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Wikipedia:コメント依頼/大和屋敷 20110701

利用者:大和屋敷会話 / 投稿記録さんのこれまでの行為について、コメントを依頼します。--Dwy 2011年6月30日 (木) 16:40 (UTC)[返信]

これまでの経緯[編集]

大和屋敷さんは、科学における不正行為に関連する一連の議論の中で、以下のような非常に独善的な編集態度を一貫して取り続けています。

  • 自分が納得できない意見は、「根拠がない」として無視する。他の人からの指摘や問いかけに対してちゃんと答えない。
  • 反対意見があっても(自分が少数派である場合でも)自分だけの判断で編集を強行しようとする。
  • あまり根拠があるとは思えないコメント依頼や保護依頼で反対意見を押さえつけようとする。
  • 複数の方から批判を受けているにもかかわらず、自分に対する批判はすべて「個人攻撃」「人格攻撃」と見做し、まじめに取り合わない。

過ぎたことは仕方がないですが、今後もこのような態度で編集活動を続けられるとしたら、周りの編集者はかなり迷惑な思いをすることになるだろうと思います。論争の当事者からのアドバイスではまったく効果がないようですから、中立的な第三者の立場からのアドバイスをお願いする次第です。

参考リンク


2件追加--219.66.118.69 2011年6月30日 (木) 17:31 (UTC)[返信]


このコメント依頼での指摘事項に対する大和屋敷さんの弁明。問題点が端的に表れていると思うので、下の「コメント」欄の解説と合わせてご覧ください。--Dwy 2011年7月1日 (金) 19:02 (UTC)[返信]


  • ノート:南京事件 (1937年)での意見対立者に対して、いきなり多重アカウントの疑いを掛け、本人が否定すると謝罪も無く対話拒否。利用者‐会話:疑問
  • 進行中の議論を一方的に打ち切り。[1]
  • 事前の指摘も無くコメント打ち切りと同じタイミングで[2]を提出。
  • 誤った思い込みで執拗に攻撃[3][4][5]するも[6]によって反論されると、執拗な引用は収まるが謝罪は無い。
  • 意見対立者を挑発する行為。[7](こちらは細かい事例が多すぎるので、指摘した部分のみを提示しています。)
  • 参加者の発言を意図的に引用して馬鹿にした発言[8]
  • 議論参加者の発言に対して意図的にはぐらかして人身攻撃?にすり替える反論[9]

 ※参照ページノート:南京事件 (1937年)ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2Wikipedia:井戸端/subj/title検討のご案内(南京事件)以上、7事例追加--kei 2011年7月29日 (金) 13:16 (UTC)[返信]

2005年にwikipedia編集を始めて以来、はじめて個人に対するコメント依頼に書き込みます。このような不誠実な議論を行う人につきまとわられたのは初めてです。--Extrahitz 2011年9月1日 (木) 20:50 (UTC)[返信]

他にもあれば追加してください。

大和屋敷さんのコメント[編集]

  • 宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年6月30日 (木) 21:00 (UTC)[返信]
  • 私の方からは、以下の点を明確に定義頂ければ建設的だと考えております。①ウィキペディアにおける個人攻撃、人格攻撃とはどのようなものか。②コミュニティを疲弊させる行為とは何か。まず大和屋敷の理解ないし認識を申し述べます。Wikipediaにおける編集参加者とは【a.現実世界の人格により参加し、b.利用者名というハンドルネーム(HN)を表示した編集参加者である。c.あらゆる意味で人格的同一性は保持されているが、d.一方で外形上はHNのみで表示され「どこの誰とも知れない(第三者が確認できない)匿名性」により隔離されている(無知のヴェール)】。ウィキペディアにおける個人攻撃や人格攻撃とは(①)、このような編集参加者間の対話において、【その参加者の編集活動や投稿内容についてあたかもそれが問題があるかのようなレトリックを使用して糾弾しているかのような印象操作(人身攻撃)をすること】。その参加者の編集活動や投稿内容が現実に問題である場合の指摘や批判、コメント依頼提出や投稿ブロック依頼は個人攻撃・人格攻撃ではない。あくまで「あたかも問題であるかのような表現上の印象操作」を指す。コミュニティを疲弊させる行為とは(②)、弁論上のレトリックに(とりわけ過度に)依拠することで編集検討を撹乱し、議題を拡散させたり他の編集者間の議論を阻害する行為を指す。現実に他の編集者が医学的見地において疲弊したかどうかは必ずしも関係しない(確認できませんから)。たとえば暴言荒らし行為はレトリックとして誤謬であり、編集者間での建設的な議論を撹乱したり阻害させる要素と指摘できます。(以上は大和屋敷の理解です!)
  • さて、大和屋敷が「人格攻撃・人身攻撃は止めてもらいたい」と主張した[10]のは世界最狂の魔法使いCray-Gさんとおっしゃる利用者さんの「発言上のレトリック」について指摘したものであり、人身攻撃はレトリックにすぎず編集検討においては誤謬である、人身攻撃をもって結論を正当化させようとする試みは論点をすり替える効果があり、そのような弁論方法は誠実とはいえず、コミュニティを疲弊させる行為である(②)、と批判したものです。
  • この点につき「大和屋敷は、人格攻撃人身攻撃と言い募り誠実な議論をおこなわない」と批判されたのは心外でした。
さてその他の列挙された点について。
  • 自分が納得できない意見は、「根拠がない」として無視する。他の人からの指摘や問いかけに対してちゃんと答えない。
具体的にお願いします。読み落としがあったか、誤読により問いかけと理解していなかった可能性があります。
  • 反対意見があっても(自分が少数派である場合でも)自分だけの判断で編集を強行しようとする。
具体的にお願いします。少数派の段階(議論の仮定で少数派であると判明した段階)で編集を強行した記憶はありません。あくまで差し戻しや保護依頼は一時的で過渡的なものです。
  • あまり根拠があるとは思えないコメント依頼や保護依頼で反対意見を押さえつけようとする。
具体的にお願いします。「僕には根拠があるとは思えない」という点は対象先コメント依頼で論述ください。「反対意見を押さえつけようとする」については具体的にお願いします。

当面は以上まで。--大和屋敷 2011年6月30日 (木) 21:51 (UTC)[返信]

コメント[編集]

被依頼者については、井戸端や方針文書のノートなどで精力的に議論を展開しているため以前より気になっていました。(被依頼者と議論した経験はありません。)何と言いますか被依頼者からは、議論相手を見下していたり馬鹿にしたりしているような印象を受けます。(2件追加した参考リンクなども参照。)各議論の内容はイデオロギーの対立が背景にありそうな件や専門知識を要求される件が多いため、参加するつもりはありませんが、もしわたしの専門分野で被依頼者が議論を始めたとしても、係わり合いたいとは思いません。同様の印象を被依頼者に抱いている方はわたし以外にもいるのではないでしょうか。現状の姿勢のままあちこちで議論を展開するようならば、いずれ「コミュニティを疲弊させる利用者」という理由でブロック依頼提出の是非が検討されるのではないかと予想します。(これは個人的に嫌いなブロック理由ですし、)そのような不幸で不毛な展開を迎える前に、自身の言動を見直し改善していただければ、と思います。--219.66.118.69 2011年6月30日 (木) 17:31 (UTC)[返信]

拝読いたしました。--大和屋敷 2011年7月1日 (金) 00:25 (UTC)[返信]

上記被依頼者のコメントを読んで、こりゃダメだ、と。被依頼者の議論姿勢が疑問視されているこの場で、まったく建設的でない不毛な議論を持ちかけるとは。まさにこのような議論展開こそが、批判されている原因でしょうに。もはやブロック依頼提出を検討すべき段階に入ったと考えます。(IPに提出等の資格はありませんが。)強制ウィキブレイクで1月ほどお休みすれば、自身の言動を見直せるかもしれません。--219.66.118.69 2011年6月30日 (木) 22:54 (UTC)[返信]

この提案については回答すべき内容が含まれておりませんので回答いたしません。ご提案についてはお伺いいたしました。--大和屋敷 2011年7月1日 (金) 00:25 (UTC)[返信]

ノート:科学における不正行為で被依頼者と議論した者としてコメントします。はじめに、被依頼者からのコメントに(問いかけの無視について)「具体的にお願いします」とあるので、私の発言から具体例を示します。この編集この編集において、私はある文献の記述をとくに取り上げることの妥当性・必要性を二度質問しましたが、返答はいただけませんでした。ノート:科学における不正行為#2011年6月12日(日)06:23版の議論では、一方的に議論を打ち切るまで、被依頼者は私だけでなく、DwyさんやDictonwolfさんの指摘や問いかけにまったく回答していません。

次に被依頼者による保護依頼の問題点についてコメントします。被依頼者は、[11]の要約欄でDwyさんからノートでの議論を参照するよう呼びかけられているにも関わらず、無視してリバートを繰り返しています。被依頼者はDwyさんの呼びかけ以降、3RR抵触寸前までリバートを繰り返したのち、自らの都合のよいタイミングで保護依頼を提出するまで、ノートでの議論に参加していません。Wikipedia:Three-revert ruleにあるように、このルールは「3度までなら差し戻して良いというものではありません」。たとえ3RRに抵触しなくても、対話の呼びかけを無視して編集合戦を行ったのは被依頼者です。それにも関わらず、他人事のように保護依頼を出す姿勢を見て、被依頼者は3RRと保護依頼を悪用し、他者の編集を抑圧しようとしていると私は受け取りました。

最後に、被依頼者に質問があります。「個人攻撃」について、被依頼者のコメントでは井戸端の議論にしか言及がありませんが、被依頼者はノート:科学における不正行為でも、「まんまと人格攻撃の応報という徒労な結果に終わりました」と書いています。ここでの議論において、誰のどのような発言が「人格攻撃」とお考えなのか、具体的な指摘をお願いします。また、「応酬」とおっしゃるからには、ご自身も人格攻撃をなさったとお考えでしょうか?--Trca 2011年6月30日 (木) 22:32 (UTC)[返信]

