Wikipedia:井戸端/subj/林信吾の記事について

林信吾の記事について[編集]

コメント依頼をしても全く音沙汰が無いのでこちらで聞いてみますが、そもそも本人が寄せた書簡(CD-ROMの電子書籍に載っています)と共著者がブログに書いたことが、出典として採用できないなどと抗弁されています。本人を情報源にすることすらできないという主張が理解しかねるのですが一体どういう事なのでしょうか--肉欲獣 2011年6月22日 (水) 07:33 (UTC)[返信]

林信吾なるもの(人?)が何か知りませんし見る気もありませんのでWikipediaの理念に基づいた一般論として説明します。
本人を情報源に出来る、と仮定すると、私は私のブログに「世界最狂の魔法使いCray-Gは世界最高峰の頭脳の持ち主である」とか書けば、Wikipediaにその通りに載せることが出来ることになります。
Wikipediaは百科事典であるので、百科事典として特筆性のある記事を載せるべきです。が、特筆性の有無を我々編集者個々人が判断すると大混乱になり、また中立的観点を維持することが難しくなってしまいます。
なのでWikipediaでは、第三者による信頼の置ける検証可能な形態での情報源のみを情報源として認める方針を採っています。Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性
第三者による情報源とは即ち二次資料であり、本人(及び本人が公表したもの)は一次資料です。そして百科事典は三次資料です。三次資料とは(通常は第三者が)二次資料を纏めたものであり、二次資料とは(やはり通常は第三者が)一次資料を纏めたものです。
二次資料が存在しないことは特筆性の無さを示唆するものです。
何の論争に巻き込まれたのか知りませんが、それに特筆性があるのであれば、遠からず二次資料が現れるはずです。もしも肉欲獣氏が件の本人である場合や本人と近しい立場にいるようであれば、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないWikipedia:自著作物の持ち込みあたりが助けになるかも知れません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年6月22日 (水) 08:17 (UTC)[返信]
件のことについては毎日新聞週刊新潮で取り上げられているのを確認していますし、上記の書簡とは故寺山修司の遺稿へのもので、寺山修司がエッセイで取り上げている内容です。これは特筆性があるといえるのではないでしょうか?--肉欲獣 2011年6月23日 (木) 02:19 (UTC)[返信]
それが特筆性があるか否かは、ノートにて合意を形成して下さい。井戸端で何を主張しようが意味はありません。特に一般論や形骸/形態のみに基づいた主張は、大抵の場合意味がありません。
誰かが決めた意味不明な「何か」に基づいて決めるのではなく、対話により全員(となれば理想ですが)の合意に基づいて決めることで、Wikipediaは素晴らしい百科事典になれるのです。
単に取り上げられている、というだけで合意を得ることは難しいでしょうが、例えば毎日新聞と週刊新潮とのそれぞれの文献から引用し特筆性を示すなどすれば、合意を得易くなるかも知れません。その他にも、合意を得る為に出来ることは多々あると思います。
面倒臭いと思うかも知れませんが、Wikipediaが目指す理想の為に怠らずに努力を続けるからこそ、到達出来る理想です。その努力を怠ることは、Wikipediaが目指す理想とは異なる何らかの目的の為に行動しているのではないかと勘繰られ、無意味な色眼鏡を相手に掛けさせてしまいます。それはWikipediaにとっても不幸なことです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年6月23日 (木) 03:01 (UTC)[返信]
半年たっても全く合意に至るそぶりがないです。また、最初のコメント依頼を出したのは今年の最初なのですが、それ以降もほとんど立ち寄る人もおらず、1対1での水掛け論になってしまい全く先が見えません。このような場合なにか取れる手段はないのでしょうか?--肉欲獣 2011年6月23日 (木) 05:39 (UTC)[返信]
議論に参加する人がいないのは、その議論が重要なものと思われていないか、論点が分かりにくい場合であると思います。前者を解決するためには、その議論によってどれだけ記事の内容が充実するか、あるいは質が向上するかを説明することが効果的でしょう。後者については、ある程度のところで第三者向けに論点をまとめたり、適切に節を分けることが重要だと思います。林信吾の一件に関しては、失礼とは思いますが論争を解決することで記事が発展するとは思えない部分があります。--有足魚 2011年6月23日 (木) 06:28 (UTC)[返信]
コメント依頼を出しても反応が無いのは、誰にも判断不能か、誰でも同じ意見になると思われている場合だと思います。そして私の経験上、後者の場合はコメント依頼を出した側に問題がある場合が多いように考えています。本件の場合は肉欲獣氏ですね。
ノートの触りの方だけ読んでみましたが、肉欲獣氏の論敵が問題にしているのは二つ、「検証可能性が満たせていない出典」であること、「特筆性を認められない」内容であること、のように思えます。
検証可能性についてはとりあえず置いておくとして、特筆性について考えてみましょうか。件の問題が件の人物(作家のようなので)の著作物に如何なる影響を与えたのでしょうか?
私が思うに、恐らく件の人物は幼少の頃に寝小便を垂れたことがあることでしょう。もしかしたらそれに関する検証可能性がある出典を探し出せるかも知れません。ですが、幼少の頃に寝小便を垂れたことは何等の特筆性がありません。それは誰でもそうであることであり、件の人物を百科事典で調べるにあたり、その調査結果に何等の影響を及ぼさない情報だからです。
では三十路にもなって寝小便を垂れたことがあったとしたらどうでしょう。その経験が件の人物の著作物に重要な影響を及ぼしたのであれば、特筆性があるかも知れません。その場合には、その経験により影響を及ぼされた作品名と、どのように影響を及ぼしたか関して出典が必要になるわけですが。しかし、もしもその経験が何等の影響を及ぼさなかったのであれば、件の人物を百科事典で調べている人物を苦笑させることはあっても、その調査結果に何等の影響を及ぼさないことでしょう。その何処に特筆性があるのでしょうか。調べている人を笑わせる為に百科事典があるわけではありません。
或いは、件の人物と結婚しようと考えている誰か(及びその近親者)は、三十路にもなって寝小便を垂れるような人物と結婚するようなことがなくて喜ぶかも知れません。しかしそれも同様で、結婚しようとする人物の適性調査の為に百科事典があるわけではありません。
もしも、何の役に立つのかわからないが情報は沢山載っていた方がいいと考えているのであれば、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんを読むと、もう少し理解がし易くなるかも知れません。特に存命の著名人の場合、当該著名人のファンや信望者にとっては当該著名人のあらゆる情報が重要であることから、圧倒的大多数と特筆性に関する見解が大幅に相違する場合があります。ファンでも何でもない著名人と比較するなどして、少し考え直した方がいいのかも知れませんよ。
そしてもしも、Wikipediaのような人物録があったなら、肉欲獣氏が書こうとしている内容はふさわしいかも知れません。Wikipediaという百科事典にはふさわしくないだけで。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年6月23日 (木) 07:16 (UTC)[返信]

