Wikipedia:井戸端/subj/ノートの議論に基づいた編集をリバートする行為について。

ノートの議論に基づいた編集をリバートする行為について。[編集]

個人に対するコメント依頼の方が良いのかもしれませんが、こちらで質問させていただきます。韓国起源説の記事では「論争的」タグが貼られ、編集前にノートでの議論がすすめられています。私は12月7日に問題提起をし、それに対し、同日、「何をおっしゃっているのか理解できません」とコメントをいただき、12月8日に詳細の説明をしました。その後、10日間、お返事がなかったため、議論の趣旨を反映させ、一部転記などの編集をしたのですが、その方にリバートされました。分割先はしていないようなので、その結果、分割先と重複になりました。曰く「このような行為はリバート合戦を招くだけですので慎重にお願いいたします」だそうです。どうしたものでしょうか。やはり、個人のコメント依頼にすすむべきでしょうか?--Muzmuz会話2012年12月18日 (火) 06:50 (UTC)[返信]

過去に大和屋敷さんともめたことのある編集者です(ノート:南京事件 (1937年)#「事実存否」という表現Wikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷 20120820などを参照)。私の経験から言うと、個人のコメント依頼ではMuzmuzさんが望むような効果は得られないと思います。ウィキペディアには様々な考え方の、様々な編集スタイルの編集者がいると割り切ったほうがいいと思います。
それで、私のお勧めは記事に対するコメント依頼です。二人の編集者の間でらちがあかないというときはさっさと第三者の意見を求めるのが一番早いです。記事に問題があるのならMuzmuzさんでなくても誰かが直そうとするはずなので。--Bugandhoney会話2012年12月18日 (火) 20:59 (UTC)[返信]
Bugandhoney様、こちらと、記事でのご意見をどうもありがとうございます。私の経験では、ノート:ホロコースト否認#改名提案で、「余談」とご自身でも認められる発言(南京事件に関わる)をされておきながら、私が関連記事の改名結果の報告をすると、「議論に関係のない投稿は控えてください」と繰り返す行為が始まったため、すぐに提案自体を取り下げた経緯があることから、何か個人的な恨みでもあるのかと悩みましたが、調べてみると、結構皆さんが被害にあわれているようです。Wikipedia:コメント依頼/大和屋敷 20110701でも話し合われていますが、そろそろ「コミュニティを疲弊させる利用者」という理由でブロック依頼提出を検討しても良いのではないでしょうか。--Muzmuz会話2012年12月18日 (火) 22:59 (UTC)[返信]
はい。私がブロック依頼を提出したときは全くそのように考えていました。ぞんざいな差し戻しで対立や揉め事が繰り返されるのはばからしいだけで、プロジェクトにとってリソースの無駄でしかないと。私の中では、大和屋敷さんが対話を軽視しているのははっきりしていて、特に論争的な記事を共同して執筆するのは無理だという確信があったのでブロック依頼を出したのですが、記事の内容で対立しているだけでブロック依頼は不適切である、というような意見が大勢を占めて結局「終了」となりました。私としては残念な結論ですが、暴言や対話拒否など、誰の目にも明らかな対話姿勢の欠如がないと投稿ブロックという判断を下すのは難しいのかなと思ってます。コミュニティの意思が示された以上従うしかなく、私には我慢するとか、関係ない記事を編集するとか、消極的な選択肢しか残されていないと諦めています。
ただ、その後、Muzmuzさんのような、他の事例が積み重なっているかもしれないですし、コミュニティの考え方も変わったかも知れないので、Muzmuzさんがコメント依頼やブロック依頼を提出されたらコメントは惜しまないです。--Bugandhoney会話2012年12月19日 (水) 00:36 (UTC)[返信]
どうもありがとうございます。私もまだ青いですので、もう少し様子を見て、動きがあった際にはご意見の依頼に伺いたいと存じます。今後の方針が見えてきましたので、こちらで相談して良かったと思いました。--Muzmuz会話2012年12月19日 (水) 01:02 (UTC)[返信]