長文になりますのでノートへ投稿しました。→1--大和屋敷 2011年7月1日 (金) 00:22 (UTC)[返信]
ノートにコメントを書きました。--Trca 2011年7月2日 (土) 02:46 (UTC)[返信]

コメント被依頼者は方針とガイドラインを遵守する善良な執筆者であると認識しています。そしてまた、議論が可能な人物であるとも認識しています。

しかしながら方針とガイドラインを遵守するあまりに、理念を軽視する傾向があると考えています。#経緯にて触れられている独善的な編集態度は、一貫して「拘束力のある方針とガイドライン」を遵守する為に行なわれています。そして同時に、理念により立案されながらも法として要件不充分として草案に留まっている「拘束力の無い方針とガイドライン」を完全に無視しています。

ノート:科学における不正行為に於ける議論は論点が理念や拘束力の無い~~にある議論だったのですが、被依頼者はそれを無視しているので論点を拘束力のある~~に求めました。これが結果として論点回避となり、また被依頼者が「拘束力のある~~のみを論拠とした場合には有効な反論を一切されていないので問題は無い」と判断し強行したことが独善的であると指摘されたものです。

何故ならばそれは拘束力のある方針に違反した行動だからです。具体的にはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんにある「もし規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください。見解の不一致は、規則や手続きに固執することによってではなく、合意形成を重視した議論によって解決してください。さらに、方針やガイドラインそのものも合意の変遷に応じて変化し得るものです。」に違反しています。

被依頼者には、方針やガイドラインの拘束力の無い草案に関しても、無視するのではなく充分に勘案して戴きたいと思います。

世界最狂の魔法使いCray-G 2011年7月1日 (金) 02:28 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:コメント依頼/大和屋敷 20110701は、上のTrcaさんの指摘に対する大和屋敷さんの弁明ですが、大和屋敷さんの言動の問題点が端的に表れていると思います。また、そのような問題点について大和屋敷さんが無自覚であり、確信犯的に自分が正しいと信じておられることも、はっきり見て取れます。例えば:

  • 「1点目」の部分での、「大和屋敷は平田2006-10-27を信頼できる情報源と認定しており、それに対して『なぜそこまで重視するのか?』との質問は無意味」「回答する必要はないと判断しました」という発言。(他人の意見を聞いて自分の判断が変わる可能性はないのか!?自分が「無意味」と判断した質問には答える必要がないのか!?ここまで無自覚にはっきり言い切られてしまうと、本当にびっくりしてしまいます。)
  • 「3点目」「4点目」で論じられている「科学における不正行為」の編集経緯については、こちらでDwyの認識をかなり丁寧に説明済みであるにもかかわらず、それには全く触れず(つまりDwyの問題提起を全く無視して)自分の認識だけを語っている。
ちなみに、「編集経緯」についてのDwyの認識は(上の差分のリンクだと見にくいと思うので再掲すると)以下の通りです。
  • 2011年6月12日 (日) 06:23: Dwyの最初の編集[12]。ほぼ同時に、編集の理由をノートで説明[13]
  • 2011年6月12日 (日) 06:33: 10分後、大和屋敷さんによる差戻し[14]。ほぼ同時に、「『信頼性に欠ける』と確認できる信頼できる情報源の提示」をノートにて要求[15] [16]
  • 2011年6月12日 (日) 09:05: 大和屋敷さんの差戻しに対してTrcaさんから反対意見の表明があり[17]、Dwyからも再度説明を行った上で[18]、大和屋敷さんの反論を待った。この段階で、当該情報の信頼性・妥当性に疑義を唱えていたのは少なくとも3名(Gestgesetさん、Dwy、Trcaさん)。「信頼できる」としていたのは大和屋敷さんただ一人。大和屋敷さんの論点に対しては、TrcaさんやDwyが反論済みであり、ボールは大和屋敷さんのコートにある状況でした。つまり、大多数(4分の3)の賛成で合意がほぼ成立しかけていた状態であり、唯一の反対者である大和屋敷さんが更に反対を唱えるのなら、新たな議論により多数派の意見を変える努力が必要でした。
  • 2011年6月15日 (水) 11:53: 3日待っても何も反論がなかったので(その間、大和屋敷さんはほかの記事の編集には参加されていたので)、コンセンサスが成立したと判断し、編集を再実行[19]
  • 2011年6月15日 (水) 11:56: わずか3分後に大和屋敷さんが再度差戻し[20]。要約欄に「信頼できる情報源からの引用を戻す(2回目)」とある以外は、まったく説明なし。多くの人が信頼性に疑義を呈している状況下で「信頼できる情報源」と言い切ってしまうのは一体どういうことなのかと思いますが、大和屋敷さんに言わせれば「自分が自分の基準で信頼できると判断したのだから、信頼できるに決まっている。他の人が自分が納得できない論拠で反対していても、そんなものは無意味だ」ということのようです(Wikipedia‐ノート:コメント依頼/大和屋敷 20110701の最初のところの大和屋敷さんの発言は結局そういう意味でしかありません)。正に「議論の拒否」であり、Dwyが一番問題にしているのはそこのところです。
  • 2011年6月15日 (水) 12:32: 大和屋敷さんの説明があるのを30分くらい待ったところで「ひょっとしたら議論する気がないのかもしれない」と疑心暗鬼に駆られ、議論開始を促す意味も込めて、要約欄に「当該情報源を『信頼できる』と考えているのは大和屋敷さんだけです」と指摘したうえで、編集再実行[21]上述の通り議論のボールは大和屋敷さんの側にあったわけで、大和屋敷さんが議論を再開しない限りDwyとしては為すすべもない状態でした。また、大和屋敷さんが議論する意思をちゃんと示してくれない限り、結局、大多数(4分の3)の賛成による合意成立と見なさざるを得ない状況でもあったと思います。
  • 2011年6月15日 (水) 14:38: 大和屋敷さんによる保護依頼[22][23]保護依頼の中で大和屋敷さんは「根拠なく主張し削除する編集者がおり」とおっしゃっています。多数派の意見について議論を尽くすこともなく「根拠なく」と言い切ってしまうのは何なのでしょう? ちなみに、大和屋敷さんは「編集合戦」ということで保護依頼をされたのだと思いますが、編集合戦とは「話し合いによらず、他者の編集を繰り返し差し戻すことによって自分の編集を押し通そうとすること」を言います。あの時点で「話し合いによらず」だったのは大和屋敷さんしかいません。少なくともDwyの側は話し合うつもりでしたし[24]、実際に真面目に議論につきあいました。(今から思うと「既に(大多数の賛成で)結論が出ているんだから、そろそろ納得したら?」という対応も不可能ではなかったわけですが、そういうことはあまり考えていませんでした)
  • 2011年6月15日 (水) 14:41: 大和屋敷さんによる再度の差戻し[[25]自分で保護依頼しといて、自分で差し戻してしまうとは一体どういうことなのでしょう?「(先生に向かって)せんせ~い。けんかしてますよ。止めてくださ~い(振り返って)よーし。先生が来る前に、もう一発なぐってやる。ボカッ」ってことですよね。
  • 2011年6月15日 (水) 17:08: 少し遅れて、井戸端での問題提起。ここでやっとみんなの意見を聞く気になってくれたと思ったら、最終的には「みなさまとの議論によって何ひとつ建設的な成果は得られたとは考えていません」というコメント[26]。自分の意に沿わぬ意見には耳を傾ける気がないようです。
Wikipedia‐ノート:コメント依頼/大和屋敷 20110701での大和屋敷さんの弁明と対照すれば、6月15日までのDwyの説明やTrcaさんの反対意見について、大和屋敷さんが「無意味」であるとして無視されている(存在しないものとして扱っている)ことがよく分かります。--Dwy 2011年7月1日 (金) 19:02 (UTC)(分かりにくいと言われたので、説明を追加してみましたが、却ってゴチャゴチャして読みにくくなったかもしれません。問題点をうまく伝えるのは難しいです--Dwy 2011年7月2日 (土) 18:53 (UTC)[返信]

コメント ノート:科学における不正行為の話ばかりで参加してない者からは分かりにくい議論となってしまっているのですが、被依頼者とは他のノートで接点があるので少しだけ。やや言葉が過ぎるというか、誤解を招くような言動で反論者から悪印象を抱かれるとしても理解はできます、が。例えばここでもそうですが論理的に説明しようという過程で理解しやすいように噛み砕いた説明の中でそうなっているものだと思います。少なくともノート:科学における不正行為に参加していなくとも大和屋敷さんの主張する立場はある程度分かりました。逆に、依頼者のDwyさんの主張がやや主観的で参加していない者からすると少々要領を得ない。少なくとも編集合戦に関しては合意形成も出来ていないのに編集断行しようとしたのが原因で、被依頼者に非らしい非はないでしょう。反論がないのを理由にしていますが合意形成で反論がないのを理由に出来るのは最低限一週間は必要です(Wikipedia:合意形成参照)。--はぬまん 2011年7月2日 (土) 06:27 (UTC)(一部修正--はぬまん 2011年7月6日 (水) 17:30 (UTC))[返信]