ノートの議論を斜め読みしただけで、問題の全容を理解しているわけではないことを(つまり、私の意見が的外れかもしれないことを)お断りした上で、以下コメントさせていただきます。

  • ノートの議論は一見しただけでは論点がわかりにくく、また議論が「喧嘩モード」に入っているので、新たな参加者が入っていきにくい雰囲気になっています。上で有足魚さんもおっしゃっているように、第三者の意見がほしければ、ある程度のところで適当に節を分け、第三者向けに論点をまとめた上で「他の皆さんはどう思いますか?」という問いかけを入れる等の工夫が必要だと思います。
  • 「逮捕されたことがある」と断定的・直接的に書くことにこだわるから、論争になるのではないでしょうか?議論を斜め読みしただけですが、鬼平さんも「寺山修司氏が『林少年論』という一文を書き、林氏がその内容を批判したことがある」は検証可能だ(つまり書いてよい)とおっしゃっていますよね?『林少年論』と『書簡』の内容に基づいて記述を膨らませていけば、たとえば、「寺山修二は『林少年論』において○○を行った林少年について○○と論評したが、林信吾はこれに対して○○と弁明している」くらいは書けるはずですし、林氏が「自分が林少年である」と自認し、CD版の編集者もそれを認めて『書簡』の掲載を行ったのであれば、「寺山修二は林信吾を題材に『林少年論』を執筆した」と書いてもよいかもしれません。その線で検討されてはいかがでしょう?
  • 「情報の特筆性」という意味では、「若いころに羽目を外して逮捕された」という情報より、「寺山修二のエッセイの題材になった」の方が何倍も重要だと思います。(「特筆性」という用語はWikipediaでは特殊な意味に使いますので、ここで使われているような意味で使用することについてはかなり躊躇ったのですが、先行する議論の中で使用されている用語をいきなり別の言葉で言い換えるのも変なので、そのまま「特筆性」と言いました)--Dwy 2011年6月23日 (木) 17:17 (UTC)[返信]

まず、林信吾が寝小便を垂れていようと特筆性はありません。重要なのは林信吾の職業が「何であるか」です。彼の著書を見れば分かるとおり、彼の政治的スタンスがその著作内容と密接に関わるのは分かると思います。それは、記事内の少林寺拳法5段というソース不明の記述よりも重大なものではあるとは言えませんか?林信吾が強盗を行った理由は赤軍かぶれと本人がはっきり書いています。つまり、中学生の頃にそのような政治思想であったということの証左です。本来ならそこまで掘り下げたいのですが全く記述ができない状況が続いているのが現状です。--肉欲獣 2011年7月1日 (金) 06:24 (UTC)[返信]

どうでもいいですが、林氏のどの著作を読んで、記事を書こうとしたのでしょうか。 彼の政治的スタンスがどうのというからには、具体的に論証できるはずですよね? 少林寺拳法5段というソース不明の情報、ですか。 比較的最近の著作である、角川書店刊『青山栄次郎伝 EUの礎を築いた男』の著者プロフィールに、ちゃんと書かれてましたよ。 なにより、wikipediaで少林寺拳法について調べてごらんなさい。少林寺拳法経験者の著名人という項目の中に、林氏の名もあります。 プロフィールに関して、wikipediaさえも調べない人が、どうしてwikipediaの記事を書こうなどと考えついたのでしょうか。 その続きに至っては、捏造ではないですか。林氏がどの著作において、自分は赤軍かぶれだったなどと「はっきり書いて」いますか? ねつ造でないと言うなら、きちんと引用してください。 皆さんも、もうお分りですね。この馬鹿は、いい加減なネット情報に自分の妄想を加味して「林信吾像」を描き上げ、それをwikipediaに 書き込もうと画策したのです。恥を知りなさい--みずえしゃん 2011年9月2日 (金) 15:44 (UTC)[返信]