた読者第一主義だ。「読みやすさ」だけを求めるなら、「goo Wikipedia」とか外部サイトで読みやすいのがあるのでそちらを読むといいと思う。--Afaz会話2016年6月8日 (水) 00:28 (UTC)[返信]
コメントDwyさんへのコメント。「要出典タグを付いているということは、その記述は正確性や中立性に不安がある」ってことではない、でしょう。正確性や中立性は、出典の有無だけで決まるものではなくて、出典があっても偏りがあるものもあれば、出典がなくても実際には正確で中立的なものもある。要出典タグが付いているのは「出典がない」てことを意味するだけで、その結果として「不安がある」。運用として「全体に出典が付いていないけれども、だいたいは間違ってないと思われ、しかし疑義があるところがあるので、まずはそこの出典を求める」という感じになってる。「根本的な問題として、そういう記述を読者のみなさんにすらすらと引っかかりもなく読んでもらって良いのか」というのは、ウィキペディアのやりかたへの挑戦です。また、「一般の読者にそんな警告は必要ないという考えで一致」というのは無い、というか、みなさんがそういう考えだとしたら、ウィキペディアは誰でも編集できるものであって、そもそも要出典の表示は「警告」ではないし、要出典の表示は編集への参加を促す役割もあるので、むしろそれは改めないといけない考え、です。--Ks aka 98会話2016年6月8日 (水) 05:51 (UTC)[返信]
「疑義があるところがある」けど「『正確性や中立性に不安がある』ってことではない」ですか?ちょっとわかりにくいですね。
要出典タグは一義的には他の編集者に対して加筆を促すものですが、読者にとっては、その記述に対して疑義が呈されている(=記述が100%は信頼できない)ことを示す意味があると思います(一般の読者にタグの意味がどこまで分かるかという問題はありますが、要するにその部分の執筆・編集が未完成であることは何となく分かるでしょう)。--Dwy会話2016年6月8日 (水) 21:52 (UTC)[返信]
コメントAfazさんへのコメント。出典が付いていないところは全部「要出典」ですよ。付いてるところと付いてないところの区別は難しくないはずです。付けやすいところから付けてもいいし、まずは不確かと思われるところから付けてもいい。だいたい付いたなら、誰でも外せばいい。付けた人じゃなくてもいいけど、付けて回ってるような人は、積極的に外す作業(記事に応じて適切なテンプレに付け替える作業)もして欲しいとは思います。そこらへんは、何でも完璧を求めてそれに達していないから剥がせない、てところがあるんだろうなあ、と思います。--Ks aka 98会話2016年6月8日 (水) 05:51 (UTC)[返信]
議題提起者より全体へ ご回答ありがとうございます。「読みやすさ=読者第一」ではないとのこと、確かにその通りですね。見落としていました。読者視点でも、出典が有益な情報のひとつであることを忘れずに、今後も編集してまいりたいと存じます。勝手ながらこれにて全体へのコメントは最後とし、今後は(この議論が続いている間は)、個別への質問・コメントに限りたいと存じます。(私からの返信アイコンをわかりやすいものに変更いたしました。) --WwLMvm会話2016年6月8日 (水) 01:21 (UTC)[返信]
 議題提起者より追記 節上部のテンプレートを変更しました。署名の付け直しに伴い、前の版に書かれていた時刻と変わってしまいましたが、ご了承ください。 --WwLMvm会話2016年6月8日 (水) 07:13 (UTC)[返信]

 議題提起者より全体へ 当節の井戸端への読み込みが解除されたのに伴い、議論を終了したいと思います。ご回答くださった皆様に感謝申し上げます。--WwLMvm会話2016年6月29日 (水) 07:15 (UTC)[返信]