ここで私が問題にしているのは「大和屋敷さんの主張する立場」ではなく、「他人の反対意見を認めようとしない態度」「強引な編集態度」です。つまり「大和屋敷さんの主張が間違っている」と言っているのではなく(正しいとも言いませんが)、「大和屋敷さんはもう少し他の人の意見を謙虚に聞くべきだし、もう少しゆっくりしたペースで編集した方がいい」と言っているのです。
議論に参加しておられなかった第三者に分かっていただくのは難しいのかもしれませんが、「保護依頼」→「自分自身がもう1回リバート」のあたりは明らかにおかしいですよね?でも、それだけのことならコメント依頼までは来ません。コメント依頼に来たのは、「ちょっとおかしいんじゃない」と複数の人に指摘されても「言いがかりは止せ」という態度をとり続けて、全く無反省(つまり同じことを何度でもすると言っているのと同じ)だからです。--Dwy 2011年7月2日 (土) 18:53 (UTC)[返信]
コメント 今回のことは、大和屋敷さんが法学について熟知していないにもかかわらず、出典の著者が法の権威かどうかについてあまり深く考えずに、記述したために、例えるなら昆虫学者の出典を使って素粒子力学の分野の記述してしまったようなもので、内容的にも変だよと指摘を受けたけれど、(指摘する側もなかなかそのことを伝え切るのに手間取って)、しかも大和屋敷さんが指摘に耳を傾けず、自分の使った出典の権威をいつまでも疑わなかったことが根底にあったように見えました。それプラス、撤退する時にふてたような言葉を書いてしまったことが、痛恨の裏目に出たものと思われます。 Wikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意およびWikipedia:礼儀を忘れないを熟読して下さいというところでしょう。 リバート合戦についてはどっちもどっちと思われます。--Dictionwolf 2011年7月2日 (土) 20:19 (UTC)[返信]
Dwyさんが問題としていることと違うとのことでしたので該当する議論を読んでいきましたが…どうにもこうにも、編集態度云々の話となるとどっちもどっちな印象が拭えません。まあ確かに被依頼者の人格攻撃だのの発言は議論においてよろしくないものでしょうが、発言が出てくる経緯も踏まえて読むと、やや売り言葉に買い言葉的なものが出てきてしまう。議論が長引いて感情的な発言が出てきてしまうことは分かりますが、その議論の参加者が態度と言ったことを問題にコメント依頼するとなると、感情的にコメント依頼をしているように見えてしまうのです。その感情は主観的で、参加していない私のような他者からは共感しづらい。
誤解を招いているかもしれませんが、被依頼者に問題行動がまったくないと擁護している訳ではないのです。ですが、依頼者の説明だけでは被依頼者の問題性というのを残念ながら理解しづらい。態度をどう捉えるかは個人差というものがありますし。ですから、発言内容の個人攻撃だとか言った、他者から見ても明確に分かりやすい点などを上げられると理解しやすくなるかと思います。--はぬまん 2011年7月3日 (日) 16:16 (UTC)[返信]
そんなに分かりにくいかな?他の人からの反対意見や異議に対して、大和屋敷さんは「無意味」だから「回答する必要はないと判断しました」のように言い切ってしまっているんですよ[27]。「うっかり見落とした」とか「つい熱くなって」であれば、私は何も言いません。彼は「自分の判断に反する意見や問いかけは無意味だ」と言い切っているのです。そんな人と共同作業ができるでしょうか?--Dwy 2011年7月4日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
「返答をしなかった理由はその必要がないと判断したから」という、単純に理由の説明であって態度も何もないと思うのですが。議論において建設的な質問ではないとしてスルーしたというのがそれほど態度として非難されることなのか、私には分かりません。その質問の重要性の認識に差があり、被依頼者にとって答えるまでもない質問だった故、ということでしょう。その質問が議論を進める上でなくてはならないもので、被依頼者から返答がないゆえに議論が頓挫して進まなかった、そういうことなら分かるのですが、ただ返答の内容に感情的に不満を抱いているように見えるのです。被依頼者は確かに多少言葉の悪いところもあり、議論の進め方に問題がある面もあるのでしょうが、それでも方針を遵守し、他のウィキペディアンと対話する意志のある方だと思います。でなければノートページであれだけ長い文章は書きませんし、主張を説明しようと努力なさっていると思います。
こう言っては何ですが、Dwyさんの意訳の仕方もなかなか悪意のあるものと思えます。「自分の判断に反する意見や問いかけは無意味だ」とは言っているようには私には読めません、被依頼者が信頼できると判断しているものに「なぜそこまで信頼できると思うのか?」というような質問をしても、それは信頼できると判断したからだと言う以上に答えようがないからでしょう。それ故、そのような問いは無意味だ、と。信頼でき、記述に値すると思う物に対して「それ必要か?」と聞いても、信頼でき記述に必要だと思ってるから参考文献として主張しているのでしょう。そこに何故も何もないと私も思います。「自分が自分の基準で信頼できると判断したのだから、信頼できるに決まっている。他の人が自分が納得できない論拠で反対していても、そんなものは無意味だ」だとか、こういう意訳のされ方をしては、される側としては印象操作の人格攻撃だ、といった風に感じても不思議はないと思います。
被依頼者はこの場で改めて聞かれたことには答えていると思います。その内容を感情的にならずちゃんと理解してみてはいかがでしょうか?問題だと指摘されたことに対し、被依頼者は具体的にどう問題行為があったのかと質問しています。依頼者の言うような、他者と向き合う意識のない方からはこういった質問は出てこないものだと私は思います。--はぬまん 2011年7月4日 (月) 16:18 (UTC)[返信]
後からまとめて議論を読む人に個々の発言の文脈や経緯(時系列)を正確に理解してもらうのは難しいのかもしれませんが、「なぜそこまで信頼できると思うのか?」という問いかけのなかの「そこまで」の意味を分かっていただきたいと思います。つまりTrcaさんの問いかけは「複数の反対意見があるにもかかわらず、反対の人との話し合いをしようともせず、黙って自分の編集を強行してしまったのは何故か?」を問題にしているのであって、単に「返事がなかった」と拗ねているわけではありません。
また、このような趣旨の質問は今回が初めてではなく、井戸端の議論の中でも既出の質問だったことも、できれば上のリンクをたどって見ていただきたいと思います(今までそういう質問にちゃんと答えてくれなかったので、ここでまた同じような質問をする羽目になったわけですが…)。先行する議論の中では、問題にしている発言・編集の時系列についても詳細に説明済みですし、Trcaさんや私がどうしてで「無視された」と思っているかもちゃんとわかるようなっています。この期に及んで「具体的にどう問題行為があったのか?」のような質問が出ること自体、他人の話をちゃんと聞いていない証拠です。
「悪意の意訳」とおっしゃいますが、大和屋敷さんの回答の中には、議論に応ぜずいきなりリバートしてしまったことに対する反省はかけらもありませんよね。私には「反対意見の人と話し合う必要などない」という対話拒否の姿勢にしか見えないのですが、善意の解釈だとどうなるのでしょう?--Dwy 2011年7月5日 (火) 16:00 (UTC)[返信]
態度という点に絞って議論を読んでいってもどうにもやはり被依頼者に問題があるようには思えないんですよ。一度目のTrcaさんの質問に対して被依頼者は「Dwyさん、かんぴさん、Dictionwolfさん、Trcaさんの述べられている点それぞれに尤もということが確信できつつあります」と同調する姿勢も見せていますし、議論を読んでいっても主張のすれ違いから長引いているとは思いますが、その態度が問題だとまで言えるのか、かなり微妙なように思えるんです。編集合戦はどちらかだけが悪いってことはありません、演じた両者が両者とも悪い、保護依頼をいつ出したかという問題ではないし、意見の寡多は議論においてそこまで重視されるべきではありません、内容において合意すべきです。少なくとも15日のDwyさんのリバートは「議論のボールは大和屋敷さんの側に」ある状況であり、反論を待たずリバートしてしまった形です。意訳ですが…Trcaさんの問いかけにしても確かにリバートのタイミングでの話ですが、編集強行云々と言った意味合いがあるようには到底読めないのですが…。「具体的にどう問題行為があったのか?」と言ったことも、議論における手続き上必要なものでもあると思います。でなければ何を問題だと言われているのか言われている側からしても判断が難しいところがあるでしょうし、なにより他者にコメントを求める場なのですから、私のような第三者から見て明確にどこの言動がよろしくないのかと判断できねば被依頼者に問題があるのかどうか、さらに依頼者が何を問題としているのか分からないんです(Dwyさんが問題としている事と違うと仰られたように)。ですから、第三者からも判断できるよう具体的に問題点を明確にしてはいかがでしょうか。意訳をせず、被依頼者の発言をそのまま引用して指摘していただけると議論の中のどの部分かも分かりやすくなり理解しやすくなるかと思います。--はぬまん 2011年7月6日 (水) 17:30 (UTC)[返信]
えーとですね。Dwyさんの態度に行き過ぎなところがないとは思いませんが、そこには、ウィキペディアの方針や慣習に不慣れと思われるGestgestさんやかんぴさんの分もという思いが感じられます。ただ、Dwyさんも「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありません」や「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない」を持ち出すほど方針周辺の議論になれているわけではなく、Dwyさんが指摘している大和屋敷さんの保護をめぐる対応については、好ましくはないが、問題あるものではないと思います(このへんの運用についてはDictionwolf さんがこまめにフォローされていました)。
態度をどう評価するかの土台には、議論の内容というのも影響します。はぬまんさんが過去に編集された記事で言えば、「四辻学園は工場跡地に作られた」と文科省の人が査読なしの論文に書いていたときに、「病院跡地」であることはたとえば「月刊電撃コミックガオ!何年何月号など、どれでもいいから本編を読めばわかるし、ネットならオフィシャルのxxにも出てくるよ、といわれて、ページを示されていないので読みません、私が参照している文献は信頼できるものです、と言い続けるようなものだと思って、ノート:科学における不正行為Wikipedia:コメント依頼/GestgestWikipedia:井戸端/subj/情報源が「信頼できない」と主張するための条件を読み返してみていただけますか。--Ks aka 98 2011年7月6日 (水) 18:45 (UTC)[返信]
いやあ、被依頼者の言動にまったく問題性がないといった風に思っている訳ではないのです。ここでの依頼理由ではありませんがノート:南京事件 (1937年)でのkeiさんとお互いに答えるでもない質問の投げ合い(過去ログ2、2011年の4月21日 (木) 18:44、4月23日 (土) 14:08 (UTC)版辺りのやり取り)だとか「南京暴虐事件」への改名提案を多少唐突に行ったり2011年5月12日 (木) 21:27 (UTC)の版などのような、批判的(多少相手も非難めいていますが)な意見に対しでオウム返しのようなやや挑発的な態度を取ったりと、Wikipedia:礼儀を忘れないと言う点で多少問題がある方だとは思うのです。
ただ、私の参加していないところでの話がここでは主題となっていますし、依頼者が漠然と態度を問題とされるのでそれはどこそこのどういったやり取りが問題なのでしょう?と思うのです。Ks aka 98さんの言うとおり読み進めてここか!と私個人が得心しても「違います」って言われちゃうとあれー?と、ただ長い議論から粗を探す労力だけが費やされてしまうので、じゃあ依頼者の問題しているのはどれなのでしょうか?とお願いするところなのです。具体的になればその問題点に対しても明確になるでしょうし。--はぬまん 2011年7月7日 (木) 05:24 (UTC)[返信]
私の表現力不足のせいで言いたいことがでうまく伝えられず、はぬまんさんには申し訳なく思っています。私が一番問題にしているのは、複数の反対意見があるにもかかわらず、反対の人との話し合いをしようともせず、黙って自分の編集を実行してしまったことです。意見が対立している状況では、まずよく話し合って結論を出すべきですし、自分の方が少数派であれば、より慎重な行動が要求されます。ところが大和屋敷さんは、こちらの編集で、少なくとも3名の反対を無視して、問題の情報源を「信頼できる」と断定して、編集を実行してしまいました。反対意見が間違っていると思うなら、その間違いを指摘し、相手を説得して意見を変えてもらう努力をするのが当たり前ですが、大和屋敷さんは「自明の質問と理解しており、回答する必要はないと判断しました」ということで、相手の意見を変えるために話し合う必要があったことをまったく認識しておられないわけです。第三者から見て何が問題なのか分からないということならこれ以上説明のしようがありませんが、私から見れば(相手を実質的な議論の場に引きずり出すのにかなり苦労したという実感がありますので)問題は明白なのです。
それから「編集合戦はどちらかだけが悪いってことはありません」についてですが、上にも書きましたように編集合戦とは「話し合いによらず、他者の編集を繰り返し差し戻すことによって自分の編集を押し通そうとすること」を言います。つまり、一方が相手を話し合いを呼び掛けているにもかかわらず、他方の当事者が無視して編集を強行している場合は、後者が一方的に編集合戦していることになります(実は「編集合戦」の定義は私自身が修正を提案したものなのですが、その時の議論の中で「一方だけが悪いことともありうる」という趣旨を明確に示したうえで合意を取り付けたという認識でいます)。今回の場合もDwyは(少なくともDwyの主観の中では)常に相手を話し合いに誘導していたつもりですから、もし編集合戦があったというなら、それは大和屋敷さんが一方的に仕掛けていたものでしかありません。--Dwy 2011年7月8日 (金) 17:03 (UTC)[返信]
いやもうホント、6月10日から15日にかけては依頼者も被依頼者もどっこいどっこいなんですよ…。被依頼者がコンセンサスが取れたと判断して(結果的に見れば拙速)10日に編集、依頼者が11日に反論、被依頼者からの返答を待たずに12日に編集、被依頼者リバート、議論再開。議論は7日からスタートしており依頼者も被依頼者も参加者であり、話し合う状況に既になっています。10日に被依頼者が議論が落着したと判断したのは拙速ではあったと思いますが、その時の発言でも「問題点等ございましたら、またノートでご提示下さい。」としていて異論があれば十分に話し合う姿勢を見せています。15日の依頼者のリバートも被依頼者の反論を待たずに行われており、この流れでは到底依頼者が話し合いを呼びかけているようには見えません。自分が話し合う意図があるなら相手にリバートされたとしても6月15日 (水) 21:32 (UTC)の版でリバート仕返す必要性もないはずです。どちらか一方だけが悪いような、編集合戦のみで態度の問題性を問えるような状況ではないのです。
えーと…依頼者に重ね重ねお控えいただきたいのですが、「自明の質問と理解しており、回答する必要はないと判断しました」という返答の内容は議論に対する姿勢そのものに対してのものではないはずです。態度と言った、Wikipedia:礼儀を忘れないに基づく話し合いをしている最中でWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用で言うところの印象操作をされると被依頼者に問題があるのか依頼者に問題があるのか分からなくなります。依頼者のこれまでの意訳はまさに「自分の都合のいいように曲解しようとします」という態度に思えてなりません。--はぬまん 2011年7月8日 (金) 19:40 (UTC)[返信]
そもそもこのコメント依頼では大和屋敷さんの「議論に対する姿勢」に対するコメントを求めているわけで、Trcaさんのコメントも大和屋敷さんの「議論に対する姿勢」に対するものでした。そのTrcaさんのコメントに対する大和屋敷さんの弁明が「議論に対する姿勢そのものに対してのものではない」とするなら、それこそ論点のすり替えで、不誠実な回答と言わざるを得ません。はぬまんさんの解釈は、私にはかなり無理があるように見えます。
いずれにしても、Trcaさんが大和屋敷さんの編集について反対意見を述べられたことは厳然たる事実ですし、その反対意見について大和屋敷さんが全く考慮や対応をしてないのも事実です(過去の議論をどんなに丁寧に見直しても、そういう考慮や対応らしきものは見あたりません)。はぬまんさんにご理解いただけないなら仕方がありませんが、議論の当事者にとってみれば、充分明白な問題なのです(そういう態度の相手とちゃんと議論するのは不可能に近いですからね)。--Dwy 2011年7月10日 (日) 01:31 (UTC)[返信]
(インデント戻し)えーと…議論が繰り返しになると思うのですが、議論の流れの中でその質問がなければ話が進まないようなものであったのか、そう言った事も関わってくると思うのですよ。で、被依頼者はご指摘の通り多数の方から反対されていましたから議論の中で要不要において件の質問に答えるよりも、他に優先するべき話があったのでしょう。先にも例示しましたが、議論というのは同じ質問を投げ合ってればそれで進むものではないと思うのです。どうしてもそこが譲れない点であるのならばまた別ですが、一つ返答がなくともまた別の角度で質問し、相手との意見の折衝を図っていくものだと思うのです。「他の人からの指摘や問いかけに対してちゃんと答えない」だなんでどんな風に誰からも何も聞かず意見を押し通し続けているのだろう?かと思いきや、これまで明確に指摘されている点は一つの質問でのみです。Trcaさんが「私や他の方々の指摘・質問にほとんど返答しなかったのですから」という他の方々の部分を明確にしていただかないとこれ以上は判断しかねます。どう議論を読んでいっても、意見のすれ違いはあっても指摘や質問に対する不誠実な対応があるのかよく分かりません。議論がかみ合わず賛同者が得られなかった被依頼者は最終的に自身の編集を取り下げていますし、独善的で人の話を聞かない、という人物にはどうしてもつながらないのですが。
不誠実な回答と言われましても、2011年7月8日 (金) 17:03 (UTC)版での発言では「被依頼者が反対意見はすべて答えるまでもないことだとしているのです!」というような文章になっています。複数の反対意見に対し話し合う必要がない、そんなことは被依頼者は一言も言ってないでしょう。あくまで被依頼者が答える必要がないとしたのはTrcaさんの質問においてのみ、です。--はぬまん 2011年7月10日 (日) 16:07 (UTC)一部修正--はぬまん 2011年7月10日 (日) 16:42 (UTC)[返信]
>被依頼者はご指摘の通り多数の方から反対されていましたから議論の中で要不要において件の質問に答えるよりも、他に優先するべき話があったのでしょう。=> OK。それでは被依頼者が何を優先したのか、Trcaさんの質問の後の被依頼者の言動を順に見てみましょう。
  • 少なくとも3名が信頼性に疑義を表明している情報源を、何の説明もなく、自分一人だけの判断で「信頼できる情報源」と断定して、編集を強行[28]
  • 少なくとも3名が支持している主張を自分だけの判断で「根拠なく主張し」と断定し、保護依頼[29]
  • 3RRには違反していないと言いながら再リバート[30]
私にはどう見ても話し合いをしようという態度ではないと思われるのですが、はぬまんさんには問題なしと見えるのなら、それはそれで仕方がないでしょう。--Dwy 2011年7月11日 (月) 16:51 (UTC)[返信]
こう言っては何ですが…依頼者は編集合戦のことしか話し合うつもりがないのですか?それでしたらどっちもどっち以上の言うことはないのですが…。--はぬまん 2011年7月11日 (月) 18:41 (UTC)[返信]
コメントんーと、検証可能性ほか記事についての方針というのは、まずは読者に対して確認する術を担保するというのと、執筆者が専門家であったり、高等教育を受けていたりするとは限らない、誰でも編集できる百科事典で、通常の論文作法のようなものを知らない人でも記事が書けるように、他方では専門家が百科事典を書くのとはいろいろな事情で違ってくるところがありますよというのを知ってもらう、確認してもらうためのものだと思うのですね。
百科事典の記事を書くなら、当然、その事柄についての基本的な知識は持っているべきで、それは、たとえば大学~大学院で使われる教科書程度はきちんと読みきった上で、関連書や関連論文もざっと目を通しているとかいう水準のはずなんだけど、それをすべての執筆者に要求するわけではなく、そこまででもない人でも、まあ多少それっぽくは書けるようになっている。最近だと、Ciniiや、研究室のサイトとかで公開されているものもあります。
ところが、ある記述についての議論、情報源の信頼性や扱いなどについての議論が生じたときに、一方は基本的な知識を持ち合わせていて、他方が持ち合わせていないと、当然、話が噛み合わないわけです。ネット上で得られる情報は、必ずしも十分ではないし、偏りがあります。上で「教科書」と言っているのは、そういうことを踏まえてのことです。今回の例で言えば、文書偽造ほか法律についての知識。
平田の文書については、全体として、文科省の人が書いたと思えば、とんでもなく間違っているわけではなく、というか、正確さや厳密さをおざなりにして違法になる可能性があれば範囲が含めてしまうような書き口にしているもので、まあ役人の文書にはありがちなものだと思います。「近年明らかとなった不正行為の類型、不正行為に対する規制や罰則の現状、不正行為の発生する要因や背景を紹介するとともに、国や関係機関等の対応と今後講ずべき対策について述べる」上では、全体の構成なども含めておおむね信頼できるとしても、法の専門家ではないのは明らかですし、文章のまとめ方から、専門家でなくとも、個々の法について十分な理解をしているのではないということはわかります。
で、大和屋敷さんは、そういう読み方ができなかったし、最初の投稿時の記述は、自身気づかれているとおり誤解を与える表現になっていました。文書偽造の方は、ぼくは詳しくないですが、著作権の方は、それこそごく基本的な知識を持っていれば、このような記述にはならないものです。
もちろん、十分な知識を持たなくとも、記事を編集することはできます。いくつかの文献をあたって、執筆することは十分な貢献ですし、それが信頼できる専門書ではないからといって、それ自体は責めるべきではない(が、忠告はされるでしょうし、記事は修正されるでしょう)。
少なくとも、論点になっている事柄について、自分の知識が十分でない、対話している相手よりも明らかに劣ると認識出来るのならば、まずなすべきは相応の知識を得ることであり、情報源の提示を求めるなら、それは相手に教えてもらうという行為です。Gestgestさんが利用者‐会話:大和屋敷#虚偽の履歴書等が私文書偽造罪になる等の記載について

で参照すべき文献を挙げ、とりあえずは一定の信頼ができそうなネットで読める情報も示して説明しているのに「ページ数が書いていないので評価していません。ページ数を記述してください。全部読めというのはお断りします。」云々と応えるのは不誠実であり、自身の知識の無さを棚にあげて、他者に説明を強要するものです。

単に、検証可能性を満たすために形式的に情報源を求めるなら、それは方針を示し、理解してもらうための説明が必要でしょう。参考にしている情報源の著者の立場の違いによって食い違いが生じている場合なら、自分の情報源も明らかしつつ、それなりに対等な立場で問いかけてもいいでしょう。基本的な書籍・教科書ではなく、周辺的な情報について、分野外の情報源を使っているような場合は、いくらか詳細に情報源のことを求めないと困る場合もあると思います。今回は、そういうものではなかったと思います。
今回のノート、井戸端、このコメント依頼に到るまでのやりとりというのは、論点となる部分それほど難しいところに踏み込むほどでもない知識について、複数の知識を持つ利用者が、参考となる資料を挙げたりしながら、ほぼ同じ意見を述べているのに対して、知識を持たず、参考となる資料を示されても読もうとしない利用者が受け入れようとしないという状況に見えます。これは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「ルールの悪用」や「いつまでも「納得」しない」に相当すると考えます。
大和屋敷さんに悪意があるとは思いませんし、意図的に不毛な議論をしようとしているわけではないと思います。ただ、自分が正しいと思っていることの足場となるもの、それはたとえば、方針の目的や背景や精神だったり、自分が編集する記述についての知識がきちんと系統づけられたものかどうかということだったり、そういうものを確認してみてほしいと思いました。--Ks aka 98 2011年7月4日 (月) 18:18 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんのコメントに書きたかった点の多くが述べられているので、3点指摘するだけにとどめたいと思います。
今回の大和屋敷さんと他の編集者の方の議論において、私が大和屋敷さんの議論に問題があるのではないかと感じているのは次の点です。
  • 「参議院事務局」と「匿名のwikipedian」の信頼性の相対的優劣に固執しすぎて、大和屋敷さんの述べている「外形基準」特に平田氏の論文の信憑性についての他の編集者の疑問に対して頑なな態度を取り続けた点。
議論の終盤に、私も「論文等において、意見にわたる部分は執筆者の個人的な見解であり、執筆者の所属する室・組織の公式的な見解を示すものではありません。」と記されていることを(おそらく新たに?)指摘した上で、平田氏の論文に述べられていること、特に「考え方の一例」という部分が個人的な見解だと理解するべきではないかという疑義を呈し、そうした新しい観点について、大和屋敷さんがどう考えるか質問しましたが返答はありませんでした。
  • 全てに通用するような十分条件や定義に固執しすぎた点。
  • 最終的に「何ひとつ建設的な成果は得られたとは考えていません。」とか対話を続けてきた編集者を「人格攻撃している」と批判した点。
率直に言って大和屋敷さんの「人格攻撃」の定義は私にはよく理解できませんでした。「人格攻撃」という語はかなりnegativeな言葉なので、合意形成がうまくいかなかったからといって、無造作に使用することはあまり望ましくないと思います。--Henon 2011年7月5日 (火) 16:09 (UTC)[返信]

Truesightさんのコメントは私に対する応答ではないかもしれませんが、少し冷静に見るべきだと思うので、大和屋敷さんがCray-Gさんに「個人攻撃をしている」と批判した箇所を引用します。少し長くなりますが、ご容赦ください。この差分で大和屋敷さんがCray-Gさんに個人攻撃はやめて欲しいと言っていくつかの例を引用しています。そこでの大和屋敷さんの引用と実際のCray-Gさんの発言とを比較してみます。太字が大和屋敷さんの引用、その後の文章がCray-Gさんの発言そのものです。

(以下引用)

1.私見として・・大和屋敷氏自身が不適切な(誤った)論法(は)・・詭弁や誤謬を行わせる結果になりがちなので・・議論誘導であり、厳に慎むべき行為だ

私見としては【出典が《信頼できる情報源である》ということを立証する必要は全く無く、《信頼できる情報源である》という合意を形成すべきである】です。特に本件問題提起を行った大和屋敷氏自身が不適切な(誤った)論法により『立証』しようとしていることから想像可能と思われますが、『立証』することを前提とした議論の場合には少なくとも一方に(場合によっては双方に)詭弁誤謬を行わせる結果になりがちなので、立証を求めること自体が不適切です。さらに言うならば、「どちらが『立証』を行うべきか」と問うことで『立証するのではなく対話により合意を形成するべき』という結論を出せないようにすることもまた議論誘導であり、厳に慎むべき行為だと考えます。

2.「大和屋敷氏が「信頼できる情報源」として挙げた参議院なんちゃら(←詳しく見ていませんが)・・」「(大和屋敷のように)ルールに則ってゲームを行ない論敵の意見を却下することではありません」

>【信頼できる発行元】の情報を却下するための編集競合時の作法がどうもWikipediaルール上ハッキリしませんでした
この上無くはっきりしています。合意を形成することです。ルールに則ってゲームを行ない論敵の意見を却下することではありません。
件の問題に関して、「参議院なんちゃら」を信頼できる情報源として採用することの是非に関して意見を募るのであれば有意義でしょうが、合意を形成する努力を放棄して、ゲームを行ない論敵を「やっつけ」る為のルールを求めることには賛成出来ません。
却下する為の作法(=ルール)など不要です。と言えば言い過ぎですが、互いに善意と礼節を以って合意を形成することが重要であり、その為に理念を(言葉面ではなく)理解することが大切です。
信頼できる情報源云々の方針が持つ理念を理解していただきたいと切に願います。それは「ウィキペディアンの代わりに検証してくれていると信頼できるか」情報源なのです。議員が公表したら内容を精査せずに何でも載せる機関に載っている内容が検証可能性を満たす「信頼できる情報源」であるか否かは大いに検討に値する問題であり、合意を形成するべき問題だと考えます。却下するルールを求めるのではなく。

3.「だから(大和屋敷のような)思考停止して内容のことは棚上げしましょう、という意見には賛同出来ない」

>信頼性(のステイタス)に差がありすぎます
この点に関しては大いに同意します。ですが、だから思考停止して内容のことは棚上げしましょう、という意見には賛同出来ません。

4.「ぶち上げたのはDwy氏の論敵である大和屋敷氏なのでややこしくなっている。何しろここでDwy氏が大人な判断として出典を出すことが、井戸端で短絡的な二分法に基づくルールを求める大和屋敷氏の行動を肯定することになって欲しくない」「非専門分野のウィキペディアン(大和屋敷)が我侭を通す為に専門分野のウィキペディアンに必要以上に負担をかけて議論の場から追い出す為の武器を与えることは、Wikipediaの将来にとって好ましくない」

この議論をDwy氏がぶち上げたのならまた流れは違ってくるとは思うのですが、ぶち上げたのはDwy氏の論敵である大和屋敷氏なのでややこしくなっているのですよ。何しろここでDwy氏が大人な判断として出典を出すことが、井戸端で短絡的な二分法に基づくルールを求める大和屋敷氏の行動を肯定することになって欲しくないですから。非専門分野のウィキペディアンが我侭を通す為に専門分野のウィキペディアンに必要以上に負担をかけて議論の場から追い出す為の武器を与えることは、Wikipediaの将来にとって好ましくないのです。

5.「確かに大和屋敷の本音として出したい結論は後者かも知(れないが)、一般論をぶち上げて議論を誘導する(など)これこそ「論点のすり替え」に相当する。つまり、本節の立ち上げそのものが。なので私は(大和屋敷は、今般のような井戸端に議論を持ち込むような行為は)厳に慎むべき行為であると言っています」「大和屋敷の保護依頼は「提案に反対されたから強行し、議論も説得も無しに除去を断念させる為に保護をした」のと全く同じ(行為だ)」

本節の主題としては【情報源が「信頼できない」と主張するための条件】であって、「信頼できる情報源から適切に引用されているものを除去する正当性の有無」ではないのではないでしょうか。確かに大和屋敷氏の本音として出したい結論は後者なのかも知れませんが、だとすればそれは明確に「希望する結論を出す為に作為的な一般論(=本節の主題)をぶち上げて議論を誘導する」という、それこそ「論点のすり替え」に相当すると思うわけです。つまり、本節の立ち上げそのものが。なので私は厳に慎むべき行為であると言っています。
除去に関しては、未だ合意が得られておらず充分に疑義を認め得る内容として、合意が得られるまでの当面の間は除去しておく、という次善の策としてリバートされることは良くあることです。何かが書き込まれた、内容に疑義が出されているが結論は出ていない、とりあえず書き込まれる前の状況に戻しておいて議論を続けよう、というのは順当な判断の一つであり、重大な過失ではありません。最初のアクションが書き込まれたのではなく除去された、であれば、除去される前に復帰してから、となるでしょう。これは即ち書込除去等のアクションに先立って提案し議論を行なっているのと同じ状況を作り出しているからです。この状況自体に何等の瑕疵は無く、全く問題が無いのはご理解いただけると思います。これが除去の理由でしょう。
逆を言えば、大和屋敷氏の保護依頼は「提案に反対されたから強行し、議論も説得も無しに除去を断念させる為に保護をした」のと全く同じ状況であることもまた、ご理解いただけるかと思うですが、如何でしょうか。

6.「恐らく本件は、大和屋敷氏に対するコメント依頼やブロック依頼に発展し得たであろう問題だ」

私の言ったのはそもそも「本節の議題自体が誤っている」ことを示す為の反例であって、実際に何が起ったかの解説ではなかったものですから。不用意な書き方をしてしまった点についてはご容赦を。
いづれにせよ私は、本件ではDwy氏にも(些少かも知れませんが)非はあったと認識しています。非が無かったならば恐らく本件は、大和屋敷氏に対するコメント依頼やブロック依頼に発展し得たであろう問題だと認識しているからです。
(ここまで引用)

私は、大和屋敷さんの引用の方法があまり適切ではないように思われますし、その一方で4で取り上げたCray-Gさんの発言は若干語気が荒い感じもしますが、それは主観の問題かもしれません。しかしCray-Gさんが一貫して主張していることは、

  • 「信頼できる情報源であるか否か」を決定するルールや「ある編集者が信頼できる情報源であるとして引用したものを却下できるための条件」といったwikipedia全体を包括するようなルール作りをするのではなく、
  • 問題となっている「科学における不正行為」の記事、特に平田氏の文章に対して、信頼できる情報源と言えるかどうか、ノートの議論を通じて合意形成を図るべきだ。
  • 合意形成を妨げるような、ルール作成のための議論や行動は避けるべきだ。

という点です。上で私もコメントしましたが、こうしたCray-Gさんとの対話、あるいは他の編集者との対話の中で、大和屋敷さんが拘っている点は

  • 匿名のwikipedianよりも参議院事務局の発行している雑誌に掲載されている文章の方が相対的に信頼できる。
  • 「信頼できる情報源であるか否か」の判定条件や「却下できるための条件」というルールが明文化されていない。明文化されていない以上自分の行為に問題はない。まずルールを作るべきだ。
  • 平田氏の文章が信頼できない情報源であることを別の信頼できる情報源を用いて示さない限り議論には応じられない。あるいはそのような情報源を明示していない対話については重要視しない。

といった点だったように思われます。 その上で、

  • 当初からCray-Gさんは一貫して個人攻撃の言動を繰り返されています。コミュニティーを消耗させないで下さい。恐らく本件は、Cray-G氏に対するコメント依頼やブロック依頼に発展し得たであろう問題だと考えます。
  • 正直に申し上げますとみなさまとの議論によって何ひとつ建設的な成果は得られたとは考えていません。
  • 結局まんまと人格攻撃の応報という徒労な結果に終わりましたということであります。

と総括してしまうのです。私は別に大和屋敷さんの行動すべてに問題がある/問題があったと主張したいわけではありませんが、今回の件に関しては、いささか大和屋敷さんの行為に問題があったのではないかと思っています。--Henon 2011年7月10日 (日) 19:06 (UTC)[返信]

私はHenonさんのおっしゃることが尤もと思います。大和屋敷さんのふてくされたような「当初からCray-Gさんは一貫して個人攻撃の言動を繰り返されています。コミュニティーを消耗させないで下さい。」のような発言は印象操作を通り越して暴言に相当すると思います。
  • 複数の方から批判を受けているにもかかわらず、自分に対する批判はすべて「個人攻撃」「人格攻撃」と見做し、まじめに取り合わない。
についてはすべては言い過ぎにしても、こんなことを言えばコメント依頼されても仕方がありません。 私が信頼性問題の解決の早道として、その著作権違反の解釈はおかしいので、その出典の著者が本当に法的な権威を持った人かどうか調べてごらんと案内しても、大和屋敷さんは、「自分の引用範囲の問題だった」という結論に達してしまい(それはそれで良かったのですが)、肝心の「本当に法権威を持った人かどうか調べましょう」については、気にかけない姿勢で、再び自分の出典は、信頼できると繰り返しています。変だと思って再度指摘しましたが大和屋敷さんからは返答がありませんでした。 1指摘されて調べたら法的な権威がなかった。2指摘されて調べたら法的な権威を持った人物だった。3調べたけれど分らなかった。 どれでも良かったんですけどね。 調べて欲しかった。--Dictionwolf 2011年7月10日 (日) 22:33 (UTC)[返信]
◆槍玉に挙がっている世界最狂の魔法使いCray-Gです。Truesight氏の言う通り被依頼者は確かに「何等の根拠無く私ことCray-Gが個人攻撃/人格攻撃をしている」と主張しているわけではありません
被依頼者が井戸端で立ち上げた議題は「①「信頼できる情報源」から②「適切に引用」している場合③その引用を除去できるか」という一般論であり、ノート:科学における不正行為での経緯やら被依頼者の編集態度やらに関する議題ではありませんでした。
然るに私は(a)「該議題は一般論として結論を出せる議題ではない」し、そもそも(b)「一般論として議論を行なおうとする被依頼者の編集態度に問題がある」批判しました。該議題を一般論として結論を出そうとする被依頼者からすれば、(a)は「その結論を出す為に立ち上げた議題の趣旨に反する無意味な発言」であり、(b)は「議題とは無関係な被依頼者に対する批判」です。
いづれも「該議題を一般論として結論を出す」ことに寄与しないばかりか「該議題を一般論として結論を出す」為の議論を妨害する=議論霍乱である(そしてそれが被依頼者に対する批判に基づいている)事実を根拠に個人攻撃/人格攻撃としています。同様に井戸端に於いてもノート:科学における不正行為に於いても他議論参加者が(被依頼者から見て)「客観的な根拠」に基づいた主張は行なわず「被依頼者の態度等に関する問題」に基づいて議論を展開していることを根拠に個人攻撃/人格攻撃としているのです。
被依頼者が求めていたのは「議論に必要な客観的な根拠」であり、「被依頼者への主観的な批判」ではなかったのです。以って被依頼者は「まんまと人格攻撃の応報という徒労な結果に終わり、何ひとつ建設的な成果は得られなかった」と結論づけたものです。最終的に被依頼者は保護依頼を取り下げ除去するという結論に至ったのですが、それは「議論とは全く別のところで被依頼者が独自に得た知識に基づいて」その結論に至ったのであり、「客観的な」根拠を出したのは被依頼者だけ(勉強しろ、や一冊全部読め、は客観的とは言えないと被依頼者が考えている点に注意)であり被依頼者の主張に対し「有意な(=客観的な)反論は一切されることなく被依頼者への主観的な批判のみであった議論」に基づくものではなかった=議論は被依頼者が出した結論に寄与しなかった事実に基づいた発言です。その後も被依頼者は大人の対応を心掛け「そういった発言は互いに止めませんか」などと、まともな議論をしようとしなかった(有意な(=客観的な)反論は一切されることなく被依頼者への主観的な批判のみであった)議論参加者に対しても寛容な態度を取っています。
既に書きました通り、被依頼者が議論の出来ない人物だと批判しているのではありません。議論に適さない(Wikipediaに於いて議論の余地の無い=理念への理解が必要な)問題であるにもかかわらず、理念に反して議論をしようとした結果、批判されているのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年7月11日 (月) 05:46 (UTC)[返信]
わたしは議論の論理的な部分にまで入り込んでどうこう言おうというものではありません。上に挙げられた引用文の中にさえある、挑発的ともとれる風刺的言い回しは本来不必要でしょ、と言いたいわけです。Cray-Gさんの筆力を以ってすればそんな真似をわざわざせずとも済んだのではないでしょうか。そのような点がみられたため、上でどっちもどっちと述べさせていただいた次第です。--Truesight 2011年7月18日 (月) 07:30 (UTC)[返信]

コメント被依頼者とはノート:南京事件 (1937年)で長く議論しています。こちらでは

  1. 訳の分からない理由で多重アカウントの疑いを掛け、本人が否定すると謝罪も無く対話拒否。利用者‐会話:疑問
  2. 進行中の議論を一方的に打ち切り。[31]
  3. 攻撃手段として[32]を提出する。
  4. 意味不明な思い込みで執拗に攻撃[33][34][35]するも[36]によって反論されると、執拗な引用は収まるが謝罪は無い。
  5. 意見対立者をわざと挑発するような行為。[37](こちらは細かい事例が多すぎるので、指摘した部分のみを提示しています。)
  6. Wikipedia:井戸端/subj/title検討のご案内(南京事件)での自身に都合の悪い質問には対話拒否。
  7. 参加者の発言をわざと引用して馬鹿にするような発言[38]
  8. 議論参加者の発言に対してわざとはぐらかして人身攻撃?にすり替えるような反論[39]

など、Wikipedia:井戸端/subj/title検討のご案内(南京事件)での対話拒否。ノート:南京事件 (1937年)ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2では、度々冷静さを欠いた書込が目立ちます。ノート:南京事件 (1937年)では、攻撃対象がほぼ私だけのようなので、私一人が我慢すれば良いと考えてましたが、複数ページ、複数の対話者で同様の行為があるなら少し問題と考えます。--kei 2011年7月17日 (日) 14:28 (UTC)[返信]

コメント 同じノート:南京事件 (1937年)で議論しているものとして補足させていただきますが、上記のkei さんは同議論において被依頼者と比較的激しい応酬を行っている方ですので、氏のコメントについては相当割り引いて考慮する必要があると存じます。客観的にみてわたしからみると、氏の挙げられている数々の論拠は一方的なものであり公平なものではありません。とは思えません。--Truesight 2011年7月18日 (月) 07:07 (UTC)ご指摘を受け訂正--Truesight 2011年7月20日 (水) 16:57 (UTC)[返信]
Truesight氏は、非常に問題の多い行動で無期限ブロックされたNakata88氏のWikipedia:コメント依頼/Nakata88Wikipedia:投稿ブロック依頼/Nakata88で被依頼者に苦言を呈する利用者に対して、Nakata88氏と一緒になって逐一反論したり非難[40]するなど、非常に偏った行動を起こされる方の発言であることを申し添えておきます。--kei 2011年7月18日 (月) 15:10 (UTC)[返信]
まだ場外乱闘は続きそうですね。いい加減スレチとか迷惑とかの域を超えていると思うので提案なのですが、場外乱闘の発端部分以降をノートか何かに写してからそちらで続けてもらうというのは如何でしょうか。
私見ながらこの場外乱闘は、kei氏の「Truesight氏は~~など、非常に偏った行動を起こされる方の発言であることを申し添えておきます。(kei 2011年7月18日 (月) 15:10 (UTC))」という発言以降に完全に場外に出たと考えます。なのでこの発言の直後に該発言が不適切であるという指摘があった旨と、その後の議論がノートに写されて継続した旨を書き添え、ノートに節を設けて該発言以降を移動したいと思うのです。
人に依っては前述の発言そのものや、或いはその直前のTruesight氏の発言なども既に場外であると思うかも知れません。ですが私の考えでは、長い場外乱闘の発端として両発言は残しておかないと後から読んだ人が何が起ってどうなったのかわからなくなる(=単に除去したのと同等になる)と思うのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年7月30日 (土) 04:45 (UTC)[返信]
ノートの方にコメントを書きました。この話題についてもノートで議論した方がよいですよね?--Henon 2011年7月30日 (土) 08:22 (UTC)[返信]
Truesightさんがご自身の具体的な反論もノートに移しても構わないというご意向のようですので、私としても発案者の案に従ってノートに移すことに賛成させていただきます。--Henon 2011年7月30日 (土) 12:32 (UTC)[返信]
提案に賛成します。私は自分の発言が移されることに異論ありません。細かい話もノートの方がいいでしょうね。--はぬまん 2011年7月30日 (土) 08:32 (UTC)[返信]
上記提案に賛成します。--Truesight 2011年7月30日 (土) 10:11 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:コメント依頼/大和屋敷 20110701#利用者keiのコメントに端を発した議論へ移動しました。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年7月30日 (土) 13:17 (UTC)[返信]
同意出来ません。移動するならせめてTruesight氏が具体的な指摘をし、コチラが反論した部分までは維持していただかないと、公平な部分で切ったとは言えないと思います。コンパクトにするためにその部分を抜粋するのでも構いません。--kei 2011年7月30日 (土) 14:32 (UTC)[返信]
以後、この脱線議論はノートでお願いします。--PSIA 2011年7月31日 (日) 00:28 (UTC)[返信]
やはり時期尚早でしたか。ノート#Maddestmagicianさんのご提案について。で合意を形成したいと思いますので宜しくお願いします。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月3日 (水) 01:17 (UTC)[返信]

では発言を変えます。kei氏の「Truesight氏は~」以降脱線した(脱線した時点を同意したわけではありませんが、ここではその発言を差し控えます)ということですから、それ以前のTruesight氏の発言に対して反論し直します。

Truesight氏は同じくノート:南京事件 (1937年)において、意見対立する当事者(被依頼者と同じ主張)による発言であり、時には被依頼者以上に意見対立者と激しい応酬を行っており、その発言こそ中立的でなく公平で無いと見ています。Truesight氏は反論するなら、具体性の伴わない主観に基づいたものでなく、客観的な情報を使用して反論願います。また、私が「〇〇であるから☓☓」としては既に当依頼からは脱線気味であり、単なる印象操作の要素が強いので、反論するなら具体的に私の報告に対しての反論を極力、主観を排除した客観的となる情報を使って反論願います。そこで一つ提案ですが、議論の継続性を持たせるためにノートへ移動されたTruesight氏の反論と私の再反論を再掲し、てそこから議論し直しませんか。上記のままでは、反論ではなく単なる言い返し(被依頼者の代理)に過ぎません。--kei 2011年7月31日 (日) 02:45 (UTC) 提案追加--kei 2011年7月31日 (日) 03:22 (UTC)[返信]

議題について対立者と激しい応酬があること自体は特に問題ではないと思います。問題はそうした激しい応酬を当該議論を離れても持ち越す姿勢です。提案についてはもとの黙阿弥になりそうなので賛成できません。ノートに今までの議論が移されておりますのでそちらにどうぞ。--Truesight 2011年7月31日 (日) 04:33 (UTC)[返信]
現状では、個人的な印象のみで具体的な指摘が無いということです。反論があるなら本議論において提示した1~8に対して具体的且つ、客観的な材料を揃えて反論を求めるということです。そういった提示もなく、個人的な印象の書込だけでは単なる報告者への中傷となり、その発言の有効性すら得られないものになると言うことです。個人的な印象を書き込みつつも具体例1~8に対して反論が無ければ、肯定したとみなされると認識ください。--kei 2011年7月31日 (日) 05:33 (UTC)[返信]
ノートでも話もひと段落しそうですし具体例について触れていきましょうか、と。(1)推測に基づいた一方的な発言ではあると思えますが、多重アカウントを疑うことは礼を失することなのでしょうか?(2)一方的に打ち切りと言っても議論を続けること自体はでき、かつそれまでにも議論の進展がなかったのは事実かと思えます。(3)コメント依頼を攻撃手段とすることはできないと思われます。同様のロジックに沿うのであれば本依頼が被依頼者を攻撃するためのものとなり、不適切なものとなると思われますが、コメント依頼においてそのような主張はありえないと思います。(4)議論中の主張内容を「攻撃」と表現することに違和感を覚えます。少なくとも被依頼者の引用するところの内容は確かに報告者に誤解を招くような発言があったと思われます。謝罪の必要性に関してはよく分かりません、「反論出来なければ」謝らなくてはいけないのでしょうか?反論できれば謝らなくてもいい?(5)リンクのkeiさんの指摘は分かりますし同意できる発言内容かと思うのですが、「意見対立者をわざと挑発するような行為。」なのかがすいませんがよく分かりません。(6)井戸端での提案内容とは外れた話題ですし対話拒否とも言えないかと。内容的にも直接被依頼者のノートページで言うべきだったのでは?(7)(8)相手の発言を引用したら馬鹿にするような態度となるのでしょうか…。
とまあkeiさんの報告につらつらと書いてみました、が。以前にも言ったようにWikipedia:礼儀を忘れないと言う点で「そういうこと言わなければ無駄に揉めないだろうになぁ」とは思います。ですがまあ、それがkeiさんの言うような攻撃的なものとまで言えるのかと言うとそれにもまた疑問符がつくと言うのが私の被依頼者への印象です。問題性があるのは否めませんが議論において相手に趣旨内容の説明を怠っている訳ではありませんし、その行為がコミュニティに対し阻害するとまではいっていないと思えます。全く問題なしともすべてがすべて問題ありとも言いがたいかと思うのが率直なところです。
またちょっと蛇足的であしからず、被依頼者の話から外れることです。脱線する原因となってしまったらここからばっさりノートに移して下さい。keiさんからはまた擁護しているかのように見えるかもしれませんが、私の考え方として個人のコメント依頼で問題性を問うより記事に関する対話を注力した方がより有益ではないかと思うのです。記事に関する話題を個人のコメント依頼でしても記事に反映されはしないでしょうし、対話余地のあるウィキペディアンを追放する形になってしまったらそれは如何なる結果であれ議論としては致命的な敗北であると思います。それゆえ、個人のコメント依頼では消極的な発言をしていると自覚はしています。--はぬまん 2011年8月8日 (月) 19:24 (UTC)[返信]
はぬまん氏へ。ありがとうございます。はぬまん氏の反論は、以前Truesight氏へ行なった反論でほぼ解決していると思われます。詳しくは、そちらをお読みください。ですが、折角なのでそれに合わせた反論をさせて頂きます。
1)推測に基づいた一方的な発言としつつ多重アカウントを疑うことは礼を失することなのでしょうかとされてますが、まず推測に基づいた「一方的」な発言が問題であって、された側が、「一方的」だとすることを非難するのは本末転倒でしょう。
2)議論の進展はありませんでしたが、議論自体は交わされていました。直近の書込を見ても、
大和屋敷 2011年4月28日 (木) 16:31 (UTC)
はぬまん 2011年4月28日 (木) 17:21 (UTC)
kei 2011年4月29日 (金) 11:21 (UTC)
はぬまん 2011年4月29日 (金) 12:11 (UTC)
kei 2011年5月1日 (日) 02:43 (UTC)
と活発に議論が交わされている中で、大和屋敷氏が 2011年5月1日 (日) 03:19 (UTC)に一方的に議論を打ち切る予告をされ、その12分後に私が議論進行中であるという根拠で反対表明をしました。そのあと、私の発言の下同日04:00に何故か2011年5月1日 (日) 03:19 (UTC)の発言を署名と時間を丸ごとコピーして再度書込(私の反対表明以降に予告を入れたと見せかけた印象操作でしょうか?)&新規立項、04:13にコメント依頼提出としています。因みに当事者であるはぬまん氏は、被依頼者による議論打ち切り予告後である37分後の2011年5月1日 (日) 03:56 (UTC)に進行中の議論に対するコメントを入れています。
3)実質言論を封じ込める手段として使用している疑いがあるのと、過去にもそういった行為に利用するケースが被依頼者に限らず散見されています。
4)あまりにも執拗な行為であり、議論進行を妨害したと見なしたため。
5)第三者に文脈を見て判断頂きましょう。
6)あれが誠実な対応であったかは、第三者の判断に委ねます。
7)コメントする度に、そのコメントと関係しない発言を引用(3度)をすることが、建設的な議論を交わそうとの行為には見えないでしょう
全体を通して、はぬまん氏の発言は初めに結論があって、それに近づけるために都合よく解釈したものと受け取れ、論理的な証明よりも個人的な感情に論理を合わせるというように感じます。事実、取るに足らない反論ばかりで、「私はそう見えた」的な発言に終始していること。被依頼者である大和屋敷氏の行為について論じるよりも、まるで私に対するコメント依頼のような発言をされていることからも明らかでしょう。そう見れば消極的ではなく、むしろ積極的に発言しているように受け取れます。(もうおよしになった方がいいと思います。)--kei 2011年8月9日 (火) 13:49 (UTC)[返信]
「「私はそう見えた」的な発言に終始している」とは言いますが、結局コメント依頼の報告というのはkeiさんから見た「私はそう見えた」と言うものなのですよ。それを他者から見たらどうなのか、と言うことを話すのはおかしなことではないと思います。「消極的発言」ではなく「消極的発言」です、発言内容が消極的である、と言うことです。
(1)一方的なのを問題とされるのは理解できますが、多重アカウントか相手に確認を取ること自体は礼を失するものではないのではと思ったまでです。(2)ですから私は打ち切りと言われても強制力がある訳ではないので話を続けたまでです。印象操作って…単純なコピーペーストミスでは?その下にちゃんと新しい日付の署名もしていますし。被依頼者は打ち切るという発言のうちに触れているようにこの版で新たに自分を提案を出したいと予告していますし、議論が活発なところで急に言い出したものではありません。(3)被依頼者が他方で乱用なされ問題とされるのなら分かるのですが、被依頼者以外の方がそのように使われていても被依頼者が同様の問題行為をしているとはいえません。この理屈を言い出したらまともに個人のコメント依頼を使えないことになってしまいます。(4)初めに書いたkeiさんから見た「私はそう見えた」と言う典型かと。ただ、そのように見えた方がいると言うことそのものを否定する意図はありません。(5)そうですね。(6)井戸端に参加していなかった私も第三者であると思いますが…。(7)えぇと…?これ、(7)に関するお話なのですか?
ノートに移された部分なので言いたくはなかったのですが、多重アカウントを疑うことが礼を失するのならkeiさん自身が私に対し礼を失した行為をしていることになり、keiさんの主義主張がよく分からなくなるのです。自分が疑われるのは失礼だけど自分が疑うのは失礼じゃないよっていうのは、流石に理屈としてないでしょう。他者の発言に対し「(もうおよしになった方がいいと思います。)」と言ったりも、議論の打ち切りを問題される方の理屈としてはどっちなのか?と思えます。--はぬまん 2011年8月9日 (火) 14:50 (UTC)[返信]
上記反論内容が既に論理的な議論の域を超えて、感情論からの言い返しとなっているということを理解しましょう。反論するまでも無いと感じます。--kei 2011年8月9日 (火) 15:13 (UTC)[返信]
だからあのですね…?「具体例1~8に対して反論が無ければ、肯定したとみなされると認識ください。」と仰る方がそのようなことを仰られるのが…。--はぬまん 2011年8月9日 (火) 15:47 (UTC)[返信]
keiさんは自身の意見のみ論理的とし反論は感情論などとして退けてますが、まず自分と考えの違う人もいるんだということを理解しなければいけません。ここまで長い議論を経ても、あなたの意見に賛成できない人がいるというのは事実なんです。それは尊重しなければいけません。--Truesight 2011年8月9日 (火) 18:47 (UTC)[返信]
では別の角度から。はぬまん氏の反論ですが、私の報告に対する通常の検証であるなら、1、4、5は肯定、2、3、6、7は~の理由で矛盾が有るなどの発言となるはずが、1,4,5のどれもが、同意する部分があっても必ず疑問の投げかけを最後に加えており、1~7全て否定的な見解で終わらせています。これは明らかに個人的感情の「否定したい」という気持ちを持ち込んだ発言となっていると言えるでしょう。結局はノート:南京事件 (1937年)の意見対立の構図(あからさまに私の報告に対して異を唱えている人物は、左記参照ページの意見対立者と同じです。)をここに持ち込んでいるだけであり、こちらのコメント依頼と別の趣旨で展開されています。(被依頼者応援もしくは敵の敵は味方の理屈による行動)あと単純なコピーペーストミスとのことですが、コピーペーストの作業が入り込む要素の無い、単純な当該編集作業において、更にどのような単純行為がコピーペースト作業をさせ、且つミスを呼びこむまでに至るのでしょうか。(単に疑問に感じただけの発言です)
はぬまん氏が反論する度に私の中での貴方の評価が下がってきています。これ以上は議論脱線の度合いも強まりますし、これで終わりにしましょう。議論は勝ち負けではありません。以前、被依頼者にも申し上げましたが、もう少し肩の力を抜くようにしませんか。たかが/されどwikipediaなのですから。--kei 2011年8月10日 (水) 12:48 (UTC)[返信]
どういったものが通常かは人によって異なるでしょう…。keiさんの基準を押し付けて私の感情を断定されても困るのですが…。意見対立の構図とまで言ってしまうのなら、私からはkeiさんが被依頼者と意見が対立している相手であるから極端なまでに問題だとしているように見えるのです。ですから1、4、5をそのまま肯定とできないのです。ちなみに4は肯定してません、被依頼者が引用していたkeiさんの発言の方に誤解を招くようなものがあったと思う、ですから。keiさんは攻撃だとか敵だとかいった表現をよく使いますが、私はkeiさんのことを敵だと思ったことはありませんし意見対立を攻撃と捉えるのにも違和感を覚えます。今までのkeiさんの発言から考えるとkeiさんは意見対立者である被依頼者を敵と見なしコメント依頼という方法で攻撃しているのだと言うことになります。正直、こういった発想の仕方は私は理解しかねますし、他者との相互理解という意味で大きく問題があると思います。同様の立場の一ウィキペディアンに過ぎない人間が問題を指摘するのですから、自分が出来ていないことを問題だと他者に指摘するのもおかしなことと思えます。そういった意味では脱線的なこの話題など私も人のことなど言えないのですが、それでも努力し自戒しているつもりです。keiさんからはそういった、相手に問題をするときに自分を省みるというような姿勢が見受けられないのです。ですから、言わばどっこいどっこいのレベルで喧嘩をしているように見えてしまう、となるのです。これらも初めに書いたように人によって価値観の異なることかと思います。ですが、このような理由からkeiさんの発言、指摘には私からは疑問に思えてしまう、と言うことの説明といたします。--はぬまん 2011年8月10日 (水) 15:13 (UTC)[返信]
はぬまん氏はここでも、こじつけや自己棚上げと見られる発言があり、論理的な矛盾を大いに感じます。(1,4,5他については反論するまでもない。)例えば意見対立者である被依頼者を敵と見なしコメント依頼という方法で攻撃しているのだと言うことになります。正直、こういった発想の仕方は私は理解しかねますし、他者との相互理解という意味で大きく問題があると思います。とまでされながらも、ここでのやり取りや、ご自身の利用者‐会話:はぬまん#Nakata88氏のノートでのやりとりについて利用者‐会話:はぬまん#樺太朝鮮人虐殺事件のノートでの件についてでの会話が相互理解に則ったやり取りには見えません。特に論理的な部分で矛盾を指摘されると、非常に強い拒否反応をおこし、相手を言い負かすことにのみ力を注いでいるように感じます。他にも指摘するとキリが無く議論脱線も甚だしいので、これ以上の反論は差し控えておきます。もうあれこれ持ちだして、相手を何が何でも打ち負かそうというような発想からは卒業しましょう。(相互理解の精神です。)たかが/されどwikipediaなのですから。--kei 2011年8月13日 (土) 14:45 (UTC)[返信]
だから…keiさんと大和屋敷さんは意見対立しているため言わば当事者同士です。ここがkanbunさんのコメント依頼で私がkanbunさんの問題性を指摘するならその指摘はもっともでしょうが、残念ながら違います。そして、努力はすれど人間ですから感情的になってしまうことはあります。その事は恥じていますし、kanbunさんのコメント依頼においても極力感情的にならぬよう努めました。話を本依頼に戻しますが、私が相互理解で至らぬ点があるとしてもそれとは別に、コメント依頼という場で被依頼者に対し当事者が自分も出来てないことを指摘するのがおかしいと言う主張なのです。つまりこの場合、私がkanbunさんに対し「相互理解を怠っている」と言う指摘をコメント依頼でしていたとして、そういう指摘をしているはぬまんこそ相互理解を怠っているではないか、と言うことでもなければ矛盾はしません。残念ながら全く関係ないところの話題を持ち出す姿勢こそ「あれこれ持ちだして、相手を何が何でも打ち負かそう」というような発想と見受けられます。--はぬまん 2011年8月13日 (土) 15:50 (UTC)[返信]
だから被依頼者:大和屋敷氏のコメント依頼において発想の仕方は~とされることが関係ないところの話題ということです。さらにその関係ない話題と指摘しつつも反論されれば、前回発言そっちのけで無理な論理(子供の浅知恵のようになってしまっているということを理解して下さい。)を作り上げて一生懸命言い訳される所が、自己棚上げであり、論理性が感じられないということです。もういい加減そういうのからは卒業しましょう。以降は非常に迷惑なので、大和屋敷氏のコメント依頼に対する話題だけにしてください。--kei 2011年8月14日 (日) 01:07 (UTC)[返信]
南京事件で自分が攻撃を受けているとここでアピールして訴えているのですから、関係ない話題を持ち込んだご自分の浅はかさ、子供の浅知恵を責めるしかないでしょうね。--61.86.47.189 2012年10月6日 (土) 01:15 (UTC)[返信]